第27話「皇帝不予:前編」

 統一暦一二〇六年四月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。軍務尚書シルヴィオ・バルツァー


 夜明け前、私の屋敷に侍従が慌てた様子でやってきた。

 慌てているだけでなく、周囲を気にする様子で明らかにソワソワしている。


「何が起きた?」


「へ、陛下が、お倒れになられました。ち、治癒魔導師が懸命に、治療を行っていますが、侍従長より、両閣下を、軍務尚書閣下と内務尚書閣下を、大至急お連れするようにと、命じられました」


 焦りを含んだ声に、一気に目が覚める。


「陛下がお倒れになった……いつのことだ」


「二時間ほど前のことです。陛下が苦しんでおられることに、宿直の侍従が気づき……」


 一年半前のことが頭を過る。

 この状況は拙いと焦りを覚えていたが、それを見せることなく頷く。


「分かった。すぐに向かう」


「ありがとうございます」


 私の様子が普段と変わらないことで侍従も落ち着き、あからさまに安堵の表情を浮かべている。

 着替えに向かおうとしたが、そこで情報漏洩のことが気になった。


「このことは誰にも言っていないな?」


「もちろんです。門番にも陛下が大至急、両尚書閣下を呼ぶように命じられたと言って、門を開けさせております」


「よろしい。では準備をする。少し待て」


 三十分後、陛下の寝室に入った。

 シュテヒェルト殿は先に到着していたようで、治癒魔導師に状況を確認していた。


 私に気づき、手招きをする。

 シュテヒェルト殿からはいつもの笑顔が消え、深刻そうな表情を浮かべていた。


「以前と同じ魔導器ローアの異常とのことです。今回は以前より厳しい状況ではないかと治癒魔導師は見ています」


「以前より厳しい? 意識は一度も戻っておらぬのか?」


「はい。侍従たちに確認しましたが、苦しまれておられた時から、呼びかけには一切お応えにならないとのことです」


「それは拙いな……」


 後継者である皇太子が決まっていない状況で、陛下と意思疎通ができないことは大きな混乱を招く。


「もう一つ気になることを侍従から聞きました」


「それは何か」


「昨夜、陛下がマクシミリアン殿下を私室に呼ばれたそうです。その場にいた侍従から直接聞いたのですが、家族に関する話が主で、重大な話はされていなかったようです。ただ、このタイミングが……」


「その通りだな」


 確かにマクシミリアン殿下が訪れた直後に倒れたという事実は重い。

 殿下が陛下を害することはあり得ないが、タイミングが悪すぎる。特に枢密院に知られれば、フェーゲラインを始めとした元老たちが騒ぐことは間違いない。


「まずはマクシミリアン殿下を含めて、対応を考えるべきではありませんか?」


「……」


 シュテヒェルト殿の提案に即座に頷けない。

 私はマクシミリアン殿下の能力に疑問は持っていないが、その野心の強さは帝国にとって諸刃の剣だと思っている。


 以前であれば、そのようなことは思わなかった。しかし、今はグライフトゥルム王国にラウシェンバッハという謀略の天才がいることが分かっており、不安を掻き立てる。


 マクシミリアン殿下が至高の座に就かれた場合、その野心の強さを利用し、ラウシェンバッハが我が国を掻き回してくることは間違いない。実際、現状でもマクシミリアン殿下の野心の強さを突いて、謀略を仕掛けられているのだ。


「ご懸念は理解しますが、殿下に報告しないという選択肢はありません。ならば、早急に連絡し、協議を行った方がよいのではありませんか?」


「卿の言う通りだな。マクシミリアン殿下に連絡しよう」


 侍従にそのことを伝えた。


「殿下が来られるまでに、卿に聞いてもらいたいことがある」


「どのようなことでしょうか?」


 聞き返してくるものの、シュテヒェルト殿には私が何を言おうとしているのか、分かっている気がした。


「マクシミリアン殿下が優秀な統治者として、帝国史に名を残す君主となられる素質があることは疑っていない。だが、優秀であるから名君になるとは限らない。優秀であるがゆえに暴君となる可能性は否定できないのだ。無能な暴君なら我らで排除できる。しかし、マクシミリアン殿下ほど有能な方を排除しようとすれば、帝国を二分する内乱を招きかねない。それどころか、逆に我々が排除されかねん。私はそれが不安なのだ」


