第29話「皇帝不予:後編」

 統一暦一二〇六年四月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 マクシミリアン殿下を含めた協議が終わった。

 軍務尚書のシルヴィオ・バルツァー殿と事前に協議した通りになったが、マクシミリアン殿下に対しての不安は払拭していない。


 一度、試してみたが、無難な回答だった。本来なら安堵すべきことだが、僅かな間があったことが気になっている。私の意図に気づき、自らの野心を隠されたのではないかという疑念が消えない


 ただ、我々にはマクシミリアン殿下しか選択肢がない。

 ゴットフリート殿下を含め、他の皇子方を至高の座に就けようとすれば、マクシミリアン殿下が即位されるより、大きな混乱が起きることは間違いない。


 そんなことを考えながら、ゴットフリート殿下の屋敷に向かう。

 殿下は謹慎しており、すぐに面会は叶った。


「何があった? 卿ほどの大物が来るということは、俺の処刑でも決まったか?」


 笑顔でそうおっしゃるが、目は笑っていなかった。重大事であることに気づかれたようだ。

 執事が茶を出し、二人きりになったところで切り出す。


「本日の未明、陛下が苦しまれ、現在意識不明の状態が続いております」


「父上が……危険な状況なのか?」


 剛毅な殿下も顔から血の気が引いている。


「治癒魔導師の見立てでは予断を許さぬ状況とのことです。そのため、私とマクシミリアン殿下、バルツァー殿で今後について密かに協議を行いました」


「それで俺を排除にきたということか?」


「排除という言葉が妥当かは分かりませんが、殿下に皇位継承権を放棄していただき、帝都より退去いただきたいと考えております」


「皇位継承権の放棄か。それは構わんが、俺を生かしておくことが理解できん。マクシミリアンにとって俺は邪魔なだけだろう」


 殿下はマクシミリアン殿下に対して、強い不信感をお持ちのままのようだ。


「マクシミリアン殿下がどのようにお考えかはともかく、陛下は皇位継承について何も決めておられません。この状況でマクシミリアン殿下が強引に即位されようとすれば、枢密院との間で大きく揉めることになります」


 私の言葉に殿下は頷かれたが、まだ疑念を残していた。


「そうだろうな。だから、担ぎ上げられる恐れのある俺が邪魔なのではないか?」


「もし殿下がここで命を落とされたら、真っ先に疑われるのはマクシミリアン殿下です。そうなれば、枢密院とグライフトゥルム王国が利用することでしょう。枢密院は自らの権力のため、王国は自国の安全のために、その事実を使って我が国に混乱をもたらすことは明らかです。つまり、現在殿下の安全を最も願っておられるのはマクシミリアン殿下ということになります」


 そこで殿下は考え込まれた。


「うむ……」


「これは私の独断ですが、殿下のご家族を遠方に避難させるべきと考えております。それもマクシミリアン殿下を含め、誰にも知られることなく」


「どういうことだ?」


「殿下はご家族を人質に取られ、脅されたとしても、皇位継承権の放棄を撤回されることはないでしょう。ですが、ご家族を殺められた場合、その相手に報復を行うはずです。この認識に誤りはありますか?」


「ないな。皇位継承に関わる政争で、妻や子を殺されれば、必ず復讐する。それが誰であってもだ」


 強い殺意に満ちた目で私を見つめる。


「そうなるように仕向け、帝国内で内乱を誘発させようと考える者がいればどうでしょうか?」


「マクシミリアンではないな。フェーゲラインも違う……グライフトゥルム王国か!」


「はい。彼の国にはラウシェンバッハなる謀略の天才がいます。あのマクシミリアン殿下ですら持て余すほどですから、この程度の謀略を思いつくことは容易に想像できます。そして、この帝都にはラウシェンバッハの手の者が無数にいるようです。情けない話ですが、諜報局はその者たちのことを全く把握できておりません。ですので、ご家族を彼らの目が届かない場所に隠すべきだと考えております」


