第64話「ヴェヒターミュンデの戦い:その六」

 統一暦一二〇五年九月七日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城外。第一師団長ウーヴェ・ケプラー将軍


 俺の師団は三割が戦死、残りもほとんどが負傷し、戦場を第三師団に譲っている。そのため、やることがなく、俺はヴェヒターミュンデ城が見える場所に座り、呆然とその戦いを眺めていた。


 空は濃い群青色が薄くなり、夜が明け始めている。

 さっきまでは城壁の上にある灯りの魔導具と篝火の光だけで、戦場の様子はほとんど見えなかったが、ぼんやりと見えてきた。


 城の周囲には帝国軍兵士の死体が無造作に転がっている。これほどの惨敗は経験したことがなく、現実のものとは思えない。


 城では第三師団の兵が城壁を登ろうとあがいているが、王国軍は疲れを見せることなく、着実に我が軍の兵士を葬っている。


 城から目を離し、周囲を見回す。

 そこには傷を負った兵士たちが呻きながら転がっており、精鋭であった面影は全く見られない。


(そろそろ限界だな……これ以上攻めても城は落とせん。これ以上兵を無為に死なせるわけにはいかん……)


 強引に攻めるしか手はなく、それも全く通用しない。この状況に兵だけでなく、俺の心も折れていた。


(兵を死なせるわけにはいかんが、俺は生き恥を晒すつもりはない。リップマンは気に入らんが、奴に降伏後を任せるしかなかろう……)


 そう考え、疲れた身体を引きずるように、ゆっくりと前線に向かう。

 第三師団長のオラフ・リップマンは城門から百メートルほどの場所で指揮を執っていた。この場所は投石器の攻撃範囲から外れているからだ。


「右翼に兵を送れ! 左翼はもっと積極的に攻撃しろ!」


 こめかみに青筋を立てるような感じで部下を叱咤している。


「リップマン卿、そろそろ頃合いではないか」


 俺が近づいたことに気づいていなかったらしく、リップマンはギョッとした感じで振り返った。


「頃合い……降伏するということか……そうだな。これ以上やっても兵が死ぬだけだ……」


 リップマンも俺と同じことを考えていたようだ。


「卿に頼みがある」


「何だ?」


 彼はそう言いながら、怪訝そうな表情を浮かべている。


「我が師団の兵たちのことを頼みたい」


 そこでリップマンは大きく目を見開いた。


「死ぬ気か?」


「いや、俺が前線に立ち、王国軍の奴らの目を引き付ける。その隙に最後の攻撃を仕掛けてもらいたい。時間は短いが、確実に奴らを引き付けてみせる。どうだろうか」


 俺の言葉にリップマンは小さく首を横に振る。


「無駄だろう。王国軍の兵はその程度で隙は作らん。無駄死になるだけだ」


 リップマンの言っていることは正しい。俺自身、成功するとは思っていないからだ。


「このままでは兵たちが納得せんだろう。だが、俺が死ねば兵たちも諦めるのではないか」


 第三師団は俺の兵ではないが、知っている奴は多い。

 猛将と言われている俺が討ち死にすれば、それで諦めるはずだ。


「卿はそのために死ぬというのか……」


「貴殿には不名誉な仕事を押し付けることになるが、よろしく頼む」


 それだけ言うと、リップマンの答えを聞かずに前進する。

 城門から五十メートルほどの場所まで近づくと、俺に向けて矢を放ってきた。それを盾で受けながら、更に前進し、三十メートルほどの場所に立つ。


 敵も俺が何をするのか分からず、攻撃の手が緩んでいる。

 この隙を逃さず、俺は腹の底から声を絞り出した。


「俺は帝国軍第三軍団第一師団長、ウーヴェ・ケプラーだ! 貴様らの姦計に嵌ったが、まだまだ戦える! 城から出て尋常に勝負しろ!」


 馬鹿なことを口にしているという自覚はある。尋常な勝負など戦争には不要だからだ。

 しかし、俺の気迫に押されたのか、王国側からの攻撃が止んでいた。


「出てこい! グレーフェンベルク! それとも俺が恐ろしくて姿を見せることができんのか!」


 先ほどまであれほど騒がしかった戦場が静まり返っていた。

 そのことにおかしさを感じる。


 あれほど冷徹に攻撃を加えてきた王国軍が、たった一人の言葉で動きを止めたからだ。こんなことならもっと早くやっておけばよかったと思う反面、この覚悟がなければ敵も雑兵を射殺すように俺を倒したことだろう。


