第316話 しきしとは違うよ
どれもまだ翼を広げてはいない形状だ。陣内刑事はその三羽を、大きな手で包むようにして受け取った。額に近付けて押し頂くような仕種を挟んでから、「本当にありがとう」と感謝の意を示す。
「何だかこれは……目が覚めたような心地というのか。当たり前のことに気付かされたようだ」
独り言のように口走ったかと思うと、陣内刑事は腕時計で時間を確認した。
「ちょうど見舞いを受け付ける時間になる。今から行って、この折り鶴を置いてくるか」
「それがよろしいですわ。職務も今は休みを取って、一家のお父さんに戻って会いに行ってあげてください」
季子は後押しするつもりで言った。
「……他の刑事から伝え聞いたというからには、私が現在休みであることもご存知なんでしょうな」
「はい。ごめんなさいね、知らないふりをして」
「いえ。おかげで、重要な用件の作り話をせずにすんだ」
先ほど顔を合わせた当初に比べると、随分と覇気がある声、そして表情になっていた。
「しかし油断は禁物。今の私が言えた理屈ではないけれども、お子さんを大切に」
「今こそ言ってください」
「は? 何と?」
「今だからこそ、お子さんを大切にするんだって、周りにも、自分自身にも向けて言うべきだと私、思うんです」
「……許してくれると思いますか、あの子が。きっと怒っている……」
「そんなこと、また子供と会えて、話せることにくらべれば些事です。話せなかったら、怒られることすら叶わないんですよ」
「……」
「さあ、ぼーっとしてないで、行ってあげましょうよ。陣内さん」
「そ、そうですな。何をしに来たんだか分からなくなったが、おいとまします」
陣内刑事はもらった折り鶴を、少しだけ迷うそぶりをしてから、コートのポケットに流し込んだ。
「朝からお騒がせして申し訳なかった。天瀬さんもお嬢さんも……ありがとう」
最後に吹っ切るように言った陣内は、深く頭を下げてからきびすを返した。
「急ぎすぎたら危ないから気を付けてね!」
美穂の黄色い声が見送った。
音を立てて閉じられた玄関ドアから愛娘に視線を移した季子は、ほっと一息つけた。
(これでよかったんですよね、岸先生?)
* *
午前の個人面談を無事に終えて、昼休みを迎えたところで学校を通じて私宛に電話が入った。保護者の天瀬さんという方からと知らされ、早くも何か動きがあったのかと緊張を覚える。一方で、昼食を外に食べに行く前でよかったと思いつつ、デスクの電話を取った。
「お電話代わりました、岸です。天瀬さんですか?」
「はい。今朝方はどうも、わざわざお越しくださいまして」
「いえ。あのあと何かあったのでしょうか」
まさかもう千羽鶴が完成したというわけではあるまい。だいたい、手元にあった
「先生がお帰りになって二時間ほどあとでしたでしょうか、ご本人がお見えになって」
「えっ。ご本人というのは当然、刑事の陣内さん、ですよね?」
「ええ」
「だ、大丈夫でしたか」
「それが、岸先生からお話を伺っていたので警戒していたのですが、応対に出てみますと、聞いていたほど冷静さを失っているようには見えません。だから少し警戒を解いて応対を続けました」
今朝、私が押し掛けて説明した内容には、意識的にややオーバーに言った部分はある。危機感を持ってもらうためにだ。実際に現れた陣内刑事は少なくとも表面上は平静さを保っていたようだが。
「完全に警戒を解かなかったのは、見たところ、陣内さんはひどくお疲れのようでしたから。目の周囲には隈が出来ていましたし、充血もしていたかと思います。前もって先生からお嬢さまの一件を伺っていなければ、警察の職務で疲労が溜まっているのかしら、ぐらいで済ませていたかもしれません」
一から状況を伝えてくれるのは親切心からなんだろうけれども、こっちとしてはとにもかくにも結果がどうなったかを真っ先に知りたいのですが。ただまあ、この季子さんの話しぶりから推して、大事には至らなかったことだけは確信できた。
「陣内さんは以前の事件のことでお話があるという風な切り出し方をされました。私達は先生に言われていた通り、陣内さんのお嬢さまの話を持ち出してみました。陣内さんの様子を目の当たりにしていたら、お辛そうで。一刻も早く、お嬢さまの元へ駆け付けてもらわなくてはならないと感じたので、折り鶴の話もすぐに切り出しました。もう私も美穂も折り始めていましたし、嘘を吐いているという心苦しさはありませんでしたけど、陣内さんがいちいち動揺なさるのが見て取れて、また気の毒な心地になりましたわ」
「それで最終的には、穏便に済んだんですね?」
辛抱たまらず、率直に尋ねた。
「もちろんですよ。折り鶴をお渡しして、お嬢さまの快復をお祈りしています旨をお伝えしましたら、すんなりと」
「それなら……よかったです」
つづく
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