第139話 いつもとは違う朝

 私はまだ警戒を解かずに、「それならどうして待ってたんだ?」とずばり尋ねた。

「あ、それは班のことでお話があったんです。誰にも聞かれたくないので、じゃあ、ここでします」

 踊り場で立ち止まり、上と下を見てから長谷井は話し始めた。二段階ほどボリュームを落とした声で。

「同じ班の六谷君のことなんですが」

「体調を崩したのなら、私なんかよりも吉見先生に」

「違いますって。早とちりしないで、最後まで聞くようお願いしますよ。六谷君、前はそうでもなかったのに、独り言みたいにぶつぶつ言うことが増えてきて。何言ってるのかはほとんど聞こえないんですが」

 六谷の身に起きた変化となると、今の私も無関心ではいられない。

「その場で聞かなかったのか。何ぶつぶつ言ってるんだとかどうとか」

「以前に一度。でも『何でもない』で済まされちゃいました。こういうのってどう思いますか、岸先生?」

「うーん、すまないんだけど情報が断片的すぎて、見解どうこうっていうレベルじゃないように思えるよ。他に何かないのかな。ぶつぶつ言っている合間に聞き取れた単語とか、言っている状況に共通点があるとか」

「状況は特にこれといって……。単語は、そうですね、イライかミライって聞こえたことがあります。他にはネング、ネンゴ、ネンゴウのどれかに聞こえたかなぁ」

 断片が増えただけって気もするが、それらが「未来」とか「年後」だとすれば、六谷が新幹線の中で私に話し掛けてきたこととつながらなくもない。

「あと、独り言じゃないんですけど、今日、風呂場で、占いってインチキじゃないのもあるのかな、みたいな話はしてました。多分、岸先生が新幹線でやった占いのことを言ってるんだと思いますが……前はそんな超常現象や霊なんか全然信じない性格だったのに、今年になってからちょっと変わったみたいに見える」

「うむ、なるほどな。分かった。知らせてくれてありがとう」

 長谷井の頭にぽんと触れて、ねぎらいの言葉を掛ける。

「確かに気になるな。僕も注意して見とくよ」

「あのでも、明日の自由行動に岸先生が着いてくる、なんてことには……?」

「しないよ。まあ、ないとは思うが、六谷君が町の占い師にはまって、お金をどんどんつぎ込みそうになったら、止めてやってくれ」

「分かりました」

 この最後の話は冗談のつもりで言ったんだが、長谷井は真顔でうなずいた。


 深夜の見回りは、何事もなく終わり、それなりに睡眠を取ることができた。

 それでも朝五時台というのはなかなかきつい。目覚めた時点ではまだ眠気が残っていて、目が痛かった。子供達の前であくびをしないよう、せいぜい今の内にしっかり覚醒しておく。

 身支度を済ませて、行程の再チェックのために広間に集まる。その折に、吉見先生から体調はどうかと問われた。

「特に問題は起きていないです」

「昨夜、聞きそびれていたのですが、お風呂に浸かっても平気でした?」

「はい。染みるなんてことも全くなく。何なら傷跡を見ます? ほんと、もう完治しているんですから」

「記憶力の方は」

「それはまあ、日常生活に支障は出ない程度には」

 今後も「忘れていた!」で切り抜けなければならない場面があると思うので、記憶力については曖昧な受け答えをしておこう。

「何か変調を来したときは、遠慮なく言ってください。今日、バスは連城先生のクラスのところに同乗するので」

「ええ、了解済みです」

 そんな会話を挟みつつ、朝の会議もすんなりと終了。朝食の会場に移動すると、すでに大方のテーブルは児童達で埋まっていた。子供らは大別するとしたら、朝からテンションが高い者と、逆に眠そうにしている者、そしてそれら以外の三タイプになりそうだ。大半は眠そうにしている。学校のある日だって、こんな朝早い時間から起きて、食事を摂るなんてまずないだろうからしょうがない。

 そうなると、元気いっぱいの面々は、普段も早起きしているのだろうか。もしくは、もっとシンプルに、昨日の晩、早々と寝付けた者と夜更かしをしていた者との差が出ているだけかもしれない。

 上の二つ以外というのは、要するにいつも学校で見掛けるのとたいした変わりがないように見える子供達のこと。今は校長先生の挨拶待ちだけれども、必要があれば隣の友達と喋って、必要なければ黙って待っている。そんな雰囲気を感じる。天瀬を見ると、どうやらこのタイプに入りそうだ。

 そういえば六谷はどうだろう。探してみると、長谷井らと並んで座り、時折会話しているようだ。特段、はしゃいだ様子は向けられないのは安心材料だけれども、目をしきりにこすっている。寝不足か。何か考え事をしていて眠れなかった、とかじゃなければいいんだが。

「あれー、まだ食べ始めてなかったの?」

 伊知川校長が姿を見せた。この人は朝からテンションが高いタイプだろうなと予想していたが、案の定である。とぼけた切り口で講話を――講話じゃないな、おしゃべりを始めた校長は、「自分だけでなく周りの人の体調に注意して」「自由行動は慎重を心掛けつつ楽しんで」「あと朝はしっかり食べるように」と、まともなことを言って、挨拶を締めくくった。


 つづく

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