第346話 もう一学期とは違うんだから
「何の買い物ですか?」
寺戸と野々山、意外と根掘り葉掘り聞いてくるなあ。興味はなくても教師相手に他に話題が見付からないからしょうがなく聞いている、とかじゃないことを願う。
「台風に備えて色々だな。まあ今回に限らず、必要になる機会が増えるだろうし、買い揃えておこうと思ったんだ」
岸先生の分も長靴だけは元からあったが、あとはお粗末だった。百円ショップにあるようなビニール製の薄い雨合羽は、ジッパーのすぐそばが裂けるように破けていたし、長靴はゴムの固くなった古めかしい代物。物持ちがいいのは悪くはないが、限度ってのがある。
「二人は買い物とは違うようだな」
「うん。買い物もするかもだけど」
寺戸が答え、野々山と目を合わせたかと思うと、「ねー」と声を揃える。仲よきことはいいことだが、もったいぶるような話でもあるまい?
「映画だよ映画」
今度は野々山が答える。なるほど、夏休みに合わせて何本か小中学生向けのをやっているようなことを、ワイドショーやコマーシャルで見掛けた覚えがある。オリンピックの話題が多い中、隙間を縫うようにして宣伝されると意外と印象に残るものだ。
「ほんとはもっとあとに観に来る予定だったけど、天気悪くなるって予報出てたから」
「それは賢い判断だ。何て映画?」
「ジュンアイ映画だよ」
一瞬、それがタイトルかと早合点した。ジャンルが純愛ってことね。それで察しが付いたが、子供らはタイトルに始まり、あらすじから主演俳優まで一気にしゃべってくれた。おかげでもう一本観終わった気分になれそうだ。
「いいのかこんなに話していて。上映時間は大丈夫か?」
尋ねると首を捻って、建物の壁にある大型のデジタル時計で時間を確かめる寺戸。「まだ大丈夫」と答えるから、やれやれ続きを聞かされるのかと思いきや。
「純愛で思い出したって言ったら変かもしれないけど、委員長と副委員長、ちょっと口喧嘩して仲悪くなったみたいですよ」
「ん?」
話の急展開についていけない。映画の内容にしては、委員長だの副委員長だのがつながらないなと違和感が。
「それって天瀬さんと長谷井君の話か?」
「そうだよー。今話題の」
「話題って。みんなの噂になってるってことかな?」
天瀬に関する話なら、特に気になる。しかも長谷井と口喧嘩? 何があった?
「みんなっていうほどじゃないと思うけど。見掛けたの私達だし」
この二人が噂の源ということか。それなら正確な情報が得られると期待してよさそうだ。
「口喧嘩っていうのは、どの程度?」
「先生、気になるのー?」
「そりゃあクラス担任だしな。それも委員長と副委員長と聞いたから、ちょっとびっくりした。仲いいように見えたから。ついこの間、堂園君を入れた三人でプラネタリウムに行っていたのを知っているし」
「それはもうネタが旧いよ、先生」
野々山が口を片手で隠しながら、結構大きめの声で笑った。そんなにおかしいこと言ったかな。まあここは辛抱、辛抱。
「寺戸さん達が目撃したのは、どういう状況で、二人はどんな様子だった?」
「詳しいことは分からないんだけど、見掛けたのはU駅の近くの空中庭園のあるビル。先生、知ってる?」
「分かるよ。細長いバームクーヘンを縦にしたような建物だ」
煙突のようなビルと表現した方が早いんだが、こういう即物的な言い方はセンスないと言われた経験があるので避けてみた。
「そうそれ。あそこの屋上に昇ったことあります?」
「ないなあ」
即答してしまってから、まずかったかなと心の内で冷や汗をかく。私は昇ったことはなくても、岸先生は経験があるかもしれない。その矛盾が綻びになって、誰かから変に思われるケース、なきにしもあらず。なので、慌て気味の早口で「いや、どうだったかな。忘れた」と付け足した。これはこれでおかしな返事なのだが。
「先生、どっち?」
「忘れた。テレビで見たのを思い違いしているかもしれない。先生が昇ったことあるかどうかが、そんなに重要なのかい?」
「どんな場所だか知っていれば、別に問題ないです」
だったら分かる。直径三十メートルくらいかな、吹き抜けの穴があって、そこをぐるりと囲うように丸く空中回廊が設けられている。植え込みやベンチ、小さな池まであって、ちょっとした庭園になっていた。
「この間、あそこにショッピングに行ったんです、二人で」
自身と野々山とを指で示した寺戸。
「用事が済んで屋上に行ってみてて、ベンチに座っていたら、吹き抜けを挟んでちょうど反対側に委員長と副委員長がいるのが見えて」
「どうでもいいが、一学期は終わったんだから、いつまでも委員長と副委員長じゃおかしくないか」
「あ。あの二人は委員長か副委員長をやっているイメージが強くて、つい」
舌先を覗かせた寺戸。野々山も「そうそう、五年のときも」と同調した。
「二学期になったら別の子がやるのだから、紛らわしくなる。今の内から名前で呼ぶように」
六年生の一学期に委員長と副委員長を務めると、卒業アルバム委員を一年通じて務める決まりになっているから、そっちの役職名で呼ぶという手もあるが、これまたどうでもいい。
「はーい。――長谷井君と天瀬さんが、反対側のベンチに並んで腰掛けていたのが見えたんです」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます