第78話 さや当て? 違う違う

 彼女の問い掛けに私が答えるよりも先に、何人かの同僚が、ざわ、となった。柏木先生、朝目撃したこと及び私が説明したことを誰にも話さなかったらしい。

 一番若いのが、「岸先生と吉見先生って、そこまで親しかったんですか」と口火を切り、「そういや岸君の自転車、今朝見当たらなかった当人が来ていてちょっとびっくりした」「児童達に見られなかったでしょうな」「前は柏木先生と、スーパーで買い物してたとか聞きましたけれど」「若いんだから、結構結構」等々と、かしましい状態が三分近く続いた。

 誤解を解くべく、一から事情を話し、納得してもらったが、心身ともに疲れた。本気で早く帰りたくなったぞ。

 と、そんなタイミングで柏木先生が、

「吉見先生が離れられないんでしたら、代わりに私が」

 なんてことを言い出したものだったから、また一騒ぎになりかけたが、さすがに二度目は皆さんセーブ気味で、すぐに収まる。

「いいんですか。だったらお願いします」

 吉見先生もあっさりしたものである。これで私と吉見先生が特別に親しい間柄ではないことは、ようく分かるだろう。


 そんなわけで、今、私は柏木先生の車の中にいた。気を遣ってせめて後部座席に乗ろうとしたのだが、助手席にどうぞと促された。そう言う先生の表情がやけに真剣だったので、言われるがまま、助手席に収まった。

「お話がありますので、隣に」

 こちらとしては断る理由に、「事故ったときに最も重傷を負いやすいのは助手席なんですよね」なんて話を持ち出そうかと思っていたのだが、冗談でも言えなくなった。

 運転席に座った柏木先生は、キーを挿しただけで、エンジンの起動はまだのまま、話し掛けてきた。

「真面目にお聞きします。岸先生、先週から相当具合が悪いのではありません? 話していることが時折、ちぐはぐになったり、以前のことをあまり覚えておいでじゃないみたい」

 いきなり核心を突く問い掛けに、私の方は狼狽えないようにすることを第一とした。「いやあ……」と頭を掻いて十数秒稼ぎ、考えをまとめる。

「月曜日の襲撃事件に関して、柏木先生には、というか他の方々にはどの辺まで伝わってるんでしょうか」

「どの辺も何も」

 困惑したのだろうか、寄り目気味になった柏木先生。

「女児を狙ってきた犯人を、岸先生が身体を張って防いだというのでは不足が?」

 やはり、アパートへの侵入者については何も聞いていないようだ。捜査が始まったばかりなのだから当たり前か。どこまで話していいものか……三森刑事との約束もある。

「事件と関係あるかどうかまだ不明なんですが、先週の月曜夜から火曜の朝に掛けて、頭を強く打ったみたいで、その前後の記憶が曖昧なんです」

「まあ」

 丸く開けた口を片手の平で覆い隠す。絵に描いたようなポーズの柏木先生。

「頭を打つような心当たりがないもんだから、何だか不気味っていうか不思議というか」

「あの、お部屋に何者かが訪ねてきたとか、無断で入ってきたとか、全く覚えがないのですか」

「ええ、まあ。恥ずかしながらそういうことです」

 再び頭を掻いた。

「今度の事件の犯人が入って来て、先生の頭を一撃して行ったかもしれない、だけどそういうことが起きたか否か、まるで記憶にない……と?」

「はい。何遍も言わないでくださいよ。我ながら情けなさで打ちひしがれてるんで」

「あ、それは失礼を」

 先生は前を向き、唇をくっと噛みしめると、小さく吐息した。事情が分かって安心できた、といった感じか。

「何はともあれ、ご無事でよかったわ」

 エンジンが掛けられ、微振動が伝わってきた。


 つづく

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