 これまでのラウシェンバッハの謀略は情報操作のみで、実力行使を行った形跡はない。しかし、それは単に我々が気づいていないだけで、密かに行われている可能性は否定できないのだ。


「卿の懸念は分かった。だが、マクシミリアンにも知られずにというところが分からん。奴も俺が暴発することは望まんだろう」


「誹謗中傷と叱責されることを承知で申し上げます。マクシミリアン殿下がゴットフリート殿下のご家族を殺め、それを王国の手先が行ったことだと発表したら、殿下は王国に報復を行うのではありませんか?」


「だろうな。どうやって王国に報復するかはともかく、そのまま放置することはあり得ん」


 予想通りの答えだ。つまり、私の懸念は現実のものになる可能性があるということだ。


「マクシミリアン殿下にとって、ゴットフリート殿下とグライフトゥルム王国のラウシェンバッハは排除しておきたい敵です。ならば、その二人を咬み合わせれば、どちらも力を落とすことは間違いありません」


 私の言っていることは想像でしかなく、何ら根拠がない。しかし、マクシミリアン殿下ならやってもおかしくないと思っている。


「……ないと言えぬところが奴の不徳なんだろうが、俺には動かせる軍がいない。卿の妄想ではないのか?」


 私は大きく首を横に振る。


「殿下は草原の民を味方にできます。そして、リヒトプレリエ大草原から王国は近い。シュヴァーン河を渡る手段さえあれば、数万の精強な騎兵が王国を蹂躙できるのです……」


「草原の民か……」


 殿下は唸るように呟く。


「マクシミリアン殿下にとって、草原の民も不安要素なのです。彼らはゴットフリート殿下に膝は屈しましたが、帝国に対してではありません」


「そうだな」


「もし、草原の民が王国に進攻したとすれば、王国軍は死に物狂いで反撃するでしょう。グレーフェンベルク伯爵もラウシェンバッハも優秀な戦術家ですから、草原の民も無傷ではいられませんが、王国も大きく疲弊するでしょう。マクシミリアン殿下は一兵も損なうことなく、警戒すべき敵を排除、もしくは力を落とすことができるのです。この誘惑に抗い続けることができるのか、私は疑問に思っています」


 妄想に近い話だが、否定できないと思っている。


「卿の懸念は理解した。家族を帝都から脱出させることも了解だ。だが、その手配を誰がやるのだ? 俺にはそのような伝手はないが?」


「私の方で手配します。といっても諜報局が動けばマクシミリアン殿下に気づかれる可能性があります。ですので、ヴィントムントのモーリス商会に依頼するつもりです。彼の商会は正義に悖ることは良しとしませんし、帝都で大きな混乱が起きることも商売の妨げになるので積極的に協力してくれるはずですので」


「モーリス商会か……確かマクシミリアンと揉めたことがあったな」


「はい。商会長のライナルト・モーリスはマクシミリアン殿下を警戒していますし、私とは個人的な繋がりがあります」


「そうだな。それで頼む」


 殿下は気づいていないが、モーリス商会はラウシェンバッハと繋がっている可能性がある。そのため、今回殿下のご家族を脱出する際に協力させ、その情報がラウシェンバッハに届くのか確認するつもりだ。


 もちろん、殿下のご家族の安全は最優先する。途中から諜報局の手の者に切り替えれば、モーリス商会も追跡は難しいだろうし、諜報局で見張っておけば、ラウシェンバッハの手の者が行動を起こしても何とかできるはずだ。


 ゴットフリート殿下はその後、皇宮に向かい、マクシミリアン殿下に皇位継承権の放棄を宣言された。

 その際、陛下の最も信頼する臣下、ローデリヒ・マウラー元帥が立会い、証人となった。


 これで大きな混乱を招く要素はなくなった。

 私としてはこの準備がすべて無駄になってほしいと切に願っている。しかし、コルネリウス二世陛下は未だに意識を取り戻されていない。

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