第77話 ミツバチとスズメバチの違いって?

 天瀬をどうにか納得させ、職員室に戻った。と言っても、もうあまり時間がない。柏木先生他、他の人から話を振られない内に、教頭先生の名前を知っておきたいと思っただけなんだが。

 私が元いた十五年後の小学校では、教員の労働時間をきちんと把握・記録しようという思惑から、タイムレコーダーが導入されており、全国的にもその流れが進んでいたはず。だが、この時代にはまだその手の機械は学校にはなかったようだ。代わりになるような勤怠表も見当たらない。

 タイムレコーダーがあれば、教頭先生の名前もちらっと見るだけで分かるのに。いや、機械によって違うのかな。うちの学校にあったのは、教員全員の名前と出欠状況が一覧で丸見えになるタイプだった。

 一定以上の肩書きのある人の机に、名前入りの三角柱のプレート?を置く企業もあるみたいだが、学校ではそんなことしてないしなあ。どこかに教職員名簿があるはずだが、探しているところを他人に見られると、説明のしようがない。ああ、もう時間がない。

 ……こんな些事にまで気を回すのが面倒くさくなってきた。事件のショックでど忘れしたことにして、率直に聞くか。

 教室へ向かう途中、そんなことまで考え始めた。が、そのとき廊下の角を曲がって来た用務員の西崎さんを見て、はたと思い当たった。

 確か、校門の開け閉めは、基本的には教頭の役目。

 翻って、私がこの学校に初めて来た日、西崎用務員は早朝からよく動き回っていたように見受けられた。校門を開けに行くとも言っていた覚えがある。

 ということは教頭の代わりに、用務員が何やかやとやっている可能性が高い。話の振り方によっては、教頭の名前を口にするかも。

 すれ違う直前に、彼の方から話し掛けていた。

「今週もまた大変な目に遭われたそうで。お大事に」

「ありがとう。西崎さんも大変ですよね。教頭の仕事も一部やらなきゃいけなくなって」

 二時間目のスタートに間に合わない恐れがあったが、出たとこ勝負だ。

「いえいえ、弁野べんの教頭にはひとかたならぬお世話になりましたから、それに比べたら」

 お、名前を言ってくれた。弁野というのか。すっきりした。これで全教員の名前を掴めたぞ。

「偉いなあ。夏に向けて蜂の巣なんかが出来やすくなるというから、気を付けて」

「どうも」

 西崎用務員とすれ違って別れると、私は教室へと早足で向かった。

 ちなみに蜂の巣云々の話は、学校の敷地内に蜂の巣ができた場合、駆除の判断を任されるのも教頭だとされていることから口にした。ミツバチなら自らの手で駆除し、スズメバチやクマンバチなら業者に頼むという噂を聞いた覚えがあるのだが、本当だろうか。機会があったら確認をしてみようかな。


 授業は全て滞りなくこなし、復帰初日を乗り切った。放課後も普段は何かと用事があって簡単には帰れないのだが、今日はみんな優しく、気遣ってくれる。病院で経過を診てもらわなくていいのかとか、警察に話を聞かれるんじゃないのかとか、ちゃんと理由があるなら遠慮なく帰っていいぞ的な言葉を掛けられた。

 病院は明日の放課後に行く予定でいる。合同体育の授業は臨時でほとんどが修学旅行の説明と予行?に当てられるとは言え、身体を動かすには違いないだろうから。

 警察の方はあの三森刑事からの連絡待ちであるが、こちとら携帯端末を所有しておらず、職場である学校にはなるべく来ないでという意味のことは伝えておいたので、必然的に自宅の電話に連絡があるものと判断している。

 要するに、今日の放課後、早めに帰る積極的な理由は存在しないのだ。けれども、保健の吉見先生が持ち場を離れ、職員室までやって来たことで、流れは決定づけられる。

「お送りできるのが、ちょっとあとになりますけどよろしい?」


 つづく

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