第144話 余裕の有無は経験の違い

 だが、実行の前に一つ、気がかりなことがあるにはある。

 六谷は私よりも先に二〇〇四年に来ていたようだ。遅くとも三月頃と推測される。私よりも二ヶ月は早い。

 なので、元いた時代も、私よりも二ヶ月以上前という可能性はないだろうか。私が二〇一九年七月だったのだから、それよりも前の時代、単純計算でいいのなら二〇一九年の五月よりも前となる。この考え方が正解なら、それ以降の未来のことをサインとして送っても、六谷には通じない。

 だったらここは余裕を見て二〇一八年までに起きた事柄に絞るのが得策というもの。

 その上で、私が覚えていて、なおかつ小学生でも知っているであろう事柄となると何があるのか……六谷がこれまでにぽろっと漏らした言葉から傾向を探ってみるに、流行語や芸人のギャグが多い。それに合わせるとしたら、えっと私の精神的には一年前の出来事だから……「そだねー」や「半端ないって」、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」辺りか。あとはサッカーワールドカップとかアニメ……アニメは『進撃の巨人』か? 分からんなー。どうしてもアニメを入れたいときは、二〇一八年公開じゃないがアニメ映画「君の名は。」にしよう。確実に知ってるはず。

 そんなことを考えていると、時間が過ぎていた。もうちょっと新聞を読み込む方に配分すべきだったかもしれない。


「暑い」

 思わず、こぼした。京都の夏は暑いと聞くが、三十度を切っていてもこれほどに感じるとは。大阪に移動すれば、ちょっとはましになるのだろうか。

 初めての修学旅行同行。天瀬を守る。六谷の正体。――やるべきこと、気にすべきことがたくさんリストアップされていて、場面場面でその都度、優先順位を付けるのは当然だが、その気持ちの切り替えが結構しんどい。

 今は各班の自由行動タイム。修学旅行全体のことを念頭に置きつつ、個人的には天瀬の身を案じるのは当然のことであろう。

 自由行動と言っても、その場で判断して勝手気ままに行動していいというのではもちろんない。班単位で事前に計画を立てさせ、予定を提出させている。だからどこで何をしているのかは、大体把握できる。もっといえば班長に持たせた携帯端末のGPS機能により、ほぼリアルタイムで位置情報も入手できるのだが、さすがに現時点でそこまでの監視はできない。何かあったらすぐに連絡をよこすようにと、しつこいぐらいに念押ししておいた。あ、もちろん、天瀬一人に言ったのではなく、クラス全体にな。

 なので、私は事前提出の予定表を頼りに、天瀬達八班の回るルートになるべく寄り添ってみることに決めていた。子供らの移動は基本的に徒歩かタクシーで、必要に応じて電車に乗る。徒歩のときに私が彼女達八班の後ろを着いていくのはできない。結果、彼女らが立ち寄る目的地の一つ、平等院に先回りするのが精一杯となる。

 本音を言うと徒歩で巡る予定の中に、気になるところがあるにはあった。それは、女子の班の多くがスケジュールに組み入れている、簡単な舞妓体験ができる施設。スタジオで着物を着て写真に収まるということらしいけど、値段が高い(一人一万円オーバー)のと時間の都合もあって、みんな、他人が着飾るのを見学するコースを選択している。となると想像するに、写真を撮るとしてもせいぜい、丸くくりぬかれた箇所から顔を出して撮影する看板が関の山かな。うーん、許されるのであれば私がポケットマネー(ん? 岸先生のお金になるのかね、これは)を出して、本格的に体験させてあげるところなんだが。

 この心境は、将来の嫁に対する気持ちと、娘を持つ親の気持ちの両方を同時に味わう感じだな。


 何してんだと思い始めたのが、到着予定時刻を七分くらい経過した頃。その時点では、各班の予定表を付き合わせてみて、八班が途中から長谷井のいる一班と同じルートになることに気付いたので、「どうせ合流して、ついつい行動が遅れがちになってるんだろうな。しょうがない」と無理にでも納得したのだが。

 十分、十二分と過ぎていく内に、不安が募ってきた。

「こんなものなんでしょうか」

 連城先生を見掛けたので慌てて声を掛け、聞いてみた。

「遅れることはままあるよ。入場時間が指定されていない施設なら、少々遅れたって関係ないのだから」

 引率経験が豊富そうな連城先生は、たいして気に留める風もなく、淡々と答えてくれた。私も安心しようとしたが、完全には無理だ。

「何分遅れになったら、変だなと思いますか」

「うーん、そうだな。過去の例では最大で四十分近いずれがあったな。そんだけ遅れているというのに、平気な顔をして現れたと記憶してる」

「四十分……」

 長過ぎじゃないか?

「そのときは、携帯で確認なんてことは」

「できない。機械が用意されてなかったからな。ただ、他の班の者に聞いて、目撃情報があったから、こちらとしてもさほど焦りはなかった」

「あっ、なるほど。じゃあ、うちの八班や一班を見たかどうか、連城先生のクラスの子達にも、折を見て聞いてみてもらえますか、念のために」

 私は両手を拝み合わせて頼んでいた。祈る気持ちが出ていたのかもしれない。


 つづく

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