 コルネリウス二世陛下も枢密院の力を削ごうとされたが、それでも枢密院自体を廃止しようとはお考えではない。しかし、マクシミリアン殿下は枢密院そのものを無くしてしまうつもりだ。廃止しないまでも自分の言いなりになる組織に作り上げてしまうだろう。


 そうなれば、歯止めが利かなくなる。

 敵が無能なら、少々強引でも殿下ほどの方が采配を振るえば、敗れることはない。しかし、私の想像を超える優秀な敵がいる。そして、その敵に殿下も翻弄されているのだ。


「バルツァー殿のご懸念は私も理解していますよ。マクシミリアン殿下はより独裁色が強い政府を目指しておられます。ですから、足枷になる組織や人物を排除したいとお考えです。私たちとマウラー閣下で抑えられるうちはいいでしょうが、マウラー閣下は数年以内に現役を退かれますし、我々も十年程度で後進に席を譲らなくてはならないでしょう……」


 マウラー元帥は六十代半ば、私も既に五十歳を越えている。シュテヒェルト殿も四十代後半だから、彼の言っていることは理解できる。


「危機感を持っている我々がいなくなった時、殿下を抑える者がいなければ、謀略の天才ラウシェンバッハに我が国はボロボロにされかねません。彼は十年前から今の状況を想定して謀略を仕掛けてくるような天才です。それに対抗できる人物が我が国にいればよいのですが……」


「そうだな。今も十年後を見据えて何か仕掛けてきているはずだ。それが何か分からぬところに奴の恐ろしさがある」


 ここ半年ほどで思い知らされたことは、マティアス・フォン・ラウシェンバッハという若者の恐ろしさだ。


 彼自身、まだ少年という年齢でありながら、十代半ばのマクシミリアン殿下の才能を危険視し、悪評を流し続けた。その結果が、民たちの殿下に対する不信感の強さだ。本来であれば、皇室の方々の話など、市井に流れることは稀で、軍や政治に関与して初めて下々の者がその性格を知るのだ。


 もし、ラウシェンバッハの謀略がなければ、ゴットフリート殿下の今回の失敗を受けて、マクシミリアン殿下がすんなり立太子されていただろう。


「口にすることすら憚られますが、万が一の場合、マクシミリアン殿下しか我々には選択肢がありません。そうであるなら、殿下と良好な関係を築き、我々が殿下の歯止めとなるべきではありませんか」


「確かにそうだな。殿下と我々との間に隙間があると知られれば、ラウシェンバッハは必ず突いてくる。それだけは何としてでも防がねばならん。だが……」


 シュテヒェルト殿の言葉が正しいと思いながらも素直に首肯できず、思わず下を向いてしまう。


「そこで提案があります」


 私が顔を上げると、彼はいつもの笑みを浮かべていた。


「万が一の場合、マクシミリアン殿下が至高の座に就かれます。その時、ゴットフリート殿下の存在が非常に重要になります」


「確かにその通りだが……」


 彼が何を言いたいのか思いつかない。


「ゴットフリート殿下には皇位継承権を放棄していただき、その上で帝都ではなく、安全な場所に移っていただきます」


「なるほど。マクシミリアン殿下に対抗できるのはゴットフリート殿下のみ。皇位継承権を放棄したとはいえ、マクシミリアン殿下も無茶はできんということか……だが、王国がそこに謀略を仕掛けてくるのではないか?」


「その可能性はあります。ですが、ゴットフリート殿下は一度口にされたことを違えるような方ではありません。マクシミリアン殿下がお命を狙うようなことをしなければ、ゴットフリート殿下が立ち上がることはありませんし、仮に王国が内乱を誘発しようとしても、大火になる前に消し止めることができるはずです」


「確かにそうかもしれない。ゴットフリート殿下が万が一亡くなられたら、マクシミリアン殿下が一番に疑われる。そうなったらマウラー元帥でも軍を抑えきれまい……なるほど、王国がゴットフリート殿下のお命を狙う可能性が高いということか!」


 そこでようやくシュテヒェルト殿の意図が理解できた。


「このことをマクシミリアン殿下に説明すれば、殿下なら間違いなく了承していただけます。ご自身の政権の安定のために必要なことですから」


 シュテヒェルト殿の智謀に感嘆の念が湧く。


「あとはゴットフリート殿下を説得することと、枢密院への対応です。これについてはマクシミリアン殿下がお越しになってから協議いたしましょう」


 それから三十分ほどでマクシミリアン殿下が到着された。

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