第307話 本来とは違う目的ではだめ

「はあ」

 ぴんと来なかった。それくらいはいいのではないか。ドラマ等から受けるイメージだが、刑事もベテランともなれば、どうしても気になる事件の一つや二つ、あっておかしくないと思える。

「何か問題でも?」

 率直に尋ねると、三森刑事は唸るような咳払いを一つして、

「渡辺の事件では岸先生やあの女子児童、天瀬さんの個人情報も調べて、載せています。参考までにお写真も撮らせていただきました」

 と言い出した。言い出したからには、陣内刑事が渡辺の事件の資料も見て行ったということなのだろう。驚きはあったが、陣内刑事の行動を好意的に解釈するなら、渡辺の知り合いが逆恨みから新たな犯行に及ばないようにと、目を配ってくれているんじゃないかと思える。

 依然として話のつながりが見えない。それがどうかしたのですかと、重ねて聞き返した。

「警察の人間として、外部の方に同僚の家族構成を無闇に話すはためらわれるのですが、話の流れでどうしても必要ですので」

 三森刑事の前置きには、苦渋の決断が感じられた。

「自分は陣内警部補のお嬢さんにお目に掛かったことがあります。今年で中二だと思いますが、自分が会ったのはその子が小学六年生のときでした。別に写真をもらったわけではないので記憶頼みなんですが、警部補のお嬢さんは天瀬美穂さんによく似ているんですよ」

「……どういう意味でしょうか」

「……このような疑念を直の上司に対して向けたくはありません。なので、あくまでも一つの可能性だとして聞いてほしい。陣内警部補は娘さんのことを思うあまり、個人的に会いに行くかもしれない、天瀬美穂さんに」

 少なからずぎょっとした。

「えっと……何のためになんでしょう?」

「娘さんの代わりに、です。もちろん亡くなってはいませんが、万が一の場合を考えて、確かめに行くんじゃないかと。どのくらい似ているのか、実物をこの目で見ておく目的で」

「そ、それならもう見ているかもしれません」

 私は先日、陣内警部補に似た人物を近所で見掛けたことを話した。

「そうか、あの女子児童の家は、あなたのアパートの割と近くでしたね」

「はい」

「天瀬さんから先生の方へ、何か言ってきていませんか? たとえばその、刑事さんが訪ねて来たというような」

「いえ、ないですね。遠くから見て、納得してというか、心落ち着かれてお帰りになったんじゃないでしょうか」

 まさか警察の人がおかしなことはするまい。ましてや陣内刑事は、渡辺の事件で解決に尽力してくれた一人だぞ。

 そういう信じる思いが心の大部分を占める。だが、ほんのわずか、懸念も生まれていた。考えたくはないことだが、万が一、自身の娘さんが亡くなったとしたら、陣内刑事が新たに一歩踏み込んだ行動に出る可能性はある?

「遠目に見るだけでも、問題になるかもしれないんですよ」

 ため息交じりに言った三森刑事。

「捜査資料を個人的な目的に使う行為は認められていない。つまり、警部補が娘さんのことを思って、外見の似た天瀬さんを見に行ったのだとすればアウトです。厳密に適用すればですが」

 さすがに厳しすぎる気がした。お子さんが危ない状況にあるのだ、普通の心理状態ではいられなくて当然だろう。娘が水難に遭ったのは、自分の休みが先送りになったせいだ、予定通り一緒に出掛けていれば事故の発生した時間帯、違うことをしていたはずだと己を責めているかもしれない。

「――そうだ、職務の延長線上の出来事だったら、かまわないんじゃありませんか?」

「職務の延長線上? どういう意味です?」

「渡辺の事件のアフターケアですよ。問題のはがきを拾われたのは、陣内さんだったんですよね?」

「はがきって、ああ、渡辺は悪くないとか何とか書いてあったあれですか。ええ、見付けたのは警部補です」

「警察では公式には捜査できないから、自宅待機を命じられた陣内刑事はちょうどいい、自分がガードマン役を買って出てやろう……とお考えになったのかもしれません。いや、そうに違いない」

「岸さん、あなたって人は……。あー、いや、そうですな。公式に捜査していない件に首を突っ込むのも本当はよくないんですが、しょうがない。岸先生、次にまた警部補を近くで見掛けたら、一声、掛けるくらいの気持ちでいてくれますか。『渡辺の仲間が復讐に来やしないか心配してくれてるんですね』という風に、職務を思い出させるような感じで」

「分かりました。でも、警察の方では陣内刑事の動向を把握していないのですか」

「今お話しした心配は、まだ自分の個人的な見解に過ぎませんから。身内が事故に遭ったという家庭の事情で自宅待機を命じられているだけの刑事一人を、ずっと見張っているほどの余裕は警察にもないんです」

 その割に、私にはこうして知らせてくれている。恐らく三森刑事は、陣内警部補の立場を案じて、あれこれ動いているのだろう。

「三森刑事、このことを天瀬さんの家の人には?」

「伝えていません。ことの性格からして、言えないと思ったもので。岸先生もその辺りの意向を汲んでくださるとありがたいんですがね」


 つづく

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