第330話 昔も今も違わない夏の暑さ

 結果から記すと、神内とハイネのポーカー対決は、最終的にハイネの勝利で幕を閉じた。

 示し合わせた訳ではもちろんないが、残りの全戦もインディアンポーカーでの勝負となり、神内はハイネのイカサマを見破ることに意識の大部分を使った。短い間に様々な可能性を想定したものの、いずれも空振りに終わる。ゼアトスがハイネと組んでいて、ハイネ自身のカードが何なのかサインを送っている可能性まで考えたが、心の声でやり取りしたとでも考えない限り、あり得ないと断言できた。

 そして第十二戦で、ハイネからオールイン勝負に来られて敗北。神内は手元に数枚の金貨を残すのみとなり、この時点で逆転は不可能になった。それでも最終戦を行うことを希望したのは、相手のやり口を少しでも多く見ておきたかったから。

 そしてその甲斐があったのか、神内は一つの糸口を掴んだ。

 ただし、それはカードを覗き見る行為とはまったく無関係の、ハイネがやったかもしれないもう一つのイカサマに関することだった。

(――もしかして、鎌?)

 ハイネがほこりサイズに小さくした鎌を自由自在に操れるのだとすれば、親指の腹をちくりとつついて、カードを落とさせることぐらい簡単にできるのかもしれない。


             *           *


 週末だからか比較的多めの個人面談をこなした。もちろんそれは当初予定していた通りなんだから、疲労感があっても我慢できる。だが、予報を上回る猛暑になったのはいただけない。疲れに拍車が掛かる。帰り道の自転車漕ぎは百メートルくらい進んだだけで、もう汗が噴き出して来た。信号待ちをしながら、岸先生として車を買えないものかと本気で考えた。

 お金の面はともかくとして、アパートの駐車スペースがどうなっているのか、全然知らないな。一応、ご近所さんに聞くか管理会社に問い合わせてみるか。車の方はそのままにしておいたら、岸先生が戻ったときにややこしくなるかもしれない。となると、私が本来の時代に戻れると決まったらさっさと売り払う。これで元の鞘に収まると言えるんじゃないか。

 などとちょっぴり具体的に考え始めたせいで、信号が青に変わったのに気付くのが遅れる。よいこらせと、力を込めてペダルを踏み込んだ。今日はスーパーマーケットに寄って、食料品を買い込まねばならない。冷房が効いている店内に入れるのはいい休憩になるだろうが、そのあと再びお天道様の下に出て行くのが億劫になりそう。

 スーパーに着き、店の駐輪スペースに自転車を止めると、ハンカチで汗を拭った。児童やその保護者の目がどこにあるか分からないし、汗だくのみっともない格好はなるべく避けたい。

 そうしてようやく待望の?冷房の効いた店内へと入りかけたところで、ちょうど出て来る人が知っている顔だと気付いた。季子さんだ。

 向こうもじきに娘の担任だと気付き、目礼をしてきた。私も返して、二重になっている自動ドアの間のスペースですれ違う……だけかと思ったら、彼女の方から話し掛けてきた。

「こんにちは、岸先生。お時間よろしいですか?」

「あ、はい」

 私は手に取ったかごを一旦戻し、他の利用者の邪魔にならぬよう、脇に下がった。同じようにして着いて来た季子さん。

 きっと迫ってきた個人面談を前にしての社交辞令的な挨拶だろうと想像しつつ、「何でしょう?」と改めて問う。

「先生の方へは連絡がまだ行っていませんか、刑事さんの娘さんのことで……」

「えっ。刑事さんというのは陣内さんですよね? 何か動きがあったんですか」

 暑さにだらーっとしていたところへ、急に緊張感のある話題が降ってわいた。事態が悪い方に進行していなければよいのだが……。

 それで季子さんの表情を窺うと、ほっとできた。少なくとも悪い話を持って来た顔ではない。

「今日の午前中に陣内さんご自身から電話をいただいて、おとといの夜遅くに意識を回復されたそうです。そのあと一日掛けて検査をして、後遺症も見られないというお話でした」

「ああ……それはよかった」

 安心感で身体が満たされる。力が抜けて思わず、膝から崩れ落ちそうになった。いや、実際に少し腰が落ちたようだ。季子さんが途端に不安げな色を目に映し、私の顔を覗き込む。

「大丈夫ですか。汗、随分かかれていますよ」

「いえ、大丈夫」

 折角拭いたのが無駄になったようだ。外よりは若干涼しいここで立ち話をする内に、実も心も落ち着いた。

「汗は自転車で飛ばしてきたせいでして。それよりも陣内刑事の娘さんが無事で本当によかった。

「他に何か、陣内さんは言っていましたか」

「先日は突然やって来てご迷惑をお掛けし、申し訳なかったという旨の言葉をいただきました。それこそ、電話の向こうで頭を垂れているのが分かるくらい空気が伝わってきて」

 未遂に終わったとは言え、陣内刑事が心底後悔しているのが感じ取れる。それはいいのだが、あまり何度も蒸し返されると、天瀬が変に思い始めるかもしれないから、このまま穏便に幕引きをしてほしいものだ。……念のため、聞いておこうかな。

「あの、天瀬さんのお嬢さんの様子は?」


 つづく

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