グライフトゥルム戦記~微笑みの軍師マティアスの救国戦略~

愛山雄町

第一章:「転生編」

第1話「転生」

 統一暦一一九三年五月八日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 私の中に二つの記憶があると気づいたのはつい二ヶ月ほど前の三月のことだ。

 八歳の少年、マティアス・フォン・ラウシェンバッハという存在の中に、日本で四十年以上生きた中年男性の記憶が突然蘇ったのだ。


 中年男性の記憶という第三者的な言い方だが、そうとしか言いようがない。

 二十世紀から二十一世紀に掛けての日本で生きていたという記憶はあるのだが、家族や住んでいた場所、それどころか自分の名前すら思い出せないためだ。


 個人を特定するような固有名詞やこの世界に来る直前の状況を思い出そうとすると、もやが掛かったように記憶がぼやけ、すべてがあやふやになる。何度か挑戦したが、その都度同じように記憶がぼやけるため、思い出す努力をやめた。


 逆にそれ以外のことは割とはっきりと覚えている。

 都内にあるシンクタンクに勤務し、そこで市場調査や情報の分析、コンサルティングなどを行っていたこと、学生時代に経営学を学んだことなどについては、数日前の記憶のように鮮明だった。



 記憶が蘇った時、私は大きく混乱した。

 突然、見知らぬ場所で目が覚め、起き上がろうとした時、自分の身体が小さくなっていたことに気づいたためだ。


 更に自分の手を見ると、白人特有の皮膚の色をしており、やせていたものの肌に艶があった。日本にいた時の記憶では黄色人種らしい肌の色で、年齢相応に皺がありシミが浮いていたはずだ。


 動揺し独り言を呟いていたが、ローブのような服を着た四十歳前後に見える白人男性が私に話しかけてくれたことで、自分の状況が少しだけ理解できた。


 彼は私に自分が何者か分かるか、ここがどこか分かるかなどを尋ねた後、私の記憶が戻るよう、名前などの情報を与えてくれたのだ。


 しかし、彼が話す言葉はドイツ語に近いもので、最初はその言葉が理解できることにも動揺した。


 学生時代は英語とフランス語を学び、その後もドイツ語とはほとんど縁がなかった。それにも拘わらず、彼の言葉の意味がはっきりと分かったことに困惑したのだ。


 彼、マルティン・ネッツァー医師から聞いた話によって、自分の名がマティアス・フォン・ラウシェンバッハであること、ここがシュヴェーレンブルクという町にあるラウシェンバッハ家の屋敷であることなどが分かった。


 また、説明を受けたことにより、この身体の持ち主、マティアス少年の記憶が浮かび上がり、おぼろげながらも情報が繋がった。


 その後、意識が戻ったことを聞き、安堵と歓喜の両方の表情を浮かべた両親が私を見舞ったが、すぐに眠りに就いたため、ほとんど話すことなかった。


 翌日以降は心配した両親がいろいろと話をしてくれた。

 ラウシェンバッハ子爵家は王国東南部に領地を持っていること、自分は長男で姉と弟がいること、父親が宰相府と呼ばれる役所で文官として働いていること、そのため、領地にはほとんど戻らず、ここ王都に住んでいたことなどだ。


 そのおかげで自分に関することはある程度把握できたが、その他のことは想像以上に知識が少ないことに気づいた。


 理由は簡単で、マティアスは日本なら小学校三年生くらいに相当する八歳の少年だ。しかも身体が弱くほとんど家の中に篭っており、めぼしい情報は持っていなくても仕方がない。しかし、情報がないという状況に私は強い不安を感じた。


 そのため、体調もよくなってきたことから、暇つぶしと称して父の書斎にある本を持ってきてもらい、情報収集を行うことにした。


 当初はマティアス少年の知識では理解できない単語が多く、なかなか読み進めることができなかったが、看病してくれる使用人や数日おきに往診に来るネッツァー氏に聞くことで読書スピードが上がり、それに従って知識は一気に増えていった。


 そして、自分が地球のパラレルワールド、もしくは遠未来にいるらしいことが分かった。

 パラレルワールドだと思ったのはこの世界に魔法があったことと、ファンタジーなどに出てくるモンスター、この世界では魔獣ウンティーアと呼ばれる存在がいることを知ったためだ。


 一方で地球だと考えたのは暦と度量衡からだ。

 暦は統一暦という年号が使われているが、聞いた範囲ではグレゴリウス暦に限りなく近い暦が使われている。つまり、公転周期が地球と同じなのだ。


 度量衡も長さはメートル、重さはグラムといった、いわゆるMKS単位が使われている。

 そして、正確には分からないが、一メートルは日本にいた時と同じくらいの長さだし、重さも感覚的には同じだった。


 この国の文明レベルが、産業革命前の欧州に近いものであることも分かった。但し、魔導具ヴェルクツォイクと呼ばれる電化製品のようなものが存在し、調理用のコンロや暖房装置や、造水の魔導具と呼ばれる蛇口をひねるだけで水が出る装置など、産業革命前より進んでいる部分も多い。


 そして、私の生まれた家がグライフトゥルム王国という国の子爵家で、私はその長男であることが判明した。


 それらの事実に私は興奮した。

 パラレルワールドや剣と魔法の世界という話はどうでもよかった。


 私が喜んだのは厳しい身分制度であろう王制の国家で、勝ち組と言える貴族の家に生まれていたことに対してだ。権力闘争などはあるかもしれないが、少なくとも最下層の奴隷ではなく、スタートラインとしては申し分ないと思った。


 そのためだろう。私は舞い上がり、油断した。

 使用人ですら信用できるか分からないにもかかわらず、あろうことか、外部の人間であるネッツァー氏がいる前で、歴史や地理に関する文献を読み漁り、更に昨日、日本で得た知識を踏まえた解釈を無警戒に話してしまったのだ。


 ネッツァー氏が怪訝な目で私を見ていることに気づき、顔から血の気が引いていくのを感じた。何とか取り繕ってみたものの、疑念を払拭するには至らなかった。


 その結果、大賢者マグダなる人物が私に会いに来た。

 二ヶ月というわずかな期間で得られた不完全な私の知識でも、どのような人物か分かっている。


 大賢者は“助言者ベラーター”という名で、歴史書どころか、神話にも出てくるほどの有名人なのだ。


 数千年もの歳月を生きてきた存在に会えるというのは、地球ではあり得ない。剣と魔法のファンタジーな世界らしいと言えるのだが、私には恐怖の方が強かった。

 異端者もしくは悪魔のような扱いを受け、拷問や処刑の可能性があるためだ。


 更に相手は私に対応を考える時間を与えないためか、事前に連絡もなく、屋敷を訪問してきた。そのため、大賢者が私の部屋を訪れるという話を聞いたのは、ドアがノックされるわずか五分ほど前でしかなかった。


 心の準備ができないまま、父がドアをノックしながら大賢者が来たことを告げた。

 そして、部屋で私の世話をしてくれていた使用人が断ることなくドアを開ける。


「大賢者様がお前を診てくださるそうだ。失礼のないようにな」


 父はそれだけ言うと部屋に入ることなく、立ち去った。


「その方らも下がるがよい」


 老婆らしいしわがれた声だが、有無を言わさぬ力強い言葉に、使用人も頭を下げて出ていく。


 そして、その声の主、漆黒のローブを身にまとい、ねじれ曲がった木の杖を持ち、バサバサの白髪を無造作に後ろでくくった、鷲鼻の老婆が姿を見せる。

 月並みな表現だが、その姿はまさしく魔女だった。

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