第72話 目の付け所が違う?
寝直してからまた起きたときには、どことなくすっきりした心地になっていた。何でだろうと考えながら洗面台に向かい、歯を磨き始めてやっと分かる。右肩のじわっと染み込んでくるような痛みはほとんど消え、縫ったことによる突っ張り感もだいぶ薄まっている。完治はまだにしても、これなら楽に動けそうだ。
朝食を済ませたあと、痛み止めの薬を念のため服用。身なりを整えた時点で少し早いが出掛けるかと思った矢先、電話が鳴った。
三森刑事とのやり取りや警告を思い出して、どきりとする。一度深呼吸してから、受話器を持ち上げた。
「はい、岸ですが……」
思わず、向こうの様子を探るかのような口調になる。
「おはようございます、岸先生。吉見です」
見知った女性の明るい声が聞こえて来て、心底安堵した。その息の気配を悟られまいと、一つ咳をしてから「おはようございます」と返す。
「昨日学校で、何かありましたか?」
「いえ。そうじゃなくて岸先生、今日来られるんですよね?」
「そのつもりです。思った以上に回復が早いみたいで」
「治り掛けが肝心だと言います。慎重な行動を心掛けてください」
「はあ、まあ、でも今日は行きますよ」
「電話に出られたということは、まだ出発してないですよね?」
「ええ」
自宅の固定電話しかないのだから、まだ家にいることは聞く必要がないくらいに当たり前なのだが。あ、転送電話ってのがあったっけ。
「これから車で迎えに上がります。送って差し上げます」
「はい?」
「だから、一緒に学校に行きましょう」
「え、でも、自分には自転車が。帰りのこともありますし……」
「帰りも送り届けます。四の五の言わずに、保健教員の言葉なんですから、従ってください。この朝の忙しいときに」
「は、はい。じゃあ、よろしくお願いしようかな」
妙な迫力を感じ取り、私は承知した。実際、車で送ってもらえるのなら助かる。
「分かりました。実は結構近くまで来てますから、もう五分ほどで着くと思います」
「あ、はい。待ってます。安全運転で」
受話器を戻してから、何だったんだろうと思い返してみる。
急にモテ期がおとずれたわけじゃあるまいし、かといって保健の先生だからというのもいまいち説得力を欠く。教職員の健康状態をどこまで面倒見なければいけないんだって話になる。
いつも以上に身だしなみに気を使ってみるかと、歯を磨き直していると、往来に車の止まる気配があって、程なくしてドアの呼び鈴が鳴った。
「おはようございます。行きましょうか」
私服姿、というか白衣を羽織っていない吉見先生が現れた。
少し遠回りをしてまでも、車で拾いに来てくれた理由は、車中での会話で判明した。
「一昨日、月曜の放課後に変なことを言ったじゃないですか」
「ん? 言いましたっけ、そんな記憶に残るような変なこと」
「覚えていませんか、岸先生? 保健室にやって来て、早口でこんな風なことを言い置いて出て行かれましたよ。『今度の金曜のクラブ授業でやること決まったけど、資料を忘れたので取りに帰る』と」
「ああ、言いました。覚えてますよ」
答えながら、今追及されるとまずいなと焦り始めた。あの話は学校を天瀬に合わせて出るための口実であり、実体はないのだ。どんなレクリエーションを用意したのかと問われたら、返事に窮するのは間違いない。
ところが、吉見先生はちょっと異なる角度から疑問を呈してきた。
つづく
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