第28話「皇帝不予:中編」

 統一暦一二〇六年四月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。マクシミリアン・クルーガー元帥


 父コルネリウス二世が倒れたという情報が侍従から伝えられた。

 既に軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーと内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトが皇宮に入って侍従たちを掌握し、私を呼ぶように命じたためだ。


 これは父が、自分が倒れ意識がない状態になったら、二人に即座に伝えろと、予め侍従長に命じてあったからだそうだ。

 二人への信頼の厚さに驚くが、皇位継承権を持つ私を呼ばないことに不満もあった。


 皇宮に入ると、すぐに父の寝室に行くが、治癒魔導師から予断を許さないということだけが伝えられ、回復の見込みなどの詳しいことは一切分からなかった。


 バルツァーらは執務室にいるらしく、そこに向かう。

 まだ父の不予は皇宮全体に伝わっておらず、緊迫感はそれほどない。バルツァーたちや私がここに来たのも、父が呼んだためと思っており、どのような案件か気になっているという程度だ。


 恐らくシュテヒェルトがそのように誘導したのだろう。この状況を内外の敵に知られるわけにはいかないからだ。


「遅くなった」


 そう言って執務室に入ると、普段いるはずの秘書官たちの姿はなく、二人だけで待っていた。


「ご足労をお掛けしました」


 いつもの飄々とした態度でシュテヒェルトが出迎える。

 バルツァーもいつも通り、無表情な顔で黙礼だけする。二人の様子を見て、まだ危機的な状況ではないと心の中で安堵する。


「父上の、いや皇帝陛下のことだが、卿らはどのように聞いている?」


 私の問いにシュテヒェルトが答えるが、侍従から聞いた話と同じだった。


「……これからのことについて殿下に相談したいと思い、ご足労いただきました」


「万が一の場合を想定しているということだな」


 私の問いに二人は無言で頷く。

 ここに来るまでは昨夜、父と二人で話していたことを最初に聞かれるかと思ったが、この二人は私が父を弑する理由がないと考え、聞いてこなかった。


「陛下は次期皇帝候補を指名していない。この状況で身罷れたら、帝国に混乱が起きる。それに対処するための相談と考えてよいのだな」


「おっしゃる通りです。私もバルツァー殿も万が一の場合には王国が介入し、大きな混乱が起きると考えております。それを防ぐ方法を協議したいというのが、我々の願いです」


「私も同感だ。ラウシェンバッハは以前にも、私に対して謀略を仕掛けてきている。今回も当然指示を出しているだろうな」


 そこでそれまで沈黙していたバルツァーが口を開く。


「我々も同じ認識です。特に枢密院への対応が鍵になるのではないかと考えています」


「確かにそうだな。フェーゲラインが私の即位に反対する可能性は高い。枢密院に対する根回しをしておく必要があるな」


 私が即位するにしても、現状では九名いる枢密院議員のうち、七名が賛同しなければ、即位は認められない。つまり、フェーゲラインの他に二名が反対に回るだけでも、私は皇帝になれないのだ。


「お待ちください。殿下が即位されることが決まっているわけではありません。我々はもし陛下の意識がこのまま戻らずに身罷られた場合の対応方針を決めておくべきと考えているだけです」


 バルツァーの言葉で、私は言い方を間違えたと反省する。今の言い方では、私の即位が決まっているように聞こえるだけでなく、父の死を望んでいるように聞こえかねない。


「卿の言う通りだな。我が国の歴史の中で、皇太子が決まっておらずに皇帝が崩御された事例はない。枢密院に推薦させるという手もあるが、彼らなら能力よりも自分たちの思い通りに動くという点を選定基準としかねぬ。バルツァー、シュテヒェルト、何か良い考えはないか?」


 そこでバルツァーが発言する。


「ゴットフリート殿下にご辞退いただき、そのことを枢密院に伝えてはいかがか。この状況で殿下とゴットフリート殿下以外の皇子方を枢密院が推薦することはありますまい。仮に推薦したとしても、恣意的過ぎると我々やマウラー元帥が反対すれば、決定を覆すことは可能ですし、枢密院が帝国のことを第一に考えていないと世間に知らしめることができます」


 バルツァーの提案は一理あるが、兄に父が倒れたことを伝えれば、野心に火が着くのではないかという懸念が頭に浮かんだ。

 そのため、すぐに首肯できない。


「殿下は陛下と最後に語り合っておられます。その際に口頭で指名されたとすることも可能ではありませんか? 侍従たちもすべての話が聞こえていたわけではありませんし、昨日の御前会議の流れから言えば、十分にあり得ることです。マウラー元帥も納得されると思いますが」


