第426話 これがほんとの手違い
他にできる対処はないか。そうだ、足の置き場の移動だ。サイコロ分割なんて手法は私の幻想――早とちりであり、余分なサイコロを飛ばして私のバランスを崩すのが神内の奥の手だった。ならば神内が振って升に収まったサイコロの出目は? 狙って出せる1か2のどちらかに決まっている。となると、私が選べるのは残る足場6だ。1か2のいずれかは沈まないはずだが、五十パーセントの確率に賭けるよりは、確実に残る6の足場に片足立ちできれば、この危機を回避し得るかもしれない。
……というような思考を一瞬の内に辿り、判断を下したわけではない。ほとんど反射的に身体が動いて、足場6に飛び移ることで姿勢の回復を期した。ぶっちゃけ、それだけだ。
立ち幅跳びよろしく、えいやと跳躍。足場6にほぼ真上から右足で着地。際どいながらも窮地を切り抜けることに成功したかに思えた。
だが、着地と同時に微振動が足場を襲う。
「うぉ?」
沈み始めたのは6ではない。今、背後にある1か2のどちらかだ。しかし振動は沈まない足場にも伝わる。比較的弱い震えであっても、今の私の不安定な態勢及び焦りに満ちた心理には、とてつもなく多大な影響を及ぼした。
今度は蹴躓いたときのように、前のめりに姿勢を崩す。がんばろうとしたがジャンプしてきた勢いの方が圧倒的に強い。抵抗空しく、これはもうだめだと覚悟した。
私は恐らく「くそっ」だの「ちくしょう」だのの粗野な言葉を吐きつつ、海中へと落下した。
派手な水しぶきが上がったのは、自分の目でも見届けることができた。
というのも、反射的に足場6に手を伸ばしたおかげだ。顔から水に突っ込むことだけは避けられた。そのまま足場にしがみついて体勢を整え、呼吸の乱れが収まるのを待つ。悔しさもあって、何も言いたくない気分だった。
「大丈夫ですか、きしさん!」
唐突に耳へ届いた天瀬の声は、随分と威勢がよい。私を心配してくれているのは伝わってくるが、それ以上に興奮――気分が高揚しているように聞こえた。
「ああ。どうにか大丈夫。泳ぎは得意だし」
浜辺の方を向いて片手を振って応えると、天瀬は何故か額に手で庇を作るポーズを取っている。目を凝らしてこちらを見ているようなのだが、何のために? 浜辺から見ていても、私が負けたのは明らかだろう。
やがて彼女が叫び気味に言った。
「その足場、しっかり持って離れないでください!」
「え?」
そりゃまあ言われるまでもなく、この足場を頼りに、神内の力で引き上げてもらうのを待っているのだが。無論、浜まで泳げない距離ではないが、そんな気力も残ってないしな。
「まだ負けてないかもしれませんから!」
「はあ?」
おかしな物言いに私はしかめ面をした。この状況で敗北を認めないのは、神様側を怒らせるだけじゃないか。それも我々に対してまだ好意的な神内を怒らせるのはよくない。
そこで神内の顔色を窺うべく、斜め上に視線をやった。するとどうしたことか、神内は口を三分の一ほど開けたまま、信じられないものを見でもしたかのように固まっている。
「手を見て、きしさん。驚かないように」
天瀬の声。いよいよ興奮に拍車が掛かっているようだが、一体何事だ?
私は言われるがまま、自分の手を見た。左手は足場6のてっぺんにもたれ掛かるようにして乗せているので、右手だけだ。
目にした刹那、私は言葉を失った。呻き声一つ漏らさず、自分自身の右手をしげしげと見つめる。
いや……それを右手と呼んでいいのだろうか。神内の姿を探し、問う。
「これはどういうことだ?」
私はつい先ほどまで右手であった、今は右足の形をした部位を振った。手首が足首になったようなもので、関節の具合はおかしくないのだけれども、見た目の違和感が強烈故、常に腕を捻り上げられているような妙な心地にさせられる。
「私がしたことじゃないわよ……」
嘆息を交えて神内は答えると、その両目を浜辺へと向けた。
「まさかこんな、いとも簡単にやってのけるなんて信じられない。念のために聞くわ。天瀬美穂さん」
「は、はい!?」
砂浜にしゃがみ込んで、両拳を握っていた彼女は、神様から名を呼ばれてぴょんと跳ね起き、立ち上がった。
「岸先生のこの身体の変化、あなたが願ったものなのかしら?」
「え。ええ、そうです」
二人のやり取りを聞いて、私の頭の中にはハテナマークが浮かんだ。何を言っているのか分からない。にもかかわらず、天瀬はほぼ当たり前のように受け答えしている。どうしてそんな落ち着いていられるのだ?
「やはりね。この空間の理に気付いたってことかぁ」
「確信があったわけでは、もちろんありません。私の夢ですから精一杯のことをしただけです」
驚いていたのは最初だけで、天瀬はもう淡々と答えている。神内にしても似たようなもので、当初の驚きは去り、今は多少珍しいものを見たときみたく、「ふうん、へぇ~、ほー」的な表情を続けている。
「あの~、お二人さん」
一人、置いてけぼりを食らった心地の私は彼女らに声を掛けた。
つづく
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