第407話 大小で違うこと

 死神の両目は油断なく天瀬の表情やその他身体のどこかに出るかもしれない反応を探っている。だが、天瀬のポーカーフェイスぶりも完璧だ。有力な手掛かりを掴ませることなしに、時間が過ぎて行っている。このままタイムアップに持ち込めるか?

 と、そのとき、ハイネは独り言を一旦やめて、ノートを眺めた。何やら、数箇所を指先でとんとん叩き始めた。焦りの表れなのか、それとも何らかの閃きを得たのか。いずれにせよ、意外と人間くさい仕種である。そうして何度か小さな頷きを繰り返した後、また独り言めいたおしゃべりを再開した。

「書いてみて気付いたが、どうして小文字なんだろうね? 数式で用いるエックスは小文字が常識だからか。大文字と小文字とで形がはっきり違うアルファベットはマイナス符号……いや、この条件でもないねえ」

 そこまで言ったハイネは、急に口元を上げた。何かを見付けたらしい。

「分かったかもしれぬ。これでどうだ」

 正解を見付けたというのか? 私は身を乗り出し気味になった。もちろん、ハイネのノートの内容が読めるわけではないが。

 ハイネはよほど喜びが大きいのか、“神の御業”を使わず、直にペンを握って文字を書いた。

「もしこれで誤答とされた日には、別解として認めろと猛抗議することになりますねえ。さあて、神内さん、チェックしてもらいましょか」

 らしからぬご機嫌な声で言った。陰鬱な響きそのものは変わりようがないため、無理に作り笑いをしているように見えた。

「今回は私が先に正解を把握しているので、わざわざ書いてもらわなくても、口頭で言ってくれれば事足りたんですけど、ハイネさん」

 神内が別に言わなくてもいいことを言ったが、ハイネの機嫌は相変わらずよい。

「どちらでもいい。でもま、折角書いたのだから、オープンするよ」

 長細い指十本で、開いたノートを立てる。そこには「答はゼロ。アルファベットを大文字表記にしたとき、左右対称になる文字はxを引き、そうでない文字はxを足す。この法則に従って各項のプラスマイナスは決定される。この推定に従えば左辺は(x-x)の項を掛けることになり、他の数値にかかわらず計算結果はゼロになる」と、神経質そうな固い字で記してあった。

 なるほど……。A、H、Iは確かに左右対称になっている。

「正解しています」

 神内が判定するよりも早く、天瀬が認めた。絞り出すような声だった。

「これはこれは、見事に墓穴を掘ってくれましたねぇ」

 一方、ハイネの奴は依然としてらしからぬ喜びようである。

「死神を前にして墓穴を掘る行為は、そのまま死に直結しかねませんよぉ。いや、これは冗談だけれどもね。ほんと、笑いが止まりません。とんち問題だと主張しなければ、10ポイント差を付けられることはなかったのに。よほど、私を甘く見てくれたようで」

 そう言うハイネは、私からは楽しげに笑っているようには見えない。サディスティックな喜びを噛み締めていると表現すべきだろう。

「天瀬さん、気にするな!」

 私は声を張った。彼女の意識がこちらに向くのを待って、続ける。

「まだ負けが決まったわけじゃあない。計算上、逆転の目は残っている」

「そう、ですね」

 無理にでも元気を出そうというのが伝わってくる返事。悲壮感は払拭し切れていないが、ただ、逆転可能であることを理解しているのならいい。次の神様側からの最終出題(恐らく低ポイントの問題)に正解し、なおかつ自らはなぞなぞ・とんち系の問題を出した上で、ハイネに正解されなければ逆転できる。

「引きずらないで行こう」

「はい」

 さあ来いとばかり、両手を握りしめる天瀬。

 ハイネはフードを被り直した。すぐに出題しないのは、天瀬の盛り上がった気迫を削ぐためか。代わりに、おしゃべりを始めた。

「次で正解できなかったら、そっちの負けになるよ。そこはお分かりかい?」

「改めて言われなくても分かってます。プレッシャーには負けません」

「やれやれ。私らの立場から言うとここはまた手堅く行く場面だから、いくらでも難しくできる知識系を出すことにしようかね?」

 ハイネの言葉に天瀬の表情が硬くなる。知らないことを問題にされたら、ほぼおしまいである。

「あー、ハイネさん」

 神内が口を挟んだ。口ぶりはどこかのんびりしていて、場の空気を緩めるのに充分だった。

「何だい?」

「最初に断ったので言わずもがなでしょうけれども、あまりにもお堅い問題は認められませんから」

「承知しているよ。マイナーな研究分野の某かの発見者を答えさせるとか、日本の旧五百円硬貨の縁にギザギザはいくつあるかといったのはだめなんだろう?」

「そう、それとマニアックなのもだめにします。いくら面白くてもマニアックなのは除外して考えてください」

「何だか勝手に条件が拡大解釈されている気がするねぇ。まあ、認めましょ。知識系の出題をすると決めたわけじゃなし。なぞなぞ・とんち系に変えるのもありかもしれないねえ」

「え?」

 この反応はもちろん神内ではなく、天瀬。

「おや。いかんのかね?」


 つづく

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