第31話「護衛体制強化」

 統一暦一二〇六年四月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 王国騎士団本部に呼び出された後、一旦屋敷に戻った。

 父や母に事情を説明した後、シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペの宿舎に向かう。


 私とイリスの他にライナルト・モーリスの息子であるフレディとダニエルもいる。彼らにも関係する可能性があるため、一緒に説明しておこうと思ったのだ。


 黒獣猟兵団の宿舎は本邸の裏にある。

 元々は物置小屋があったが、それを取り壊し、十三メートル×九メートルの二階建ての建物を建てた。


 三段ベッドが二つと小さな共用スペースがあるだけの狭い六人部屋が十室と、十人ほどが一度に座れるテーブルを二つ並べただけの小さな食堂、そしてトイレとシャワー室があるだけだ。


 窮屈な宿舎で申し訳ない気持ちになるが、彼らはここでも充分と言っている。

 実際、騎士団の兵営と一人当たりの面積的には大差はなく、食事の質がよい分、ここの方がいいらしい。


 食堂に入ると、すぐに各氏族のリーダー十名を招集する。


「各氏族のリーダーはすぐに集まってくれ」


 既に護衛として同行した者から、私が話をしに来ると聞いており、制服を着た状態ですぐに集まった。

 十人は直立不動で並んだ後、即座に席に着く。


「帝国で大きな動きが起きている可能性が高い。すぐに我が国に影響が出るとは思わないが、帝国が謀略を仕掛けてくる可能性は否定できない。そして謀略の標的となるのは私だろう。今後、私と妻だけでなく、父や母の身に危険が及ぶかもしれないということだ」


 全員が緊張した面持ちで私の言葉を聞いている。


「よって、今後は私と妻だけでなく、父にも護衛を付ける。もちろん母が外出する時も護衛を付けるつもりだ。また、夜間の警備も強化する。現在の五名体勢から十名体制とし、万全を期す」


 父は宰相府に出仕しているが、その移動には馬車を使っている。

 宰相府は王宮内にあり、屋敷からは五百メートルほどしかないから、徒歩でも十分ほどで行ける。しかし、子爵家の当主として馬車を使うよう義務付けられているのだ。


 伯爵家以上の上級貴族であれば、護衛の騎士が数名同行することがあるが、毎日宰相府に出仕する下級貴族に護衛が付くことは稀だ。


 そのため、ラウシェンバッハ家でも御者とドアの開け閉めのための家令以外は同行していない。もっともそのいずれかは“影供シャッテン”であり、安全には配慮している。


「父に付ける護衛は宰相府、すなわち王宮の中に入ることになる。そのため、各リーダーを我が子爵家の騎士とすることとした」


 獣人を護衛に使っている家はほとんどなく、彼らが王宮内に入れば嫌でも目立つ。

 王宮内に平民の兵士を入れてはいけないという決まりはないが、トラブルがあった場合に騎士であった方が揉めないため、予防措置としては有効だ。


 私の言葉に全員が目を見開く。

 数年前まで奴隷に近い生活をしていたため、騎士の称号を得られるとは思っていなかったからだろう。


「といっても、これは正式な叙任ではない。あくまでラウシェンバッハ子爵家の騎士であるということを当主である父が認めるだけだ。当然、身分的には平民のままだし、叙任された騎士と同格になるわけでもない。それでも“ラウシェンバッハ子爵家の騎士”と名乗ることが許される。よって、ラウシェンバッハの名を背負う覚悟を持つ者のみに授けるつもりだ」


 ややこしいのだが、“騎士爵”は準貴族という身分を、“騎士”は兵士を指揮する職位を表しており、明確な差がある。但し、“騎士”も軍の中では一定の地位にあるため、ある程度の敬意は払われており、ただの平民とは明確に区別されている。


 イリスに視線を向ける。

 彼女は小さく頷くと、すくっと立ち上がった。


「団長として諸君らに問う! ラウシェンバッハ家の騎士と名乗る覚悟はあるか! その覚悟がある者はそれを示せ!」


 次の瞬間、全員が一斉に立ち上がった。


「「「わが命に賭けて!」」」


 彼らは全員が短剣を抜き、それを右手に持ったまま敬礼を行った。その姿は自らの心臓に短剣を当てるかのようにも見え、命を賭けるという言葉を表していた。


「覚悟は見せてもらったわ」


 イリスは満足そうにそう言った後、私に顔を向ける。


「黒獣猟兵団の団長として、私は全員を騎士として推薦するわ」


「了解した。では、あとで父上にそのことを伝えよう」


 エレンたちは私の言葉に顔を紅潮させている。


「各班のサブリーダーを決めておいてほしい。サブリーダーにも私の護衛として士官学校に行き、補助教員をしてもらう。リーダーが五人も私の護衛に着くと、警備体制強化に綻びが出かねないからね」


