第49話「交流イベント:その三」

 統一暦一二〇七年八月十九日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、守備隊駐屯地。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 守備隊駐屯地でのイベントも後半に入った。

 既に午後一時を過ぎ、真夏の暑さは最高潮だが、領民たちは獣人族兵士たちの素晴らしい技量を見て興奮しており、元気いっぱいだ。


「早速飲みましょう。もう喉がカラカラだわ」


 イリスが私の腕を取って屋台が並ぶ厨房棟の方に引っ張っていく。

 先ほどまでは鎧姿だったが、すぐに装備を外し、いつもの騎士服姿になっている。


 これは黒獣猟兵団員や守備隊員たちも同様だ。

 装備を付けたままでは飲みづらいからだが、彼らはそれぞれの軍服を身に纏っている。私から命じたことではないが、ラウシェンバッハ家の兵士として参加しているという彼らなりの意思表示なのだ。


 今回は父や弟のヘルマンとは別行動だ。

 領主一家が固まって動くと、領民たちも緊張すると思ったことと、ヘルマンに婚約者であるレオノーレ・フォン・クローゼル男爵令嬢と一緒にいるように言ってあるためだ。


「まずはビールを飲みましょ」


 そう言って、領民たちが作る列に並ぶ。

 私たちに気づいた若い男が驚いて譲ろうとするが、それを断っている。


「今日は無礼講だからね。それよりも君はどこで働いているのかな?」


 突然領主から話し掛けられて目を白黒させている。


「モーリス商会の工場で働いています。出荷の管理なんかをやっています」


「仕事は楽しい?」


 イリスの言葉に若者は大きく頷く。


「はい。給料もいいですし、休みもきちんともらえますから」


 そんな話をしていると順番が回ってきた。


「マティアス様とイリス様!?」


 ビールを注いでいる居酒屋のウエートレスが驚きの声を上げる。


「私たちにも一つずつもらえるかな」


 そう言って銀貨一枚、十マルクを支払う。


 日本円で一杯約五百円であり、居酒屋の値段とほぼ同じだ。手間が掛かっているので、本来ならもう少し高い値段設定になるのだが、子爵家として補助金を出すことにしているため、この値段で済んでいる。


 補助金を増やせば、無料にできないこともなかったが、今後このようなイベントを商会に委託することを考え、一定の利益は出るが、高くなりすぎない値段になるよう調整してみたのだ。


「はい!」


 泡がこんもりと盛り上がった陶器のジョッキが手渡される。

 それを受け取り、二人で空いていそうなテーブルを探すが、ほとんど埋まっていた。


「もういっぱいね」


 そこで後ろから声が掛かった。


「相席ですが、こちらに空いている席があります」


 ダニエル・モーリスが私たちを案内する。


「料理はうちの商会が持ち込んだソーセージや燻製も美味しいですが、領都の居酒屋、あけぼの亭のスペアリブが美味しいそうです。他にもアンドレの店の川マス料理も評判でした」


 私たちがお腹を空かせてやってくると思い、席を確保した上で、何が美味いかリサーチしておいてくれたようだ。


「この席です。ヨハンさん、相席の方です。僕は料理を取ってきますから、その間よろしくお願いしますね」


 それだけ言うと、踵を返して屋台の方に戻っていく。


「お、おい! マティアス様とイリス様じゃねぇか! 聞いてねぇぞ!」


 ヨハンは四十歳くらいの良く日に焼けた男で、肉体労働者らしく、がっしりとした身体つきだ。


「私たちと一緒ではダメかな?」


「め、滅相もない。ダニエル坊が何も言わないから、びっくりしただけでさぁ!」


 そう言っているが、顔は引き攣っている。

 彼はエンテ河の船着き場の人夫で、モーリス商会の荷物の荷揚げの時にダニエルと知り合ったらしい。


「ダニエル坊から領都の美味い飯屋を知らないかと聞かれやしてね。それでいろいろと話しているうちに場所取りを頼まれたんですわ。そういや、息子と娘も一緒ですが、大丈夫ですかね」


「問題ないよ。息子さんたちは料理を取りに?」


「ええ。いい場所は離れるとすぐに取られちまうんですよ。なので、ガタイのデカい俺がここに陣取っているわけですわ」


 確かに屋台に近く、便利な場所だ。

 ダニエルが戻ってきた。


「お待たせしました。あけぼの亭のスペアリブとアンドレの店の川マスのバター焼きです。ビールのお代わりは大丈夫ですか?」


 ダニエルは山盛りのスペアリブと川マスのバター焼きを持ってきた。二人分にしては多いので、ヨハンたちの分も入っているようだ。

 お金を渡しながら、気になっていたこと聞く。


「ありがとう。ビールはまだ大丈夫だ。それよりもライナルトさんたちはずっと働いているのかな?」


 ライナルト・モーリスは早朝からここで準備を仕切っている。


「はい。父さんは倉庫で陣頭指揮を執っています。マティアス様が用意されたビールが不味いと言われないように自分で確認するんだと、気合いを入れていましたよ」


 相変わらず真面目だなと思いながら、スペアリブにかぶりつく。

 しっかりと焼かれたあばら肉に、ややスパイシーな甘ダレが絡み、ビールによく合う。


 イリスも貴族の令室とは思えないほど豪快にかぶりついている。指先と口元を拭いているところは上品だが、ごくごくとビールを飲む姿はやはり貴婦人らしくない。


「これは美味しいわね。すぐにビールが無くなってしまうわ」


 そう言って彼女は楽しそうに笑っている。

 グレーフェンベルク伯爵が亡くなってから、心から笑うことが少なかったので、このイベントをやってよかったと思った。


「親父、持ってき……えっ!? マティアス様とイリス様?」


 ダニエルと同じくらいの歳の日焼けした少年と、麦わら帽子が似合う十歳くらいの少女が驚いていた。


「息子のハンスと娘のマリーですわ。お前らもマティアス様たちにご挨拶せんか!」


 二人は驚きながらも頭を下げる。


「お邪魔しているよ。それより何を取ってきたのかな? よかったらこのスペアリブと交換しないか?」


「ヴィントムントのソーセージです。どうぞ」


 マリーがおどおどしながらも皿を差し出してきた。


「じゃあ遠慮なく」


 そう言いながらフランクフルトのような太いソーセージを受け取った。


「こっちのスペアリブもどうぞ」


 そう言って皿を差し出すが、なかなか手が出ない。


「美味しいから食べなさい。それともスペアリブは嫌いだったかしら?」


 イリスにそう言われて二人はブンブンと首を横に振る。


「いい土産話になりますよ。まあ、うちのかかあは信じねぇでしょうがね」


「ほんとだね。母ちゃんだけじゃなく、ここに来ていない奴は信じないと思う」


 ハンスも大きく頷いていた。


「ところで獣人族のことはどう思ったかな?」


 私が質問すると、ヨハンは一瞬表情が曇った。


「凄ぇとは思いましたが、なんだか取っつきにくいかなと思ってます。生真面目っていうか、どう言ったらいいですかね……」


「それなら話をしたらいいわ。ちょっと待っていてね」


 イリスがそう言って立ち上がり、周囲を見回した後、走り出した。

 恐らく獣人族に声を掛けに行ったのだろう。


 二、三分後、彼女は黒獣猟兵団の白虎ヴァイスティーガー族ヴェラと熊人ベーア族のヴィルギルを引っ張ってきた。


「マティ、もう少し詰めて」


「イリス様、俺たちが座るのは無理ですよ」


 身長二メートルを大きく超えるヴィルギルが申し訳なさそうに言っている。


「大丈夫よ。ほらヴェラも座って」


 大柄な美女ヴェラもマイペースのイリスに困惑気味だ。

 ハンスとマリーは強面のヴィルギルを見て、顔が強張っている。


「この二人は黒獣猟兵団の班のリーダーよ。ヴィルギルは見た目はちょっと怖いけど、根はやさしいから。ほら、ヴィルギルもヴェラも黙ってないで」


「いきなり連れてこられて、それはかわいそうだよ」


 そう言って私は笑った。


「このお二人がリーダー……ってことは、イリス様の直属の精鋭ってことですか! そいつは凄ぇ」


 ヨハンがそう言うと、ハンスが目を輝かせる。


「王都のマフィアを全滅させた黒い英雄……そんな人にも会えるなんて思っていなかった!」


 王都でならず者のアジトを壊滅した話は、噂として大々的に流したため、ここまで届いていたらしい。


「乾杯しましょう!」


 イリスがそう提案し、みんなで飲み物を掲げる。

 飲み始めると、見た目はクールな美女のヴェラが思ったより陽気で話が弾む。


「あたしらはヴェヒターミュンデやリッタートゥルムで、マティアス様やイリス様の指揮で戦っているんだ……お二人の指揮はほんとに素晴らしいんだよ。何度も戦っているけど、あたしらは誰一人欠けていないんだからね……」


 ヴィルギルも酒が入り、楽しげに頷いている。


「いやぁ、黒獣猟兵団の方たちはもっとお堅い方ばかりだと思ってましたよ」


「あたしらもあんたたちと変わらないよ。まあ、うちのリーダーのエレンは堅いけどね」


 そんな話で盛り上がる。


「私たちは他のテーブルを見てきましょう」


 イリスはそう言うと、私の腕を取る。

 ヴェラたちが立ち上がろうとしたので、イリスがそれを制する。


「ヴェラ、ヴィルギル、あなたたちはここで楽しんでいなさい。ヨハン、ハンス、マリー。楽しかったわ」


 そう言って手を振り、別のテーブルに向かう。


「兄様やハルトと飲みに行くのも楽しいけど、全然知らない人と話をするのもいいものね。それにヴェラたちともいつもより砕けた感じで話ができたし」


「そうだね。彼らはいつも気を張っている感じだから、こういった息抜きもいいかもしれない」


 そんな話をした後、いろいろな人の話の輪に入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る