第30話「王国の対応」

 統一暦一二〇六年四月一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 ゾルダート帝国の状況だが、帝都ヘルシャーホルストは火種を抱えているものの、落ち着きを取り戻しつつあった。そのため、次の策を考えているところだが、なかなかいいアイデアが思いつかない。


 王国内では、マルクトホーフェン侯爵が上級貴族を相手にロビー活動を行っているが、私の方でも侯爵派の次男以下に対して、切り崩し工作を行い、更に騎士階級や平民階級に対して情報操作を行って対抗している。


 いずれもすぐに結果が出るようなものではなく、表面上は平和そのものだ。


 今日の士官学校での授業を終え、屋敷に戻ってきた後の午後七時過ぎ、家族で夕食を摂っている時、執事でもあるシャッテンのユーダ・カーンが小声で話し掛けてきた。


「情報分析室から連絡がありました。帝都で大きな動きがあったようです」


「どのような動きですか?」


 私も父や母に気づかれないように小声で聞く。


「白狼宮に潜入しているシャッテンからの情報では、皇帝に異変が起きたらしいとのことです。早朝から皇宮内は慌ただしく、更に軍務尚書や内務尚書が夜明け前に皇宮に入り、更にマクシミリアン皇子が両尚書と協議を行ったそうです。詳細は分かっていませんが、皇帝に何か起きたのではないかと」


「分かりました。その情報はグレーフェンベルク閣下にも入っていますか?」


「ネッツァー上級魔導師から伝えられたと聞いております」


 そこで私は騎士団本部への呼び出しがあると確信する。


「明日は休日だけど、グレーフェンベルク閣下からの呼び出しがあるはずだ」


 妻のイリスにそう言うと、彼女も同じ考えだったのか、大きく頷いている。


「そうね。明日になれば、第二報も入っているでしょうし、帝都のシャッテンをどう動かすべきかという相談があるわね」


 翌日、朝食を終えた頃に、一人の騎士が屋敷を訪れた。


「グレーフェンベルク閣下より、ラウシェンバッハ教官にご足労願いたいとのことです」


 既に準備は終えていたので、イリスと共に馬車に乗り込む。

 馬車の周囲には十名の黒獣猟兵団が完全装備で周囲を警戒している。


 安全な王都内だし、“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”の陰供シャッテンが密かに護衛しているので、本来ならここまでの警戒は必要ない。

 これはマルクトホーフェン侯爵への嫌がらせだ。


 侯爵が私を排除すべきと声高に言っていることは周知の事実だ。そして、“千里眼のマティアス”と呼ばれている私が露骨に護衛を付ければ、侯爵が本気で私の命を狙っていると周囲は思うだろう。


 それに本気で狙ってくる可能性も無きにしも非ずだ。

 魔導師の塔“真理の探究者ヴァールズーハー”の下部組織、“真実の番人ヴァールヴェヒター”の隠密を大量に雇っており、私の命を狙ってくる可能性は皆無ではない。


 もっとも陰供シャッテンだけでも真実の番人ヴァールヴェヒターの隠密が十名以下なら問題なく排除できるそうだ。しかし、それ以上になると私を守り切れないかもしれないと“シャッテン”の護衛のリーダー、カルラから言われている。


「いちいち大袈裟に護衛を付けないといけないから大変ね」


 そう言うイリスも鎧を身に纏っており完全装備だ。これも黒獣猟兵団の護衛と同じ理由だ。未だに“月光のモントリヒト剣姫プリンツェッスィン”という名は有名で、民たちは私を守るためだと思うはずだ。


「まだ暴発するほどでもないけど、気をつけておいた方がいいからね。侯爵が苛立っているという噂が聞こえてくるから」


 そんな話をしながら、貴族街を出て騎士団本部に向かう。商業地区を通ると、人々が私たちに注目する。その中を走り抜け、本部に到着した。

 そして、すぐに騎士団長室に通される。


 そこには王国騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵と、参謀長のエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵が待っていた。


「休日の朝から済まない。既に第一報は聞いていると思うが、先ほど第二報が届いた。ゴットフリート皇子も呼び出されたそうだ。今は情報収集に注力すべきだと思うが、どこを重点的に見ておくべきか、君たちの意見が聞きたい」


 帝都には“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の情報分析室に属する“シャッテン”と、その協力者たちが多くいる。彼らを有効に使うための意見を求めてきたのだ。


「皇宮の中は警備が厳重になっているので、このまま動かさない方がよいでしょう。枢密院の元老たちと第一軍団長のマウラー元帥、第三軍団長のガリアード元帥を重点的に監視すべきと考えます」


「分かった……まだ情報が少ない段階だということは承知している。それを承知で聞かせてほしい。帝都で何が起きているのか、現時点での君の見解を知っておきたい」


 グレーフェンベルク伯爵が聞いてきた。


「恐らくですが、皇帝が再び倒れたのではないかと思います。兵士たちの暴動は未然に防がれていますし、民衆もまだ暴動を起こすほど不満を溜めていません。元老たちもフェーゲライン議長を含め、動く兆候はありませんでした。このタイミングで皇帝が最も信頼する両尚書を呼び出し、更に後継者候補も加わったのですから、皇帝の健康問題の可能性が一番あると思います」


 グレーフェンベルク伯爵が頷く。


「確か一年半前に魔導器ローアの異常で閲兵中に倒れていたな。それが再発したかもしれんな……皇帝がこのまま死んだら帝国はどうなるかな?」


 その問いに、これまで考えてきたことを答えていく。


「後継者が指名されているのか、指名されているとしたら誰なのかで変わると思います。もし、指名されていないまま崩御すれば、枢密院が動き出すでしょう。九名いる枢密院議員のうち、七名が承認しなければ、次期皇帝として認められないのですから、自分たちの力を取り戻すために何らかの動きを見せるでしょう」


