第32話「皇帝崩御:前編」
統一暦一二〇六年四月三日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト
午後五時過ぎ、軍務尚書のシルヴィオ・バルツァー殿と今後について協議している時、侍従が慌てた様子で入ってきた。
「大至急、陛下のところにお越しください!」
侍従はそれだけしか言わなかったが、陛下の容体に何かあったのだとすぐに理解する。
バルツァー殿も同じように考えたのか、すぐに立ち上がった。しかし、その表情は普段通りだ。私も内心の焦慮を隠し、いつも通りの表情を作る。
「急ぎのようだな。陛下をお待たせするわけにはいかぬ」
「そうですね。軍関係の情報が入ったのかもしれません。急ぎましょう」
私たちの演技で周囲にいる官僚たちは、王国や皇国で何かあったとしか思っていないだろう。
陛下の部屋に入ると、治癒魔導師が必死に治癒の魔導を掛け続けていた。
侍従長が不安そうな表情で見ていたので、話を聞く。
「陛下のご容体は?」
「先ほど急に呼吸が弱くなられたそうです。治癒魔導師の見立てではこれからが山だと……」
語尾が小さくなり、治癒魔導師は更に厳しいことを言ったようだ。
「両殿下とマウラー閣下に連絡は?」
「既に連絡を入れております」
その言葉通り、その直後にマクシミリアン殿下が早足で入ってこられ、その後ろからマウラー閣下が続く。マクシミリアン殿下は焦りを含んだ表情で、マウラー閣下も普段の落ち着いた雰囲気はなく、憂いを隠しきれていない。
「陛下! マクシミリアンです! 病に負けてはなりません!」
マクシミリアン殿下が陛下の手を取り、叫んでいる。その姿は普段見ることがないもので、冷徹な策謀家の印象は全くない。
陛下はその声にも応えることはなく、弱々しい呼吸だけが微かに聞こえてくる。
「父上のご病状は!」
ゴットフリート殿下が入ってこられた。
「危険な状況とのことです。マクシミリアン殿下の呼びかけにも反応がありません」
「そうか……」
そうおっしゃると、寝台に向かわれた。
マクシミリアン殿下と同じように枕元で声を掛けられるが、陛下に変化はなかった。
それから一時間ほどで側室方や両殿下以外のお子たちが現れる。マクシミリアン殿下の母君である皇妃殿下は既に他界されており、これで遠方に嫁がれた姫君たち以外のご家族がすべて集まったことになる。
更に一時間ほどすると、陛下のご様子が変わってきた。
それまでの弱々しい呼吸音すら聞こえなくなり、息をしていることすら分からない。
治癒魔導師たちは懸命に魔導を掛け続けているが、その表情に余裕はなく、遂にその時を迎えるのだと私は覚悟を決めた。
それから五分ほど経った頃、治癒魔導師が顔を上げる。
「皇帝陛下が身罷れました」
掠れた小さな声だが、私には落雷以上に大きく聞こえた。
「「父上!」」
ゴットフリート殿下とマクシミリアン殿下が同時に叫ぶ。
私はその光景を見ながらも、陛下が身罷られたという事実を受け入れられなかった。唯一無二の主君を失ったことを心が拒否しているのだ。
隣にいるバルツァー殿が呆然としている。常に冷静で呆けることなどないと思っていたが、彼でもこのような顔をするのだと場違いなことを考えていた。
そんな私も同じような表情をしているはずだ。
それでも自らの心を無理やり現実に引き戻す。
「ゾルダート帝国第十一代皇帝コルネリウス二世陛下が崩御されました。お悲しみの中、申し上げにくいのですが、今後についてご指示をいただきたく存じます」
マクシミリアン殿下とゴットフリート殿下が同時に振り返った。
「そうだな……兄上、悲しむのは帝国の未来を決めてからにしましょう。父上もそれをお望みのはず」
「……ああ。父上なら悲しむ前に国のことを考えろとおっしゃるだろう……」
今のお二人を見ると、中のよい兄弟にしか見えず、これまで激しく皇位を争ってこられたとは思えない。この先、手を携えることができるのではないかと思ったほどだ。
「侍従長、この場のことは任せる」
悲しみに暮れる側室方や皇子、皇女のことを侍従長に任せ、マウラー閣下にも声を掛けた。
「閣下、今後のことを決めなければなりません」
普段の剛毅さが影を潜め、立ったまま涙を流しておられる。二十年以上にわたり、戦場を駆けてきた二人には、私たちの知らぬ絆があるのだろう。
私の言葉に「承知」とだけ答えた。
別室に入るが、誰も口を開かない。仕方なく、私が切り出した。
「陛下のご崩御につきましては、皇室から発表していただきます。ご葬儀については内務府で準備を進めてまいりますが、最も重要なことを決めなければなりません」
「そうだな」
マクシミリアン殿下が反応された。
「兄上にお聞きしたい。皇位継承権の放棄を撤回することはないと考えてよいでしょうか」
ゴットフリート殿下はその問いに僅かに間があった後、ゆっくりと頷かれた。
「……撤回する気はない。お前の即位を全面的に認める。これが最も我が国に混乱を与えない方法だからだ」
「ありがとうございます」
マクシミリアン殿下はそう答えると、私の方を向いた。
「フェーゲラインには陛下のことは伝えてあるな」
「はい。本日の午後一番に直接伝えております。フェーゲライン議長はすぐにでもお見舞いをとおっしゃられましたが、治療に専念すべきであるので、明日以降で調整すると答えています」
