第63話「ヴェヒターミュンデの戦い:その五」
統一暦一二〇五年九月七日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城外。第一師団長ウーヴェ・ケプラー将軍
俺は心の中に広がる絶望に抗いながら、激しく燃える浮橋を眺めていた。
浮橋が焼き討ちされる少し前、第三師団が渡河してきた。こちらには何の連絡もなかったことから、橋頭堡内に混乱が起きている。
更にそれを見越したように敵は攻撃を強め、第三師団到着の混乱は戦場にまで飛び火した。これを命じたテーリヒェン元帥に対し、殺意に似た感情を抱いたが、それを無理やり抑え込んで混乱を収めていった。
その混乱がようやく収まったところで、浮橋を焼かれた。
前線にいる部下たちもそのことに気づいて動揺し、敵の猛攻と相まって、城壁付近では多くの兵が倒されている。
「落ち着け! 後ろには戻れぬが、目の前の城を落とせばいいだけだ! 先ほどまでと何も変わらん! それに第三師団もいるのだ! 帝国の精鋭二個師団で落とせぬ城はない!」
俺の言葉で部下たちの動揺は収まった。
「我らが生き残る道はただ一つ! 死ぬ気になって攻撃せよ!」
「「「オオ!!」」」
部下たちも後がなくなったことで、覚悟を決めたようだ。
「どうするつもりだ、ケプラー卿」
第三師団長のオラフ・リップマン殿が不安そうな表情で聞いてきた。
ここに来た当初は自分たちが城を落とすと豪語していたが、この状況に不安になっているようだ。
「正面に間断なく持てる戦力を叩きつける。その上で海岸と湿原にも兵を回し、西側からも攻撃を掛けるつもりだ」
「そうか……」
「リップマン殿はどうなされるつもりだ? 今のままでは我が師団だけで攻撃できるところは埋まってしまうが」
俺はこのリップマンという男をあまり評価していない。
師団長になっただけのことはあり無能ではないのだが、大局が見えていない。また、出世欲が強すぎる点も気に入らないところだ。
「湿原内を突破できぬか確認する。無論、第一師団と交代して城への攻撃も行うつもりだ。代わるタイミングはケプラー卿の判断に任せる」
何かやるかのように言っているが、実質的には何もしないと言っているに等しい。
湿原内に通れるルートがないことは、六年前にも確認されているし、昨日のうちに我々も再確認している。
ヴェヒターミュンデ城周辺以外、シュヴァーン河とシュティレムーア大湿原は繋がっており、数歩進むだけでいきなり深みに落ちる。鎧を脱ぎ、槍で深さを確認しながら歩けそうなルートを探したが、無駄骨だった。
ボートを使って移動できないかも確認しているが、葦のような草が生い茂り、喫水が深いボートでは百メートル進むだけでも一時間以上掛かり、この方法も使えないことが分かっている。
リップマンにもそのことは伝えてあるが、やることがないからやってみるのだろうと特に何も言わなかった。
リップマンが去ったため、指揮に専念する。
部下たちが命懸けで城壁に迫るが、城壁の上に辿り着ける者はごく少数だ。その少数の者も後続が上がってくる前に、集まってくる敵兵に殺されている。
破城槌も本格的に使用する。
そのために重装歩兵一個中隊百名を動員した。
半数の五十名が破城槌を移動させ、残りが盾を構えて破城槌を押す兵を守るという体制だ。
兵たちの奮闘もあり、破城槌は城門に達したが、敵は対処方法を予め考えていたようだ。
城門の上から大量の石が投げ落とされた。その石は一つ十キログラムほどで、十メートルの高さから投げ落とされると、盾では防ぎきれない。
兵士たちが傷を負い、動きが止まると、敵は破城槌の台車を狙い始めた。そして、台車の車輪が破壊され、完全に動けなくなる。
破城槌には人力でぶつけるためのロープが取り付けてあった。そのため、台車から木の柱を取り外せば使えないことはないのだが、上からの攻撃が激しく、断念している。
迂回させた部隊に期待しているが、破城槌の状況を見る限り、グレーフェンベルクはこの策も想定しているはずだ。
俺は絶望に染まりながら、部下たちを叱咤していった。
■■■
統一暦一二〇五年九月七日。
グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、物見塔。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
深夜三時頃。あと二時間ほどで空が白み始めるはずだが、まだ宝石を散りばめられたような星空が広がっていた。
下に目を向けると、帝国軍と王国軍が死闘を繰り広げている。
ここからはよく見えないが、城壁の下には帝国兵の死体が山積みになっているはずだ。対する我が軍も重軽傷者が続出し、治癒魔導師による治療が追い付いていない。
猛攻を受け止めた第三騎士団では、戦死者は二百名を超え、負傷者も千名を数えている。今は第四騎士団に代わっているが、帝国の精鋭による死に物狂いの攻撃に手を焼き、時間と共に損害が増大している状況だ。
「大丈夫なのか……」
第二騎士団の参謀長であるエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵が呟いている。
他にも総司令部である第二騎士団の参謀たちも不安げな表情を浮かべている者が多い。
私は笑みを浮かべてそれに答える。
「問題ありません。こうなることは事前に分かっていましたし、城壁の一部を奪われたとしても、第二騎士団とヴェヒターミュンデ騎士団が待ち受けています。城門さえ確保できていれば、恐れることは何もありませんよ」
「参謀長代理の言う通りだ。今は敵の最後のあがきに過ぎん。朝になれば、積み上げられた死体の山が嫌でも見える。帝国兵の心が折れるのも時間の問題ということだ」
グレーフェンベルク伯爵も状況を理解しており、余裕の笑みを浮かべていた。
伯爵は私に視線を向けた。
「この状況では私にできることはない。先ほど頼んでおいた、帝国軍への降伏勧告とその条件について聞かせてくれないか」
「帝国兵が絶望するまでまだしばらく掛かりそうです。降伏勧告は明るくなってからでいいでしょう。こちらが出す条件は全面降伏のみ受け入れるということです。この条件を受け入れるなら、自ら武装を解除して城壁の下に運ばせます。それを回収した後に兵士を隔離していけば、逆襲されても対処は容易ですから」
私の答えに伯爵は満足げに頷く。
「その後はどうするのだ? 拘束といってもロープで手足を縛るくらいしかできん。数が多いだけに、ここに置いておくのは不味いのではないか」
「そうですね。当面は城壁の下に天幕を設置して収容し、城には入れません。その間に捕虜の処遇について王都の判断を仰ぎ、可能であるならラウシェンバッハ子爵領の獣人入植地付近に移送しましょう。獣人たちなら帝国兵が反抗してもあしらえますし、彼らの忠誠心を考えれば帝国兵と共謀することはありえません。その間に人質の解放について帝国政府と交渉を行います」
「黒獣猟兵団と同程度の腕の持ち主が三千はいるのだったな。ならば、非武装の帝国兵では手も足も出まい。だが、いいのか? 獣人たちに警備を任せることになるが。それに帝国に彼らのことが知られることも不味いのではないか?」
伯爵は私が獣人たちを兵士として徴用しないと言ったことを、覚えていたようだ。
「積極的に戦いに参加してもらうことは気が引けますが、周辺の監視と脱走者の確保であれば、彼らなら命の危険はほとんどないでしょう。帝国には黒獣猟兵団の存在が既に知られているでしょうから、今更隠しても仕方がないと思っています。それよりも王国に危険が及ばないようにすることの方が重要です」
獣人たちにはできるだけ平穏に暮らしてもらいたいと思っているが、帝国の情報局は獣人入植地のことを既に調べているし、黒獣猟兵団との関係はすぐに気づくはずだ。
それにラウシェンバッハ子爵領は商都ヴィントムントとエンテ河で繋がっており、移送や食糧などの物資の補給も容易い。
「分かった。ラウシェンバッハ子爵に了承してもらう必要があるが、君がいいと思っているなら子爵も反対はせんだろう。とりあえず、捕虜の処置はそれでいいな」
その後、予想通り帝国軍は海側と湿原側を強引に突破してきたが、予め配置していた部隊によって全滅させている。
空が明るくなり始めても、帝国軍の激しい攻撃は収まらず、私たちもこの物見塔から離れることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます