第390話 呼び方が違う! てことは未来も違った?

 こういう場合、同姓同名は便利だなと感じる。何故って、気兼ねしなくていいから。少なくとも、嘘をついているという罪悪感からは逃れられる。

「あ、岸さん。それじゃあやっぱり、私の知っている岸先生ではありませんか? 小学校の五、六年生のときに教わりました」

 続いて学校名を挙げる天瀬。

 私はこの問い掛けにどう返すべきなのか、一瞬で答を導き出さねばならないと理解した。


選択肢その1.岸未知夫であると答える。

 この場合、年齢の齟齬がある。天瀬から見て十五年前のまんまの姿でいるクラス担任は、不思議な存在であろう。岸先生を披露宴への招待客に含めたのかどうか、私は記憶していないが、十五年経ってもこの姿だと押し通すのは無理があるのは間違いない。だったら早々と夢であることを示唆して、時空を超えて夢の中で再会した、とでもするか。


選択肢その2.他人のそら似ということにしてしまう。

 これだと今まで打ってきた布石がまったくの無意味になりかねないので避けたい。あとになって実は岸未知夫ないしは貴志道郎なんだと言い出す必要が生じたとき、いらぬ不信感を招くだろうし。


選択肢その3.外見は岸先生だが中身は貴志道郎なんだと正確に答える。

 これは現段階では一番避けねばならない、と思い込んでいたが、見方を変えればそうでもない。貴志道郎だと名乗ることで、彼女は信じてくれるんじゃないか? 無論、名乗るだけでは信じてもらうのは厳しいだろうけど、私が事故に遭ったことを含む、私と天瀬しか知らないであろう事柄をいくつか並べれば、信じるはず。貴志道郎なんだと信じてもらえたなら、もうこっちのものだ。


 さあて、どれにしようか。

 私は多少の逡巡を経て、天瀬の心を信じると決めた。

「やはり、君には別人の姿に見えてるんだ?」

 私は岸先生の声のまま、なるべく自分らしさが出るようなアクセントを心掛けた。

「え?」

「私は貴志なんだ。天瀬、君の婚約者の貴志道郎だ」

「岸先生が道郎さん……」

「会いたかった。事故に遭って、そっちの世界では眠りこけたままだと思うが、私は大丈夫。こうしてぴんぴんしている」

 何か……感じが違うな~。こんなに堅苦しく話してたっけ。いや、これでも言葉のチョイスは割とくだけたものになってると思うんだが、口調が板に付いていないというか、詳しくは知らない人同士で下手な劇をやっているみたいになってないか。

 それに、彼女から「道郎さん」と呼ばれるのは久しぶりだと思い当たった。それは付き合い始めてしばらく経ってからの呼び方だった。

 最初の頃はお互いに名字にさん付けし、次いで下の名前にさん付け、そのあと下の名前を呼び捨てにする時期が長く続いたのだが、結婚が決まると天瀬の方から、お互いの名字で呼び合いましょうと提案してきた。理由を問うと、「結婚して名字が変わっちゃうともう貴志さんとは呼べなくなるし、私も天瀬とは呼ばれなくなるから」という返事だった。なるほどと思えたので私も賛成し、以来、名字を使っていたはず。

 なのに今、「道郎さん」と呼ばれたのは何故だろう?

 二〇一九年の天瀬ではないのか? だとしたら神様の約束破りがまたあったことになるが、さすがに意味がない気がする。

 夢の中だから、かもしれない。彼女自身、少し月日を遡った夢を見ているのだと解釈すれば、分からなくはない。

 そしてもう一つ考えられるのは、あってほしくないルートだが……もしや、未来が変わったのか?

 めまぐるしく脳細胞を活動させて、色んな想定をした私の耳に、天瀬の声が届く。若干、固い口ぶりだった。

「あなたが岸先生なのか貴志道郎さんなのかはとりあえず横に置いておくとして……婚約者と言われましたけど、それは気が早いです」

「えっ」

 強いショックを受けると、がーんとなるのは本当らしい。頭の上にどでかいたらいか岩でも落ちてきたみたいだ。心臓の鼓動が早くなった気がする。呼吸を整え、何をどう話すべきかを考えるも、すぐには出て来なかった。

「確かにお付き合いはしています。けれども、結婚はまだ……」

「ちょっと、話の途中ですまない。確かめさせて欲しいことがいくつかあるんだ。思い付くまま聞いていくから、とりとめなくなるかもしれないが、答えてくれますか?」

 ため口で始めた台詞だったけれども、天瀬の視線を見つめ返す内に、少なくとも貴志道郎だとは思われていないなと感じた。なので、改めた。

「はい。私に分かることでよければ」

「えーっと。何から聞けば……まず、この姿に見覚えは? クラス担任だった頃の岸先生に見える?」

 自分自身を一度見下ろしてから聞いてみた。

「見えます。十五年くらい経っているはずなのに、お若くて、全然変わっていない」

 こくりと頷く天瀬。状況が状況でなければ、式で神父の問い掛けに頷いたかのようだ。

「ありがとう。じゃあ次は、天瀬さんは今、貴志道郎という男性と付き合っているのは確かですか」

「さっき少し触れましたように、結婚云々はまだ早いですけど、付き合っています」


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る