「帝国の精鋭たちよ! 何をしている! この隙に総攻撃を掛けるのだ!」


 その言葉で戦場が動き出した。

 そして、俺に向かって百本以上の矢が放たれるのが見えた。


(いくらなんでも多すぎるだろう……ハハハ)


 まだ敵を笑う余裕があった。いや、死を前にして感性がおかしくなっているだけだろう。

 次の瞬間、盾だけでなく鎧や兜に強い衝撃を感じ、身体中で激痛が走る。鎧の隙間から何本も矢が突き刺さったようだ。


 衝撃と痛みでいつの間にか倒れており、俺は天を見上げていた。


(ゴットフリート殿下……もう役に立てそうにはないですわ……)


 俺は空を飛ぶ鳥を見ながら意識を手放した。


■■■


 統一暦一二〇五年九月七日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、物見塔。第二騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵


 城門の前に何本もの矢が突き刺さり、仰向けに倒れている敵がいた。

 敵の将、ウーヴェ・ケプラーだ。


 一人で城門に向かってきた時には降伏の申し入れかと思い、攻撃をやめさせた。しかし、彼は私を罵倒し、味方を鼓舞した。


「なぜあのような無駄なことを……」


 参謀長のエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵が呟いている。


「降伏を促すためでしょうね。猛将ケプラー将軍が打つ手もなく無謀な行動を採って戦死すれば、兵たちもこれ以上は無理だと諦めるでしょうから」


 マティアス君が冷静に解説する。


「でも分かる気がするわ。少しでも早く降伏すれば、生き残れる兵がそれだけ増えるのだから。あのまま後退を命じたとしても、素直にしたがったかどうか分からないもの」


 イリスの言う通り、絶望的な状況にもかかわらず、敵兵の士気は高かった。

 精鋭であるという矜持がそうさせたのかもしれないが、ここでヴェヒターミュンデ城を奪えば、生き残ることができると考えていたのだろう。


 その思いを断ち切るためにケプラーは死を選んだ。

 本当のところは分からないが、それが合っているような気がしている。


「降伏を呼びかけましょう。今がチャンスです」


 マティアス君の冷静な声が聞こえ、思考の底から現実に戻る。


「そうだな」


 彼に頷いた後、通信兵たちに命令を出す。


「各部隊に降伏を促すよう命じろ。武器を捨てる者には攻撃は加えぬと兵に叫ばせろ」


 通信兵たちが前線指揮官たちに命令を伝え、そこかしこで降伏を促す声が聞こえてきた。


 最初のうちは降伏勧告を無視して攻撃を続ける者がいたが、彼らの後方からも降伏せよという声が響き、敵兵はその場で剣を捨て始めた。


「武器を捨てた者に城から離れるように命じましょう。その際に負傷者を運ぶことは認めると付け加えてください。これで敵は反撃する気を失うでしょうから」


 相変わらずマティアス君は冷徹なままだ。

 負傷兵を救出させることは人道的な処置かと思ったが、戦友を助けるという使命を与え、抵抗する気を失わせるためのようだ。


 彼の指示が伝えられると、敵兵はまだ息のある兵士を運びながら下がっていく。しかし、城の前には数千に及ぶ敵兵の遺体が残されていた。


「フェアラート守備隊の隊長を使者として派遣しましょう。我々が説得するより、効果がありますから」


「自分たちの待遇を伝えれば、降伏した後に殺されないと信じるということか?」


「それもありますが、こちらが用意周到に待ち構えていたことを、友軍の口から聞けば、グレーフェンベルク閣下の深謀遠慮の凄さを理解してくれるでしょう。そうなれば、敗戦のショックと合わせて、更に大人しくなるはずです」


 そう言って笑っている。

 それに対し、私は苦笑するしかなかった。


「私の名をまた利用するのだな……よかろう。そのように手配してくれ」


 そう言った後、思わず愚痴が零れる。


「後世の歴史家がどのようなことを書くのか、恐ろしい気がするな。“深謀遠慮の名将グレーフェンベルク”などと書かれていたら、墓の下で悶えそうだ」


「そうなるためには帝国の野望を打ち砕かなくてはいけませんよ。歴史は勝者が作るのです。帝国の歴史家なら、“平和な時代を遅らせた極悪非道の策士”と書くでしょうから」


 マティアス君の言葉に司令部の面々は笑い声を上げる。


「そうだな。名将と書かれるように頑張るとするか」


 私は物見塔を降り、奮闘した兵士たちを労いにいった。

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