第222話 間違った方向に進みませんように

 その天瀬だが、一週間前に言っていた「複数の男子ともっと仲よくなる」件に関しては、確かに実行しているようだった。長谷井以外の男子と二人だけで話す機会が、私の目から見ても増えていて、事情を知っていても気が気でない。特定の誰かというのではなく、文字通りたくさんの男子と関わろうとしている。

 ……ほんとにこのまま傍観していいのだろうか。一抹の不安がよぎらないでもない。

 ふと気付くと、今は六谷の奴と話し込んでいる。六谷は私の使命についておおよそ理解しているのだから、余計な真似はしないとは思うが、それとは別に二人が何の話をしているのかは気になった。

 二人のいる席の近くを通り掛かる動作に紛らせて、聞き耳をそばだててみた。

「――スカウトの男の人に、六谷君はどんな印象を持った?」

「とりあえず、お茶をおごってくれた優しい人」

 修学旅行でのあの出来事についてか。天瀬と六谷の間で共通する話題と言えば一番に来るのがあれなのは間違いない。

「それは私も思った。けど、そういう意味で聞いたんじゃないよ。信用できるのかどうかとか」

「分かってるって。見る目のある人だけど詰めが甘い、かなあ」

「見る目があるってことは、信用できそうだと感じた?」

 位置関係から天瀬の表情は見えないのだが、声の弾み具合から推して多分、喜んでいる。まだまだ芸能界への興味は断てていないか。しょうがないよな、この年頃だもの。ただ、黙って見ているのも気が気でない。万が一にも天瀬に芸能人になられたら、私も二〇〇四年に暮らしている十二歳の私・貴志道郎に会いに行って、無理矢理にでも芸能界を目指すように説得しなければならない……なんて馬鹿な軌道修正は絶対に無理だと分かっている。なので、今が大事なタイミングだと言える。本気で考えるようになる前に歯止めを掛けねば。

 私が何か一言いっておこうかと考え始めた直後、六谷が天瀬に返事をした。

「仕事のことで信用できるかどうかは知らないけど、見る目は確かだって言ったんだよ。天瀬さんに声を掛けるなんて」

「やだあ、六谷君。いつの間にそんなにお世辞が上手になったのよ」

 笑いながら相手の二の腕辺りに軽くタッチする天瀬。

「お世辞のつもりはないんだけど。第一、天瀬さんだって満更でもなさそうじゃん」

「そう?」

 両頬を手のひらで包む仕種をするのが、後ろからでも分かった。浮かれてるなあ。やはりここは釘を刺しておこう。そう決めて向き直り、口を開こうとした。

「でも、芸能界には興味ないんだよ」

 天瀬の口から続けて聞けたのは意外な言葉だった。これには六谷も多少驚いたらしく、目をぱちくりさせてから「本当に?」と聞き返している。

「ほんとほんと。早起き苦手だし、ミニスカートとか水着とかレオタードとか恥ずかしいし。それに、好きな有名人にもし会えたら、ただのファンに戻っちゃうのが自分でも分かってるから」

「好きな芸能人て誰」

「うーんとね」

 天瀬は考えながら名前を十名あまり挙げていった。女優や女性歌手も混じっていたが、三分の二以上は若い男性アイドルのカテゴリに入る連中だった。私が聞いたことのない名前もある。

「超有名なのがほとんどじゃんか。今言った顔ぶれに会えるようになるのは、相当先になるんじゃないの」

「えへへ。心配が早すぎって? いいの、本当にそのつもりはないから。今はこういう風にして、クラスの友達と話すのが楽しいもんね」

「それはまあ……よかった」

 六谷は答えながら、私の方を見た。最初から気付いていたのか、今気付いたのかは分からない。

「だってさ。先生」

 いきなりの六谷の発言に、私だけでなく天瀬も戸惑ったようだ。後ろを振り返り私がいると分かると、「聞いてたんですか?」と言った。質問ではなく、軽い抗議といった調子だ。

「ああ。タレントになりたいのかどうか、本心を知りたいと思って黙って見てた」

「天瀬さんなら心配いらないよ、岸先生」

 六谷が片目をつぶって、にやにやする。私は当然素知らぬふりをして「そのようだな。安心したよ」とだけ答えておいた。

 立ち去り、教室から出る間際に一度振り返ると、天瀬はもう別の男子と話を始めていた。それを見ている委員長の姿が目に留まった。

 もしかして……私は勘が働いた気がした。

 天瀬は長谷井に見せるために、色んな男子と仲よくしているのではないだろうか?


 つづく

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