第46話「勝利の美酒」
統一暦一二〇三年八月十一日。
グライフトゥルム王国西部ヴェストエッケ、ヴェストエッケ城内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
第二騎士団参謀長ベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵と守備兵団のライムント・フランケル副兵団長が捕虜交換の交渉を終えて戻ってきた。交渉は成功に終わり、懸案が一つなくなった。
ヴェストエッケ城内はまだ戦闘後の痕跡が残っているが、もう一つの大きな懸案であった死体の処理は目途が付いている。
あれだけあった死体は法国軍が掘ったトンネル内に運び終え、明日以降は埋戻しの作業に入ることになっており、血塗れの死体を目にすることはなくなった。
トンネルについては私も見に行ったが、思った以上に大きくしっかりしていた。ヴェストエッケ城内の奥深くまで掘り進められたら、危険だったかもしれない。
トンネルの城壁側百メートルほどは石や岩を入れながら土で固めている。こうしておけば、陥没する可能性が下がると考えたためだ。私自身には土木関係の知識はないため、実際に効果があるのかは分からないが。
得られた武具類は膨大な量で、倉庫に入りきらないほどだ。
鎧などは破損している物が多いが、補修すれば充分に使えるため、ヴェストエッケに必要な分を除き、王都に戦利品として持ち帰る。
それらの処理も私が指示を出していたが、夕方になったところでグレーフェンベルク子爵から声が掛かった。
「そろそろ祝勝会が始まるぞ。君が開催を提案したのだから遅れるなよ」
まだ敵軍がクロイツホーフ城に一万ほど残っており、このタイミングで祝勝会を開くことに反対の声が上がっていた。
しかし、法国軍が攻撃を仕掛けてくる可能性は限りなく低く、激戦の慰労のために宴会を開いた方が明日以降の作業が捗ると、私が提案したのだ。
もっとも、飲み過ぎる者は一定以上いるため、本当に作業が捗るのか自信はない。
祝勝会といっても全員が参加するわけではない。
今日は第二騎士団と守備兵団の半数だけで、残りは警戒に当たる。もちろん、今日参加しない者たちのために、明日も宴会を開くことになっていた。
「早くいきましょ! 兄様たちも待っているわよ」
イリスが私の背中を押してくる。
その子供っぽい仕草に苦笑しながら司令官室を後にした。
会場は城主館の南側の広場と中央道路だ。
半日前に激戦を繰り広げた場所で宴会というのもどうかと思ったが、六千人を超える参加者が一堂に集える場所はここくらいしかない。
会場では市民の有志たちが、酒樽と料理を運び込んでおり、兵士たちの多くが既に飲み始めていた。
ところどころ血痕が残っているが、誰も気にしていない。
「マティアス様も早く飲まないとなくなっちまいますよ!」
兵士の一人がジョッキを掲げながら声を掛けてくる。
「マティアス様のことだから、自分の分は既に確保してあるはずさ! そうでしょ!」
その声に苦笑が浮かぶ。
「残念ながら、そこまで気が回らなかったよ」
そう言うと、笑い声が上がり、お調子者が更にからかってくる。
「千里眼のマティアス様でも見逃すことがあるんですね!」
笑い声が絶えない場所を抜け、目的地に向かう。
行き先は子爵たちのいる場所だ。
「ようやく来たか! まずはこれを渡しておくぞ!」
子爵も既に飲み始めており、用意してあったジョッキを手渡してきた。イリスの分もあり、これで全員に酒が行き渡った。
「今回の勝利は君たち全員のお陰だ。これからも王国のためによろしく頼む」
参加者全員に演説をするのかと思ったら、司令部要員という内輪だけに簡単な言葉を掛けるだけだった。
そして、子爵がジョッキを掲げる。
「今回の勝利に乾杯!」
それに私たちも「「
イリスとジョッキを合わせた後、口を付ける。
飲み物はよく冷えたビールだった。
木製のジョッキであるため色は分かりづらいが、淡色系のラガータイプのもので、ホップの苦みと麦芽の甘みのバランスがよく、真夏の一杯目には最高に美味いビールだ。
