第25話 好みの傾向の違い

 床に就く段になって、あ!と小さく叫んだ。ここに戻って来たら、試してみようと考えていたことを忘れていたのだ。今頃になって思い出すとは。

 面倒だが寝間着を脱いで、スーツ姿になる。そして洗面台に向かい、鏡の前に立った。

 最初に、岸先生自身のデータを読み取るために、どうでもよさそうなことを思い浮かべるとしよう。そうだな。“好きな食べ物”にするか。

「……おっ。浮かんできた」

 和風ハンバーグ、餡かけチャーハン、スープスパゲティ。軽い捻りのあるラインナップなのがそこはかとなくおかしい。それにいくら十五年前(私の感覚的に、だ)とは言え、スープパスタじゃないのは、岸先生のこだわりなのかな。若干、文字のサイズが違うのだが、大きい物ほど好みのランクが上ってことかもしれない。

 それはさておき、まず判明したのは、二点。学校の中でなくてもデータは見える。そして自身のデータを見るのに、鏡の種類やサイズは無関係という事実だ。学校外でももやもやデータを活用できるのなら、ご近所さんと顔を合わせてもどうにかなる。

 だが確かめたかったことの本命はこれら二点じゃない。

 私はスーツを脱いで行った。その間、鏡から目を離さないようにした結果、「和風ハンバーグ 餡かけチャーハン スープスパゲティ」の文字は、徐々に薄くなっていき、ワイシャツを床に脱ぎ捨てた時点で完全に見えなくなった。ズボンは関係ないんだろうかと、念のためもう一度同じことを、今度は下から脱いで行ってみる。

 すると、ズボンを脱ぎ捨てた段階で、文字は消えた。想像するに、このスーツ着用を基本とし、教師として最低限の格好を保っている間は、例のもやもやデータを活用できるのではないかな。上半身にしろ下半身にしろ、下着になったら子供らに勉強を教える格好にふさわしくない、という訳だ。

 これで明日からは、携行必須の物が一つできた。コンパクトミラーか手鏡を持ち歩くとしよう。ちょうどいいサイズの鏡があるか否か、この時間に探すのはしんどいので、今夜はもう寝る。


 翌日。

 新しい生活に適応しようと努力をしつつも、ひょっとしたら目が覚めるとそこは元の時代、元の肉体に戻ってるんじゃないかと、期待をしてしまう。そのときは、車に跳ねられたタイミングは勘弁してもらいたい、なんてことも願ってみる。

 だけど、今朝起きてみても、変わりはなかった。非現実的なことは起きそうにない。いや、自分は非現実的な目に遭ったからこそ、今こうしているのだが。

 朝すべき準備や支度を、昨日の朝に比べればてきぱきと効率よくやりおおせ、最後にスーツ姿で鏡の前に立った。前髪の付近をちょっと手直ししつつ、今日もデータ活用は健在だろうかと、鏡に映る岸先生の姿を見据える。今度は彼の何を把握しておこうかと少し迷い、“好きな人”にした。恋愛対象になるような人物がいるとして、もしも職場が同じであれば、対処の方針を決めておかないとな。将来、岸先生がこの肉体に戻ったときのために。そう言えば教職員同士の恋愛禁止を通達している学校もあると聞くが、今の学校はどうなんだろう。明文化されていなくても、暗黙の了解ってこともあり得るし……。

 てな具合に、どちらかといえば軽めのノリだったのだが。

「よし、浮かんできた。また三つか。好きなものを思い浮かべるときは、ベストスリーを発表する決まりでもあるのか」

 くだらないことに突っ込みつつ、名前を覚えようと意識を集中する。とりあえず、女性らしい名前ばかりなので、ほっとする。差別する気は全然ないが、私自身の好みはあるので。

 一番大きい文字は、柏木律子かしわぎりつこ。どういった素性の人なのかは、今出しているデータでは分からない。時間があるときに見直そう。

 次に大きいのは、八島華やじまはな。比率で言えば、柏木2の八島1で、この二人が全体のほとんどを占めている。

 そして三人目は極々小さな文字で、読みにくいのだが、目を凝らしてどうにかこうにか読み取れた。

「え? 天瀬美穂?」

 嘘だろ。


 つづく

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