「はっ! 各班のサブリーダーを早急に決定し、体制の見直しを行います!」


 取りまとめであるエレン・ヴォルフが律儀に答える。

 そこでその様子を見ていたモーリス兄弟に視線を向けた。


「フレディとダニエルだが、君たちは私の弟子というだけでなく、大商人ライナルト・モーリス殿の息子だから、人質に取られる可能性は否定できない。フレディの学院の行き帰りに黒獣猟兵団から護衛を一名付けてほしい。ダニエルが外に出る時も同様だ」


「僕たちに護衛はいりません。何かあってもマティアス様にご迷惑をお掛けするようなことはいたしません。父からも分を弁えるようにと言われています」


 フレディがそう言って断ってきた。弟のダニエルも何度も頷いている。

 商業都市ヴィントムントで育った彼らには、外に出るだけで護衛が付くというのが畏れ多いという印象なのだろう。


「永遠にそうするわけじゃない。そうだね、夏休みまで我慢してくれたら、護衛は不要になっていると思う」


 フレディたちだけでなく、エレンたちも理解できないという感じで言葉を失っている。


「どういうことかしら? 七月になったら、侯爵が手控えるようなことが起きるということ?」


 イリスが皆を代表して聞いてきた。


「ライナルトさんに親バカの振りをしてもらう。大事な二人の息子に何かあれば、王国だろうが帝国だろうが許さないという感じで、いろいろなところで話してもらうのさ」


 私の説明でイリスが理解した。


「モーリス商会を敵に回せば、王国も帝国も大混乱に陥るわ。そんなリスクを冒してまで、二人に何かしようなんて思わないということね」


「それもあるけど、ライナルトさんが私に入れ込んでいるのは、二人のためという話にしたい。そうすれば、モーリス商会も安全になるから」


 ここまで説明したところで、フレディが理解したようだ。


「分かりました。僕も人が見ているところでは、できるだけ父に褒めてほしいと甘えるようにしてみます」


「僕も兄さんに負けないように、マティアス様に教えてもらっていると、大きな声で言うようにします」


 この二人の理解力は素晴らしい。普通の十三歳と十一歳の少年なら、私たちの会話を理解することは難しいはずだ。それなのに、私が意図していることを正確に理解し、実行すると言っている。


 これまでモーリス商会の状況はできる限り丁寧に説明してきたが、今の言葉だけで自分たちの役割まで気づくとは思わなかった。


「偉いわね。あなたたちなら本当にマティの弟子になれそうよ」


 そう言ってイリスが褒めると、二人は顔を赤らめていた。

 私はそれを微笑ましく見ていたが、すぐに表情を引き締める。


「私たちにとって、王都は必ずしも安全な場所じゃない。マルクトホーフェン侯爵が本格的に敵対してきた以上、敵地だと思ってほしい。それに敵は侯爵だけじゃない。帝国も軍を動かせないから、その分謀略を仕掛けてくるだろう……」


 全員が私の説明を真剣な表情で聞いている。


「謀略といっても、マクシミリアン皇子なら、直接的な手を使うことをためらうことはない。彼にとって諜報員は使い捨ての駒に過ぎないし、王国が混乱するなら一億マルクでも安い物だと割り切るだろうから。だから、今までと同じだという先入観は捨ててほしい」


 もし、皇帝が倒れたのであれば、回復してもマクシミリアン皇子の力が強くなることは間違いない。そうであれば、今まで以上に大胆な手を打ってくることは明らかだ。


 もっとも長距離通信の魔導具のことは秘密であり、彼らに皇帝のことを言うわけにはいかない。しかし、私が危機感を持っていると思ってくれれば、油断することはないだろう。


 その後、エレンたちはラウシェンバッハの騎士と名乗ることを正式に許可された。

 そして、元々屋敷にいる騎士や従士に説明を行った。


 彼らにしてみれば、私の護衛に過ぎなかった獣人族が、いきなり同僚や上司になるのだ。ここで感情的なしこりを残されると付け込まれる隙になりかねない。


 幸い、我が家の騎士や従士は全くといっていいほど反発しなかった。元々文官の家系であり、屋敷にいる騎士と従士は門番やイベントでの形式的な護衛に過ぎなかったためだ。


 彼らも私が危機感を持っていることを知っているが、エレンたちのように本格的な護衛をしろと言われても困ると思っていたようだ。


 この人事だが、侯爵への対応の他に、ラウシェンバッハ騎士団創設への布石でもある。

 騎士団創設時にいきなり騎士として扱うようになるより、今のうちから騎士であるということを認識させておけば、元からの家臣も納得しやすいと考えたのだ。


 今のところ我が家に対する調略は皆無だが、そのうち、調略を掛けてくることは間違いない。


 元からの家臣に対しては、金銭的だけでなく適切な役職を与えることで、待遇面でも充分に配慮しているつもりだ。

 しかし、嫉妬という感情は扱いが難しく、慎重にならざるを得ない。


 我が家の準備は着々と整いつつあるが、二日後帝都から驚くべき情報がもたらされた。

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