 シュテヒェルトがバルツァーに代わって提案してきた。

 魅力的な提案で一瞬それに乗りそうになった。しかし、すぐにこれは私を試しているのだと気づく。


「それはできんな。陛下とは他愛のない話しかしていない。いつわりをもって至高の座に就くことは陛下だけでなく、帝国のすべての者を欺くことになる。そのような方法は取らぬ」


 私の答えにシュテヒェルトは満足そうに頷いた。やはり、私を試したようだ。


「兄上に陛下の状態をお話しし、考えを伺おう。これはシュテヒェルト、卿に任せたい。私が行けば、強要したように思われる。バルツァーでもよいが、卿の方が兄上も話しやすかろう」


「承りました」


 バルツァーにしなかったのは、私に対して不信感を持っているためだ。シュテヒェルトも私を全面的に支持しているわけではないが、彼の場合、帝国のことを一番に考えるから、無駄に兄を煽ることはないだろう。


「その際、ゴットフリート殿下の安全をマクシミリアン殿下に保証していただきたいと思います。今ゴットフリート殿下がお亡くなりになれば、一番に疑われるのはマクシミリアン殿下ですので、そのことをゴットフリート殿下にお伝えしてはいかがかと」


「なるほど。確かにそうだな」


 さすがはシュテヒェルトだ。ラウシェンバッハがこのような事態を想定しているかは分からないが、この状況で兄上が命を落とせば、最初に疑われるのは私であり、潔白であるという証拠をどれほど出したとしても、完全に疑いを晴らすことは不可能だろう。


「枢密院にはどのタイミングで知らせますか?」


 シュテヒェルトが聞いてきた。


「明日になったら伝えよう。前回と同じように陛下が回復する可能性があるのだ。無駄に騒ぐ必要はないし、我々が手を打つ前に、フェーゲラインが動くと厄介だからな」


 この提案には二人とも素直に頷いている。


「マウラー元帥にはお伝えすべきではありませんか? 元帥なら不用意に漏らす恐れはありませんし、不穏な動きがあった場合にすぐに動いていただけます」


 バルツァーは私が暴走して兵を挙げることを恐れ、マウラーを巻き込むことにしたようだ。

 その提案にシュテヒェルトが賛同する。


「バルツァー殿の意見に賛成です。元帥が陛下を裏切ることはありえませんから、帝都の安全は揺るぎませんので」


 シュテヒェルトも同じ懸念を持っていたらしい。

 苦笑が浮かびそうになるが、それを抑えて頷く。


「もっともなことだ。これはシュテヒェルトから伝えてくれ」


「承知いたしました。ですが、殿下はどうされるのでしょうか?」


「私はいつも通りの仕事に戻る。ここにいても私にできることはないし、卿らと共にいればフェーゲラインが懸念を抱く。陛下がお目覚めになった際に、無用な混乱を招かないようにしておくべきだろう」


 バルツァーは小さく頷いたが、納得した様子はない。

 そのため、話題を変えることにした。


「陛下がお目覚めになればいいが、長引く可能性もある。ラウシェンバッハの手の者らの情報収集能力ならば、どれほど隠してもさほど時間を掛けずに、この事実を探り出すはずだ。いや、既に異変に気付いている可能性は充分にあるな……その者たちに対する方針を決めておきたい」


「具体的なお考えはありますか?」


 シュテヒェルトが聞いてきた。彼にも考えはあるのだろうが、まずは私がどう考えているかを確認したいようだ。相変わらず周到な奴だと内心で苦笑する。


「情報統制を行うため、諜報局の諜報員に我が国の不利益に繋がる噂を流す者を摘発させる。理由は先日の兵士の暴動未遂の再発防止だ。これならば、不審な点はないし、兵や民も納得しやすいだろう」


「そうですね。それにこう付け加えてはどうでしょうか? 新たに王国の手の者が見つかり、そのために陛下を含めて協議を行ったと。こうしておけば、私たちが集まっていたことが自然に見えますし、このタイミングで摘発を強化する理由にもなりますから」


 さすがはシュテヒェルトだ。これで枢密院へのカモフラージュにもなる。


「それでよい。いずれにせよ、ここ数日が山だ。何としてでも混乱を防がねばならん。そのために卿らの協力が必要だ。よろしく頼む」


 そう言って大きく頭を下げた。

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