第489話 それをギャンブルと呼ぶのは違う

 二〇〇四年に魂だけ送り込まれて、結果、えらい目に遭わされた――というのが偽らざる本音だが、それでもこの数ヶ月の日々がすべてなかったことになるかもしれないと言われると、少なからず寂しい。何であろうと、私の体験したことは私の物だという思いが強く心の隅々までを占めていく。

「ま、そんなに都合よくはなるまいよ」

 ゼアトスは軽い口調で言った。

「特にキシ君、君はそちらの天瀬美穂を危機から守るために、あれやこれやと行動を起こしたと聞いているよ。それらをなかったことにしてもいいのなら、私も手間が省けてずっと楽なんだが、そうではないだろう?」

「あ、当たり前だ」

 ここに来てとんでもないことを示唆してくる。なかったことにされては、天瀬が改めて危機に見舞われることになるんじゃないか。そして手間を省くとは、恐らく、私が天瀬を危機から助けるチャンスはもう与えられず、スルーしろという意味に受け取れる。仮の話だとしてもいい気はしない。心臓の鼓動が速くなった。

「危機から守ってくれた?」

 天瀬が不思議そうに呟く。彼女自身のことが話題に出たのに加え、私の動揺ぶりを目の当たりにしたためだろう。

「説明はあとでする。話している時間があればだけど」

「分かったわ」

 聞き分けがよくて助かる。私は改めてゼアトスに向き直った。

「どういう対処をしてもらえるのかは、だいたい理解した、と思う。そちらの求める条件とは? とても飲めないようなものであれば、話にならない」

「うん、飲めないことはないはずだ。むしろ、積極的に引き受けてくれるんじゃないかという予感も、少なからずある。キシ君は教職の身にある割には、これが好きなようだから」

「これ?」

 悪い予感に、身の毛がよだつ。

「ギャンブルだ。僕は六谷某が試練をクリアしていないこと以上に、我らの側が人間に負けたままでいることに我慢できない質でね。僕と君とで一戦交えようじゃないか」

 そう来るか。精神的に追い詰めようとしていたのも、直後にギャンブルを持ち掛けて、様々な条件を飲ませて一気に叩くつもりでいたのかもしれない。

 さて、受けるかどうかだが……別に私はギャンブル中毒ではない。勝負事における駆け引きが多少好きなだけだ。自分がやるよりも、スゴ腕の連中の火花散る駆け引きを映画やドラマやアニメや漫画で観ている方が楽しい。そもそも、この提示された条件には無理、矛盾があるのではないか。

「ゼアトスさん。受ける受けないの返事の前に、今の話、おかしくはないか?」

「と言うと?」

「負けたままでいるのが許せないのなら、私と一戦交えたとして、そちらが勝つまで終わらない、となるんじゃないのかってことだ」

「キシ君は勝負を受けるだけでかまわない。勝利は条件に含まれていないのだよ」

 また意外な話を持ち出したな。私が勝たなくてもこちらの願いを叶えてくれるだって? 私は内心、首を捻りつつ、正直なところを指摘した。

「それではギャンブルの意味が失われる」

「と言うと?」

 まったく同じフレーズを繰り返したゼアトス。私をいらいらさせる作戦が、依然として続いているんじゃないだろうな。

「私個人の考えになるけれども……“関わる者全員がギャンブルに勝利すること”を至上命題としていないギャンブルは、ギャンブルとは呼べないんじゃないか。負けてもいい、相手をするだけでいいと言われたら、どんなに本気でそのギャンブルに臨んだとしても、覚悟の上で後れを取るもんだろう」

 蕩々と述べ立てて、相手の反応を探る。果たしてゼアトスは――特に大きな変化は見せず、微妙な笑顔のまま小さく首肯した。

「例外はありそうだが、理解はできるよ。ギャンブルの基本精神といったところかな」

「理解してもらえるのなら、こんなおかしな条件での対決なんて、端からやらないのが賢明だということも分かってもらえるはず」

「日本の正月の風習で、幼い子らがダイスを使ったゲーム、そう、双六に興じるが、あれと同じとは捉えられないかね? 実利のある見返りがないとしても子供は気軽に、でも勝利を目指してゲームに臨んでいるはずだよ」

「……いや。ゼアトスさんが今出した例は、若干、近いニュアンスがなくはないけれども、やはり根本的に異なる。あなたが勝つことを前提にしたゲームは受けられないし、ギャンブルとして成立していない」

 六谷のためを思うなら、ここはギャンブルを受けて、さっさと負けることで相手の気分をよくして幕引きにするのがいいんだろう。が、私はそういう八百長というか、接待マージャン的な舞台設定を飲むことは生理的に受け付けない質らしい。教職にある身だからという以前に、「うまい話には裏がある」とか「ただより高いものはない」といった慣用句が脳裏をかすめるのだ。折角、神内及びハイネに対して一つ貸しを作ったのに、ゼアトスに借りを作る形になるのも嫌な感じしかしない。さらに言うなら、私がゼアトスの立場で勝利を欲しているのなら、真っ当に勝負せずに勝っても満足感は欠片も得られないと思う。だからなおさら、ゼアトスの条件提示には裏があるのじゃないかと疑念が湧くのだ。


 つづく

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