 枢密院は九名の議員で構成され、新皇帝の即位が妥当か審査する。現状では反マクシミリアン皇子派は少数だが、三名の議員が反対するだけで即位は認められない。


 現在の議長であるハンス・ヨアヒム・フェーゲライン元内務尚書は、昨年十月の皇帝及びマクシミリアン皇子が行った枢密院議員逮捕・解任に反発している可能性が高く、二人の賛同者を見つけて、マクシミリアン皇子の即位を阻止する動きを見せるだろう。


 そこで譲歩を引き出して、枢密院に対する皇帝の干渉を防ぐ仕組みを作ろうとするはずだ。


「ゴットフリート皇子はどう動くと思う? 彼が皇位に食指を伸ばせば、帝国に大きな混乱が起きると思うのだが」


 伯爵は期待に満ちた目でそう言ってくるが、私ははっきりと否定した。


「それはないでしょう。ゴットフリート皇子は生粋の武人であり、愛国者です。恐らくですが、既に皇位継承権を放棄し、皇帝の座を巡る争いを防ごうとしていると思います。これについては、軍務尚書と内務尚書がそうなるように動いているでしょう」


「だとすると、元老たちが騒いでも皇位争いは起きないから、マクシミリアン皇子ですんなりと決まるということかな?」


 参謀長のメルテザッカー男爵が聞いてきた。


「難しい質問ですね。帝都の民と帝国軍兵士はマクシミリアン皇子をあまり信用していません。そして、元老たちも自分たちの権力を制限する皇子を排除したいと考えています。このことはマクシミリアン皇子も当然理解していますから、即位後の自分の権力基盤を強化するために、何らかの行動を起こす可能性は否定できません」


「何らかの行動って何かしら? マクシミリアン皇子にしてみれば、動けば動くほど自分に不利な状況になると思うのだけど?」


 イリスの問いに私は頷く。


「その通りだね。だけど、我が国が、というより、悪辣なるラウシェンバッハが愛する帝国に混乱をもたらそうと、悪さを仕掛けてきたとして、枢密院の閉鎖やゴットフリート皇子の家族を人質に取るくらいのことはやってきそうな気がするね」


 最近の情報では、帝国の重鎮たちはグレーフェンベルク伯爵より、私を警戒しているらしい。


「白狼宮の君に対する評価は私以上のようだからな。ようやく帝国も分かってきたということだ」


 伯爵は愉快そうに笑うが、すぐに真剣な表情になる。


「仮定の話をあまりしていても仕方がないが、現段階で我々王国騎士団にできることは様子を見ることだけと考えればいいかな」


「そうですね。皇帝が回復してもしなくても、現段階でできることはほとんどありません。下手に動いて、帝都にいる情報分析室や情報部の関係者が捕らえれられる方が、今後の行動に影響します……いえ、一つだけ思いつきました」


「それは何かな?」


「帝国の諜報局はこの機に我々の協力者を捕らえようと動くはずです。これまで散々煮え湯を飲まされてきたのですから」


「そうだな」


「それを逆手に取ります」


 伯爵は分からないという顔をする。


「逆手に取る? 具体的には」


「諜報局に密告するのですよ。あらぬ噂を流している者が酒場にいるとか、軍務府の中でこんな噂が流れていたとか、積極的に情報統制に協力するのです」


「悪い噂を広めるなら分かるが、広まらないように協力して何かいいことがあるのか?」


 グレーフェンベルク伯爵は首を傾げた後、メルテザッカー男爵を見るが、彼も肩を竦めていた。

 そこでイリスに視線を向ける。


「君なら分かるだろ?」


「ええ」


 そう言って微笑む。


「では、イリス。君が説明してくれないか。私もエルヴィンもまださっぱり分からんのだ」


 彼女は「承知しました」といって微笑んだ後、説明を始める。


「まず、都合の悪い噂というのは口を塞ごうとするほど広まるものです。例えば、酒場で話しているだけで捕まったとすれば、そのことが噂になり、何の話で捕まったのだということになるでしょう。そうなれば、その話は本当のこととして更に広まっていきます」


「なるほど。その可能性はあるな」


「それに大した噂でもないのに捕まり、牢屋に入れられたとしましょう。酒場で不満を口にすることもできず、民衆の不満は諜報局に向かいます。実際、前回の騒動ではそれをやって民衆や兵士の顰蹙を買っていましたから。ここで更に諜報局への不満を強めれば、協力する者は減り、諜報能力は低下するでしょう。そういうことでしょ、マティ?」


「君には満点を上げよう」


 そう言って笑うが、すぐに真剣な表情に戻す。


「諜報局は噂を抑えようと動くでしょうが、前回の反省を踏まえてあまり強引な方法は採らないはずです。ですが、密告されれば、動かざるを得ません。それに加えて、密告を奨励しているような噂も流しておけば、帝都の民たちは強権的なマクシミリアン皇子に対して、反発を強めるはずです」


 諜報局に対し、秘密警察のような印象を与える操作を行うつもりだ。密告を奨励しているような組織を一般の兵士や民衆が支持するはずがない。上手くいけば、諜報局という組織自体を無効化できる。


「言われてみれば納得しますけど、やられる方は堪ったものではないですね」


 メルテザッカー男爵は引き気味だ。


「情報の制御は非常に難しいのです。私も十年以上やってようやく分かり始めてきたところですから」


 そう言って笑う。


「では、その方向で動くとするよ。いずれにしても、今後帝国から目が離せん。ちょくちょく呼び出すと思うが、よろしく頼む」


 その後、国内や商人組合ヘンドラーツンフトへの対応などを話し合い、私たちは屋敷に戻っていった。

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