第137話 未来の旦那とは違う、あくまで担任なんだ

 まず、頭を打って一時的に記憶喪失になったんじゃないかという噂が、まことしやかに流れた。最初は半信半疑だったものの、先生の言うことややることを見ていると、以前と大なり小なりずれている場合が多いと感じられて、これは噂は本当かもしれないと受け止めるようになった。何とも言えない微妙なずれ、違和感はやがて小さくなっていったけれども、完全には収まっておらず、そこへきて岸先生が暴漢に斬りつけられる事件が起きた。

 これは!?と六谷は思った。

 六谷の記憶では、小学六年生のときにこんな事件は起きていない。確か、同じクラスの天瀬美穂がつきまといに遭って、防犯体制が強化されたっていう話は聞いた覚えがあるが、事件に発展してはいないはず。

 今回、元々狙われたのは天瀬だったそうだけれども、岸先生がそれを防いだということはどう捉えればいいのか……。六谷は悩まされることになる。

(過去を知っていて変えるために来た、のではないようだ。何故なら、僕が間違いなく体験し、記憶に残っていた過去では、天瀬は暴漢に襲われていないのだから。何かの理由で過去が変わり、それを防ぐために、つまりできる限り元通りになるようにするべく、岸先生が来たのか?)

 結論は出せないが、過去の出来事が変化したのは厳然たる事実。六谷は、岸先生が何らかの形で未来と今いる時代とをつなぐ人物であるという認識を強めた。

 そして行動に移す場として、六谷が選んだのが修学旅行であった。

 修学旅行中という非日常的な状況下であれば、これまで築いてきた六谷直己というキャラクターから多少外れた行動を取っても、大目に見てもらえるだろうとの期待故だ。

 具体的な話を交わすためには、旅行中はふさわしくないかもしれない。それでも、何らかのアプローチがあってしかるべきだと六谷は見越している。

(もし何も言ってこなかったら、次はどうすればいいんだろう。度を過ぎて流行語を連発すると、周りから変な目で見られるんだよな。これ以上はあんまりやりたくない。他に打つ手がないとは言わないけどさ。最終手段としちゃ、こちらから岸先生にはっきり言えばいいんだから。ただ、できるんだったら向こうから言わせたいな。岸先生が実は悪人で、僕が尻尾を出すのを待っているなんてことは、九十九パーセントないだろうけど。そもそも、尻尾ならもう今日で充分に出したつもりだし)

 布団を敷き終わり、どこに誰が寝るか、じゃんけんで決める。長谷井が勝って、一番ドアに近い場所を選んだ。

「おぬし、もしや、深夜に抜け出て、密会する魂胆じゃあるまいね」

 小林が茶化した口調で聞くと、長谷川も笑いながら首を横に振った

「そんなつもりはないさ。先生が来たとき、委員長の自分が手前にいた方が、話が早いかなと思ったまで」

「なるほど。それじゃあ明日以降もこの並びで決めちまうか」

「それは宿の部屋に着いてからでいいだろ」

 六谷は上の空で聞き流しつつ、明日、岸先生からの接触があるとしたらどのタイミングだろうかと考え始めた。

(班単位の自由行動がほとんどを占めていて、タクシー移動。当然、先生はいない。終わったら大阪まで今度は列車移動。先生はいるがみんなの目がある。ホテルに着いたあとは今日とだいたい同じだろうけど、先生が一緒に遊ばないようなら、話す機会は作れるか)

 それなら今晩にでも来てくれたって、同じじゃないかと思わないでもない。何なら、深夜、一人で部屋を抜け出して、担任から説教を受けるイコール担任と自分の二人きりの図式を演出したっていい。

(これって性急に過ぎるだろうか。でも、僕は今年の一月からずっとこんな状態で、このまま元に戻れなくなるんじゃないかっていう不安は、常にあったんだ。肝を据えて、“今”と“やり直し”を楽しもうかとも思った。しかし、岸先生が未来から来たんだとしたら、期待を持ってもいいじゃないか。何せ、先生は僕が元いた時代よりもさらに未来から来たんだから。想像も付かない物凄い発見か発明がなされていて、時間旅行ができるようになった可能性だってゼロじゃない。そうだろ?)

 六谷があれやこれやと考えを巡らせたときには、寝る位置決めは終わっていた。

 六谷は奥から数えて二番目。一人だけ、こっそり抜け出すのは難しそうだった。


             *           *


 一回目の見回りは、それなりに注意のしがいがあった。

 厳密には就寝時刻にまだなっていないのだから、早く部屋に入れぐらいしか言えないのだが、その分、児童の方も甘く見てもらえるだろうという計算が立っているのか、結構大勢が廊下を出歩いたり、本来とは違う部屋にいたりしていた。

「おっ」

 だからといって、基本的の女子のいるフロアの廊下で、長谷井が天瀬と立ち話をしているのを見付けたときは特別だ。大目に見る気持ちを上回って、むっとなった。

「長谷井――君。予告通り、遊びに来たというわけかな」

「そんな、先生」

 こちらの声に振り向いた長谷井は焦りを浮かべつつも、余裕がある。

「さっきまで全員で遊んでたんだから、女子の部屋で遊ぶなんて余裕、ないですよ」


 つづく


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