枢密院議長であるハンス・ヨアヒム・フェーゲライン殿は最初に聞いた時には驚いておられたが、すぐにいつもの冷静な表情で私を見ていた。私の表情から陛下の容体を探ろうとしたのだろう。
「では、すぐにでも呼び出さねばならん。皇位継承の手続きはともかく、陛下の葬儀を誰が取り仕切るのか、早急に決めねばならんからな」
葬儀を取り仕切ることで後継者であることを示す必要があるとお考えのようだ。
「では、すぐに来ていただきましょう」
私は部屋の外に出ると、侍従に部下を連れてくるように命じた。
■■■
統一暦一二〇六年四月三日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。マクシミリアン・クルーガー元帥
父コルネリウス二世が亡くなった。
その事実を淡々と受け入れられると思っていたが、想像以上に強い衝撃を受けているようで、頭が回らない。思った以上に父に依存していたようだ。
幸いシュテヒェルトが冷静に仕切ってくれたので、ボロは出さなかったが、早く気持ちを切り替えないと、フェーゲラインに付け込まれると焦っている。
シュテヒェルトが伝令を出してから三十分ほどでフェーゲラインはやってきた。
「陛下が身罷られたと伺いましたが……」
この男は感情をほとんど見せていない。
「そうだ。卿も最後の別れをしてくるといい」
兄ゴットフリートがそう言って寝室を指差した。
フェーゲラインは私たちに頭を下げた後、寝室に向かう。
「ここからお前が仕切れ。でなければ、フェーゲラインに侮られるぞ」
まさか兄にそんなことを言われるとは思わなかったが、この状況を戦いと見ているなら、十分にあり得ると思い直す。剛毅な兄は事実を素直に受け入れ、次の手を打つべきと考えたのだろう。
それに気づいたが、自分がまだ呆けていたことに苦笑するしかなかった。
「そうですね。助かりました」
フェーゲラインが戻ってきたが、表情に変化はない。
「陛下の葬儀だが、私が取り仕切る。これについては、兄上も同意している」
「殿下が皇位継承の指名を受けたと理解してよろしいですかな?」
白々しく聞いてきた。
「いや、陛下は意識を戻されることなく身罷られた。だから、皇位継承については白紙の状態だ」
「ならば、認められませんな。先代の葬儀を取り仕切る方が次期皇帝陛下という慣例となっております。それを破ることになりますから」
そう言ってくることは想定していた。
「あくまで慣例であって明文化したものではない。確認するが、卿は誰ならば認めるのだ?」
「はばかりながら、私が適任でしょう。皇帝陛下が外征中の国家元首代行者は枢密院議長と明記されておりますので」
「先ほどの卿の言葉では、葬儀を取り仕切る者が次期皇帝だということだった。つまり、卿は皇位を簒奪すると宣言するのだな」
稚拙な反論だが、フェーゲラインの表情が僅かに動いた。
「そのような意図はございません。あくまで国家元首代行者として行うだけです。殿下が取り仕切られるより、根拠は明確だと思いますが?」
「私が取り仕切るのは皇位継承権を持つ者の中で最年長であるためだ。ゴットフリート兄上は皇位継承権を放棄しているから、私が取り仕切ることが最も合理的だ。無論、皇位継承と葬儀は関係がないことは明言しておく」
私の言葉にシュテヒェルトらが頷いている。
「承知いたしました。ですが、枢密院は次期皇帝陛下の選任についての諮問を受けておりません。そのことはお忘れなきように」
あっさりと引いてきたことが気になるが、今はそのことを考えるよりも葬儀を取り仕切るという実績を優先すべきだ。
「もちろんだ。今回のような事態は想定されていない。私からも提案をするつもりだが、枢密院でも検討してもらえると助かる」
「承りました。それではお互い忙しくなるでしょうから、これにて引き上げさせていただきます」
そう言ってフェーゲラインは我々の下を去った。
「フェーゲライン議長が動くにしても葬儀の後でしょう。国葬の準備を早急にいたします」
シュテヒェルトがそう言ってから退出した。
「軍の方はマウラー元帥に任せたい。怪しい噂が飛び交うかもしれんが、乗せられぬように頼む」
「御意」
マウラーは短く答えて頭を下げる。
少なくともシュテヒェルトとマウラーは信じてもよさそうだと安堵する。
そこでバルツァーに視線を向けた。
「シュテヒェルトの負担が大きい。卿には彼のサポートを頼みたい」
この状況で軍政を担当する軍務府には各地の駐屯軍への通達くらいしか仕事はない。しかし、内務府は式典の準備や皇位継承後の諸々の手続き、更には王国の謀略を防ぐ仕事まである。シュテヒェルトは有能だが、さすがに一人ですべての指揮を執ることは難しい。
「承知いたしました」
バルツァーも私が皇位継承を即座に求めなかったことで、反抗的な態度は採らなかった。
一人になったところで、ドッと疲れが襲ってきた。
(これからが正念場だな。まずはバルツァーの信頼を勝ち取ること、枢密院をどうにかすること、王国の干渉を防ぐこと……やることは山積みだ……少々強引にでも、次期皇帝として私自身がやらねばならないのだ……)
決意を新たにして、皇宮で指揮を執り始めた。
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