ちなみにこの世界には冷却の魔導具というものもあり、冷えたビールを真夏でも飲むことができる。但し、魔導具は高価であるため、高級レストランや貴族の館くらいにしかない。
「美味しい!」
イリスが一気にジョッキを空にしてから叫ぶ。彼女を含め、私たち四人はいずれも酒は飲める方で、学生時代には演習の後に居酒屋に繰り出して飲んでいた。ちなみにこの国には未成年の飲酒を制限する法律はない。
「お腹も空いたから、何か摘まむものがほしいわね」
そう言って周囲を見回し、肉を焼いているところを見つける。
「取ってくるから少し待っていて! その間にビールをお願い」
そう言って空になったジョッキを私に渡すと、元気よく走り出す。
「ずいぶん明るくなったな」
子爵がしみじみと言ってきた。マルグリット王妃暗殺によって、イリスが落ち込んでいたことを知っているためだ。
「ええ。私もそう思います」
「それにしても彼女にも助けられた。君には大きな負担を掛けたが、イリスがいなければ、もっと無理をさせたはずだ」
「その点は私も同じ思いですよ。彼女の能力なら、帝国に行けばすぐにでも将軍になれると思いますから」
ゾルダート帝国軍では男女間の差別はなく、純粋に能力のみで評価される。そのため、帝国軍には多くの女性将官がおり、その多くが優秀な戦術家だ。
帝国というキーワードが出たため、子爵が真面目な顔になる。
「その帝国だが、動くと思うか」
「すぐに軍事行動を起こすかという問いでしたら、ノーでしょう。ですが、何らかの策謀を行ってくるということであれば充分にあり得ると思っていますし、帝国上層部の権力争いによっては何が起きるか分かりません」
帝国は今、リヒトロット皇国への侵攻に注力している。皇国は懸命に抵抗しているが、あと数年で皇都リヒトロットが陥落するのではないかと思っている。
そのため、帝国がグライフトゥルム王国に対して積極的に行動を起こすことは考えにくいが、最近作られた諜報局という組織を使って何か仕掛けてきても驚かない。
また、皇帝の後継者であるゴットフリート皇子とマクシミリアン皇子の争いは激化しつつある。状況いかんによっては何が起きるか分からないというのが正直なところだ。
「マルクトホーフェン侯爵と結託されると厄介だ。その辺りは君が警戒してくれていると考えていいのだろ?」
「情報収集は行っていますが、こういったことに完璧などあり得ません。ですので、閣下にもしっかりと対処していただきたいと思います」
そう言ってニコリと微笑む。
「相変わらず厳しいな……そろそろイリスが戻ってくるぞ。ビールを確保しておかないとまずいんじゃないか」
話しかけてきたのはあなたでしょうと言いたいところだが、慌てて大きな樽が置いてあるブースに向かった。
何とかビールを確保すると、イリスが戻ってきた。
「向こうで兄様とハルト、ユリウスが飲んでいたわ。そこにいきましょ」
そう言って私の腕を引く。
ジョッキを二つ持っているため、零さないように注意しながら付いていった。
「千里眼のマティアス殿も婚約者殿には敵わないようですな」
「確かにな。結婚前に既に尻に敷かれておる」
シャイデマン男爵とジーゲル将軍が楽しそうに話している声が後ろから聞こえてきた。
ラザファムたちがいる場所は二十メートルほどしか離れていなかった。
周りにはそれぞれの中隊の兵士たちもおり、この辺りだけ以上に人口密度が高い。
「軍師殿と
ハルトムートの部下の一人が大きな声で叫ぶ。
「待っていましたよ!」、「乾杯しましょう!」などと声が掛かる。
いつの間にか人垣の真ん中にイリスと二人で立っていた。
そして、若い兵士が大声で叫ぶ。
「我らが軍師様に乾杯!」
その音頭に周囲の兵士が一斉に唱和した。
「「「「
怒号のような乾杯の唱和に耳が痛くなるが、私もそれに負けないように叫んでいた。
それから何度も乾杯の声が上がったが、少し落ち着いたところでラザファムたちがやってきた。
「凄い人気だな、マティ」
ハルトムートがそう言ってニコニコと笑っている。既にかなり飲んでいるようで顔が赤い。
「兵たちのマティに対する信頼は信仰の域に達しているからな」
ラザファムがそういうと、ハルトムートが大きく頷く。
「うちの隊じゃ、俺が説明したら疑うんだが、マティがそう言っていたというと素直に信じるんだぜ。隊長としての威厳なんてあったもんじゃねぇよ」
「私のところでも似たようなものだぞ。まあ、そこまで露骨には言われたことはないが、マティが考えた策だと言った瞬間に強張っていた顔が緩むんだからな」
ラザファムがそういうと、イリスが話に割り込んでいく。
「それってどんな感じなの? 詳しく教えて、兄様、ハルト」
イリスが二人と話しているため、ユリウスと私が取り残される。
「お前のお陰で大きな武勲を挙げることができた。感謝する」
ラザファムたちとは違い、ぶっきらぼうとも言える口調で礼を言ってきた。最初の頃は機嫌が悪いのかと思っていたが、これが彼の普段の話し方だと気づいてからは気にならない。
「あれは君に実力があったからだよ。それにしてもあの距離で一射目から全部当てるなんて神業もいいところだな」
ユリウスは百メートル先のエドムント・プロイス赤鳳騎士団長を狙撃で仕留めている。更に副官や伝令など、団長付きの士官や兵を十人以上倒していた。
個人の武勲の大きさで言えば、王国軍で一番だと断言できる。
「あれはお前のお膳立てがあったからだ。私だけでは到底成し遂げられなかった」
ユリウスは生真面目すぎるところがある。
二人で話していると、イリスたちが再び話の輪に加わってきた。
「そういえば兄様とハルトはリーツ団長と直接剣を交えたんでしょ。どんな感じだったのかしら?」
イリスの問いにそれまで陽気だったハルトムートの表情が引き締まる。
「リートミュラーにも勝てないと思ったが、それ以上にリーツは強いと思った。一人の戦士としても指揮官としても……大博打を打ってようやく切り抜けられたくらいだ。それにあの引き際の見事さは見習うべきところがあると思ったな」
いつになく真面目なハルトムートに、周りにいる彼の部下ですら突っ込みが入らない。
「ハルトの言う通りだ。私はそれほど長く戦っていないが、彼が我流だったことが唯一の救いだった。もし四元流を修めていたら、私もハルトもここにはいなかっただろうな」
四元流は東方武術の一つだ。
レヒト法国では魔導師である聖職者が身体強化を教えるが、武術までは教えることができない。また、教会では身体強化は神から授けられた奇跡として扱われるため、技術として身体強化を身に着ける東方武術は異端とされている。
「あいつは危険だぞ、マティ。まあ、お前のことだから、既に手は打っているんだろうが」
ハルトムートの言葉に苦笑が漏れる。彼らは私がいつも先手を打っていると思っているからだ。しかし、今回は既に手は打ってある。
「一応手は打っているけど、成功するかは正直分からない。何といっても南方教会の情報が少なすぎるから」
私の言葉に四人が呆れたような表情を浮かべる。
「“
グレーフェンベルク子爵がジョッキ片手に話しかけてきた。
ラザファムとイリス、私の三人は数年来の付き合いがあるが、ハルトムートとユリウスはほとんど話をしたことがなく、対応に困っている。
「若者だけの秘密の話ですよ、閣下」
私がそういうと、子爵は「私も若いつもりなのだが……」と苦笑する。
それから三時間ほど飲み続けた。
激戦を繰り広げ、その後の後始末でも働き続けた兵士たちの多くが酔い潰れて眠っている。
「みんなでこんな遠くまで来て戦ったのね……」
隣にいるイリスがしみじみと呟く。
「そうだな。今回は勝てた。次も勝てるようにしないとな」
そう言ったものの、イリスから返事がない。
隣を見ると、彼女は私に寄りかかって眠っていた。
こんな時間を過ごせるようにしなければと心に誓いながら満天の星空を見上げた。
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