第114話 もう間違えられない

「どうかしました?」

 前方からの突然の声にびくっとなった。六谷から視線を外し、顔を上げると吉見先生がいた。

 六谷からの全く予想もしていなかった質問攻めにおろおろしていた私にとって、吉見先生の登場は救いの天使降臨そのものだった。彼女のおかげで状況が動き、流れが変わるに違いない。

「様子を見に来たらいつまでも戻られないので、ちょっと心配してたんですよ。それで探していたら、クラスの子と話してたんですね」

 安心した顔付きになって、今来た通路を引き返そうとし始める吉見先生。まずい、引き留める言葉は何だ?

「あ、もう戻ります。ただ……例によって、記憶がまた曖昧になってるみたいで」

「え?」

 吉見先生の顔色が変わる。これからする話は嘘であって、心配させるつもりはないのだけれど。

「僕が言った覚えがないことを、この子――六谷君が聞いたと言うので、弱ってたんです」

 一か八か、吉見先生に賭けてみよう。話を合わせてくれるなり何なり、事件のせいで記憶が混乱してるから覚えてなくても仕方がない、ぐらいのことでもかまわない。学校の保険医が言えば説得力があるのではないだろうか。

「無碍に否定するだけの自信はないし……」

「岸先生、ちょっと。六谷君、ごめんね」

 話の途中で彼女の方から近づいてきて、私の腕を引っ張り、六谷から少し距離を取る。

「な、何でしょう」

「子供達の前で、あんまり記憶があやふやだなんてこと言わないでください」

 小声で注意をくれた。

「そんな先生に教わって大丈夫なの?と不安になるかもしれません。でなくとも、親御さんに伝わったら、変に解釈されてしまう恐れもあります」

「は、はあ。そうでしたね」

「ここははっきりさせておきましょう。えっと、有志の教師でお芝居をやる予定があって、台詞を覚えているところだった。けど、岸先生は怪我のせいで役を降りた。これでいいですね?」

「え?」

「だから。あの子に聞かれたのは、台詞を覚えるための独り言だったと」

「ああ……」

 遅ればせながら意図を飲み込めた。話を合わせてくれるどころか、こっちがほとんど何も言わない段階でその理由付けまでしてくれるとは、頭の回転の速い人だなと素直に感心する。

「六谷君。悪かった。吉見先生に言われて思い出した」

 私は今し方吉見先生が考案した状況設定で、六谷に説明した。

「――というわけだったんだ。僕はもう関係なくなったから、すっかり忘れていた」

「ふうん……分かった」

 一応、納得してもらえたようだった。きびすを返し掛けた六谷だったが、向き直って最後に聞いてきた。

「そのお芝居って、学校でやるの?」

「え、いや、学校とは別の話。素人の集まりで」

 焦ったが何とか言い繕えた、と思う。


 席に戻って、ちょっと考え事ができたからと、天瀬らの班にはシートの列ごと前向きに戻してもらう。六谷や長谷井も、すでに元の席へと戻ったようだった。

 肘掛けに肘をついて、しばし黙考してみた。六谷の行動についてだ。

 ほとんど想像のみになるが、六谷が普段と異なり積極的だったのは、今日こそ私が口走った「十五年後」云々の台詞の意味や未来を言い当てた秘密を突き止めようと心に決めていたが故なのかもしれない。

 ゲームの提案したのもひょっとしたら、私が本当に未来を読めるのか、すでに未来を知っているのかを確認するためだったのか? その場で思い付いた団体戦ポーカーでも、未来を経験済みなら連戦連勝の選択ができるに違いない、六谷はそう考えたのではないか。

 だが現実には、私は女子チームの手札を言い当てるようなことは全くなく、神懸かった勘の冴えを見せるでもなし、勝負にも負けた。当てが外れた六谷は、直接尋ねるという手段に出た、といったところだろう。

 さっきの説明で、あの子が全て納得してくれたのなら助かるんだが……恐らく、疑いを完全には拭い去れてはいないはず。

 もちろん、十五年先の未来から魂だけがやって来て、岸未知夫という人物の身体に入り込み、普通に生活を営んでいるってことを他人に知られてはいけないという絶対の掟がある訳じゃないのだから、必死になって冷や汗かかなくてもいい、さっさと認めちゃえば楽じゃないか、なんて考え方もできるかもしれない。大変な騒ぎになるに違いないが、命までは取られまい。あ、いや、これからの十五年間、世界では何が起きるのかは国家レベルの超重要な情報に当たるだろうから、命を狙われる恐れはあるか。私の頭は事細かに歴史上の出来事を覚えていられるほど大容量じゃないんだが、お偉いさんは信じちゃくれないだろうな。

 などと冗談めいた空想を巡らせるまでもなく、やはりこのことは秘密にしておかなければいけないのだ。もしも公になって、自分がどこかに隔離されるような事態になれば、使命を果たせなくなる。

 言うまでもない、天瀬美穂を救い、守るという使命だ。

 という結論を下したところで、とりあえず、今後はこれまで以上に言動に注意を払おうと意を強くした。


 つづく

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