第186話 高校と小学校ではだいぶ違うけどね

 彼の台詞を私は噛み締めた。奥さんのことを思い浮かべているのだとすぐに分かる。

「妻の元気な頃に戻って、もう一度会いたい――じゃないんですよ」

「と言いますと」

「治してやりたいんですよね。手術を受けさせてやりたかった」

「……」

 ナイフとフォークを、音を立てないように置いた。

「成功率はよくて五分五分と言われたのですが、当然受けさせたかった。ただ、まだ保険が利かない手術で、非常に高額でした。悔しいことに、私の給料ではとてもじゃないが届かない。借りる当てもない。募金頼みには風当たりが強いご時世です。土地家屋売り払って、子供も進学をあきらめて、限度額一杯借金して、それでも金が足りないときに初めて募金しろという意見がまかり通る。まあ実際のところ、募金の準備をする余裕がないくらい早く逝ってしまったのですが」

 泣けてきた。涙を堪えるのに努力を要する。

「一縷の望みってわけでもなかったんですが、宝くじを少し買いました。けど、その発表日まで保ちませんでしたね。すみませんね、お金の話なんてして」

「い、いえ」

 お金と言えば、今平らげようとしている料理の代金が気になる。本当に払わせていいのか。もしや西崎さん、何もかも捨てて人生終える気ではないだろうな。万が一、その兆候が感じ取れたなら止めなければ。あとのことは責任持てないが、とにかく止めないと。

「そこでさっきのタイムマシンの話につながるんですよ」

 私の心配をよそに、西崎さんは面白おかしい口調で続けた。

「実はですね――これ、誰にも言ってないんです。打ち明けるのは岸先生が初めて」

「はあ」

「実は、皮肉なことに宝くじが当たっていたのです」

「……えっ」

 時間差で驚いてしまった。

「宝くじって、年末ジャンボ……」

「ええ。確認したのはついこの間なんですがね。妻が亡くなる前後は何かと忙しくて、年末年始もおめでたムードなんてないも同然でしたから、完全に忘れていました。ああ、一等とか二等とかではないですよ。妻に手術を受けさせるにはこれを元手にして、増やしてから過去に行かないとだめです」

「……だったら、その当選金を過去に持ち込んで、競馬で万馬券が出ると分かっているレースに全額賭ける方が確実です」

 私が言うと、西崎さんは「ああ、その手がありましたか」と笑った。

「ほんとにね。これまで全然当たらなかった宝くじがたまたま当たるという奇跡を見せられるとね、もっと奇跡が起きないかと夢を見ちゃうもんですね。真面目に考えましたもの。タイムマシンで過去へ戻れるのなら、増やしたお金に新札が混じらないようにしないといけないなとか、くじ番号をチェックし忘れていたことに気付いたのが今でよかったとか」

「え、どういう意味でしょう?」

「今年の十一月に一部の紙幣のデザインが変わるんでしたよね」

「ああ、そうか」

 私は二重の意味で納得していた。西崎さんの話に納得したのに加えて、この時代に来てからずっーと、お札に何となく違和感を覚えていたのだけれども、デザインが違うんだと思い当たった。特に差が大きいのが千円札で、肖像画が野口英世であるタイプはまだ世間に出回っておらず、夏目漱石のままなんだ。

「十一月から発行される新札で過去に持ち込んでも、お金として通用しないという訳ですか。使えないどころか、下手をすると偽札作りで捕まってしまうかもしれない」

「そうなりますね。気を付けないと。……まあ、今日、記念日に思い出の店で食事ができたことで、一区切りです。気持ちを切り替えて、息子のために使ってやらないと。まだ教えてもいないんですよ、当選していたこと息子に」

「はは、そりゃあ、タイミングによっては恨まれるかもしれませんよ」

「格闘技の大会を観に行きたいと言っていたので、サプライズで買ってやろうかと思います」

「年末、盛り上がりましたからねえ。瞬間とは言え視聴率で紅白越えって」

 そんなに盛り上がっていた格闘技コンテンツが、二〇一九年には人気凋落して長らく浮上できないでいるなんて、この時点では想像も付かない。

「息子はもっと軽い階級に興味があるみたいで、大晦日のあれは録画したのをあとで観てました。どすどすしたまさに相撲だって言っていたかな。重量級は、総合と言いましたか、あっちの方が面白いって」

「今は格闘技も選り取り見取りだから、こっそりプレゼントするのは難しそうですね。折角、よかれと思って買ってあげたのに、『観たかったのはこれじゃない』って不満げな反応をされたら、泣くに泣けない」

「そう言われると、サプライズはあきらめた方が賢明か。いや~、学校の行事やテストと重ならないようにすれば、実際に観に行ける大会なんて自ずと限られてくると楽観視してたんですがね」

「だったらなおのことサプライズはあきらめて、相談した方が安心じゃないですか。息子さんがかまわないようであれば、西崎さんも一緒に観に行ったらいいんですよ。いや、チケット代と交通費を持つんだから自分も一緒に行かせろって、それくらいのことは言っていいと思いますね」

 顔見知りというだけで他はよく知らない人の家庭事情に首を突っ込むのは、慎重にすべきだと思う。ただ、今日の西崎さんの話や様子を目の当たりにしてきて、奥さんが亡くなられて以降、息子との距離の保ち方に迷いを感じているような印象を受けた。だからつい、口を挟んだのだ。

「もちろん今のは、私見です。僕が西崎さんの立場だったらこうするっていうだけの」

「いえ……そうしようと思いました。子供のことは若い人の方が近いんだし、あなたは現役の教師なんですし」

 教師と言っても小学校の先生だ。あんまり当てにされても困るが。


 つづく

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