第174話 間違っていなかった

 その後、天瀬から電話が掛かってくるかもしれないと少し期待していたが、結局そんなことは起こらず、時間が過ぎた。今やだいぶ慣れてきた岸先生としての日常をいつものように送り、さあ寝ようかという頃になって、妙な考えが浮かんできた。

 天瀬の過去に影響を与え得るのは、私だけじゃない。可能性なら六谷にもあるんだ、と。

 現状での岸未知夫と六谷直己は、天瀬美穂にとってそれぞれクラス担任と同級生、距離感で言えば大きな違いはない。

 むしろ、時系列を考えるならば、六谷のタイムスリップが全ての始まりだったんじゃないかと見なす方が、論理的な気がしてくる。タイムスリップを考慮に入れた時系列とは、いささか妙な表現かもしれないが、要するに物事の因果関係だ。

 ここからしばらく、想像力をたくましく活用してみる。

 まず、大元のあるべき状態では、天瀬は無事に成長して、私と結婚する流れになっていた。私が過去に来て助ける必要はなかったはず。

 一方、二〇一〇年大晦日の六谷は、二〇〇四年の一月一日に飛ばされてきた。何の理由があってかは、今は棚上げとする。どうせ分からないのだから。ただ、私を飛ばしたのと同じ天の意志の仕業だってことにしておこう。

 飛ばされた六谷はしばらくの間、過去の改竄につながりかねない行動を取ったようだ。少なくとも、未来の恋人に電話を掛けてみたのは本人の証言から間違いない。そして彼のそのような行動が、どういう経路でつながるかは不明だが、過去の改竄となり、二〇〇四年の天瀬の身をピンチに陥れる。

 これに慌てた?のが天の意志だ。六谷の行動は予定外だが、やり直させるわけにもいかない。窮余の一策として、別の者を二〇〇四年に送り込んで、過去がなるべく変わらぬよう、危機を最小限に食い止めさせるという段取りを思い付く。そこで選ばれたのが、十五年後に天瀬の夫となる貴志道郎、私だ。“こいつなら必死になって救おうとするだろうし、偶然にも同音異字の名を持つ教師が天瀬美穂や六谷直己のクラス担任にいる。ちょうどいいんじゃね?”的なのりだったのかもな。

 さて、この仮説。頼りない思い付きに過ぎないが、ちょっとぐらい当たってはいないかな? 明日、六谷に会ったら、また私からも聞きたいことが増えてしまった。つまり、九文寺さん宅に電話をした他に、余計な行為をやっていないか、だ。


 夢の中だった。

 即座にそう判断できたのは、これまでに“これ”と同じ体験をしたときの感覚を記憶していたためかもしれない。

 私はしばらく待った、天の意志の声が聞こえてくるのを。

 が、三十秒も経たぬ内に、辛抱しきれなくなった。こっちだって用件を抱えているんだ。話ができるんなら、早くしようじゃないか。

「おい! 人が休もうとしているときに呼びつけておいて、待たせる気か? 話があるのなら早く出て来てくれ」

 おっと。意外に大きな声が出せた。今まではまともに会話できなかったから不安だったのだが、今回は嘘みたいにしゃべれる。自分の声がわぉんわぉんわぉんと反響しているのが感じられた。

「遅れてごめんなさいね」

 例の声がいきなり聞こえた。今までに比べて、若干馴れ馴れしく、甘えた響きを伴っている。

「準備に手間取ってしまって。だって、あなた、いきなり正解に辿り着くものだから、驚いた」

「正解?」

 姿の見えない声の主を相手に、私は暗い中空に目を凝らしつつ、聞き返した。

「予定では、今晩、あなたが眠りについたあと、この夢の中でヒントを教えてあげるつもりでいた。その計画にずれが生じて、軽くパニックよ」

「……つまり何か。タイムスリップしてきた六谷直己の何らかの行動が、天瀬美穂を窮地に陥れた、という推測は当たっているんだな?」

「落ち着いて、もう少し丁寧な言葉遣いにならない? 今の先生の声、怒りが濃厚に溶け込んでいて怖いわ」

 怒って当然だろう!と思うと、それ自体が腹立たしく感じられ、ますますむかむかしてきた。

 しかしだ、ここは人間力を試されている気がする。恐らく最終的な主導権はあちらにある。相手を怒らせたり怖がらせたりしたって、私に得はあるまい。言うことを聞いておく。

「推測は当たっているんですね? ――これでいいか」

「あんまり丁寧すぎるのも気味悪くて背筋がぞくっとなるから、適当に砕けた感じでお願い」

「あのな。……まあいい。教えてくれるのはヒントだけなのかな。いっそのこと、私はどうすればいいのかを、最後まで導いてくれないんだろうか」

「無理です」

 心を読んでいたかのような素早い返答。いやまあ、声の主がいわゆる神的な存在であるなら、読心術ができても不思議じゃないが。

「私達が人間に対し、希に特別なチャンスを与えるのは、それによって人間がどう振る舞うかを観察し、記録するためでもあるのです」

「それじゃ、これまでほぼ放置プレイだったのに、どうしてヒントをくれる気になったのかを聞かせてもらえないか」

「それはもちろん、あなた達が言うところの無理ゲー状態だったからですよ」

 無理ゲー?


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る