第365話 予報と違うにも程がある

「雷もましになってきたみたい」

 天瀬は窓外を見つめ、すぐさま視線を戻した。

 彼女の言葉の通り、雷は遠くへ去って行ったようだ。しかし、雨は違う。むしろ勢いを増している。

「おかしいな。夕立レベルじゃないぞ、これは」

 私は天瀬の片手を引いたまま移動し、テレビをつけた。

「も、もう手を離しても大丈夫です、先生」

 急に恥ずかしくなったらしく、語尾を丁寧語にした上でぱっと手を引く天瀬。そのまま台所の方へ行く。何だろうと気になったが、とりあえず先にテレビのチャンネルを夕方のニュースに合わせてみた。確かこの時間帯、ローカル枠があったはず。

「先生、これ。冷めちゃう」

 天瀬の言葉とコーヒーの香りが並んで届く。置きっ放しにしていたマグカップを持って来てくれたのだ。

「ありがとう。で、だ。天気のことをテレビでやってるんだが」

 見てみなさいと、私はカップを持った方の手で画面を示す。

「――これ、この辺りなんですか?」

 天瀬の方はぴんと来てないようだ。それも無理ないか。画面には雨の降り具合を示す天気図が大写しになっているだけなのだから。小学生でも見方はある程度分かっているだろうけど、具体的なイメージを持つまでには至らないのかも。

 現場からの中継映像があれば一発だが、降り始めてまださほど経っていない現時点で、それは高望みのようだな。

 だが程なくして天気予報の人が、この辺に降っている雨がどのくらい強烈なのかを、例を挙げて説明した。道を水が流れ下るほどで、場所によっては歩行困難に陥り、危険であるとのこと。

「ここから見えるかな」

 部屋の電気を灯した私は台所まで行き、窓を必要な分だけ開けて顔を出してみた。すっかり暗くなった外、地面に目を凝らす。分かりづらいが、水が一方向に集まって流れているように見えた。この辺りは若干、低い位置にあるようだ。そこからさらに低い方へと流れていく。

 私は一帯の地図を脳裏に思い浮かべてみた。と言っても、まだ三ヶ月足らずしかこの時代で過ごしていないので、そんなに詳しくはない。物凄く大雑把な地図だ。学校とは反対側に、川が流れているのを真っ先に思い出す。決壊はいくら何でも早すぎるからないとしても、水が堤防を越すことはあり得るのかな? 素人判断になるが、雨雲が山の方で先に降らせてからここいらにやって来たんだとしたら、急激な増水が起きてもおかしくない気がする。

 雨と強風の中、耳をすませる。川に何かあれば、防災無線が町内放送で流れると思うのだが、今のところは何もアナウンスされていないようだった。

「先生、閉めようよ。またびしょびしょになっちゃうわ」

 心配した天瀬が、後ろまで来て言った。

「そうするとしよう。ただ、困ったな。しばらく外を出歩けそうにない」

「……帰れないってことですか、私?」

 目を丸くする彼女に、「今の時点では、な」と言い添える。何の足しにもならない情報だろうけど、現状、どのくらい時間が経てば帰れるかなんて私には想像が付かない。

 とりあえず、天瀬にはするべきことをさせなくては。テレビの音量を絞ってから促す。

「お母さんに連絡しなくていいのか。心配してるぞきっと」

「あ、そっか。すんなり帰れるつもりだったから、忘れてた。先生、電話を借りていい?」

「もちろんいいとも」

 どこにあるかを言おうとしたが、それよりも先に天瀬は部屋を横切って行き、電話の送受器を手に取った。知っていたのね。これまでに何度もこのアパートに岸先生を訪ねた経験があれば、電話の場所くらい知っていてもおかしくない。

「――あ、お母さん? 私、美穂。えっ? お母さんも電話しようと思ってたところ? だったら掛け直す? 先生の電話代がちょっとでも安く済むように」

 おいおい、教え子から心配をされるほど岸先生は経済的に困っていたのか? まさかそんなことはあるまい。万が一、困窮しているとしたって、せいぜい数十円を節約しても焼け石に水じゃないか。

 成り行きを見ていたが、天瀬は電話を一端切ることなく、話を続けた。ほっ。

「うん……うん――先生?」

 しばらく母親の話に頷いていた天瀬が、急に私を呼んだ。受話口を手で押さえながら振り返った彼女に、「何だ?」と多少遠慮気味のボリュームで問う。

「Mテレビのニュースでは、一部が冠水してるって、視聴者からの映像が流れたんだって」

 Mテレビはこの辺りをカバーするローカル局だ。そういや、さっき見ていたのは全国ネットの方だったな。

「それで?」

 私はチャンネルをMテレビに合わせながら聞き返す。あいにく、テレビ画面にはコマーシャルが流れていた。

「この近所にも水が道路にあふれて、避難が必要かどうかは微妙だけど、車を走らせるのはあんまりよくないみたい」

「あ、ああ」

 何の話をしたいんだとしばし考え、程なくして理解した。

「天瀬さん、電話代わろうか」

 手を差し出す仕種をしつつ尋ねると、天瀬は再び母親といくらか言葉を交わしてから、私へと電話をバトンタッチ。

「お電話代わりました、岸です」

「すみません、先生」

 何故か、いきなり謝られてしまった。


 つづく

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