第33話「皇帝崩御:中編」

 統一暦一二〇六年四月四日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 敬愛するコルネリウス二世陛下が身罷られた。

 私を内務尚書という地位に引き上げていただいただけでなく、私のような非才の身に対し、絶大な信頼を寄せてくださった方だった。


 私にとって唯一無二の主君であり、すぐにでも陛下の後を追いたいと考えたほどだ。しかし、この状況で私が命を絶つことは、陛下の想いに背くことだと諦める。


 崩御はすぐに皇室から発表された。

 その衝撃的な事実を受け、内務府の官僚たちも思考を停止させている。私は自らの感情を押し殺して、部下たちを叱咤する。


「呆けている暇はない。陛下の葬儀自体は皇室が主体だが、諸々の準備は我ら内務府が執り行わねばならん。各都市への通達、葬儀の際の警備体制の構築、服喪期間のおける公的機関の行動指針、即位に伴う公文書の発布など、決めなければならぬこと、やらねばならぬことが山ほどあるのだ」


 私の声に官僚たちが反応する。


「それだけではない。王国の手の者がこの機を利用し、帝都に混乱を与えようとしてくることは間違いない。その対処も重要だ。すぐに取りかかれ」


 官僚たちは私の命令ですぐに動き始めた。

 一年半前に陛下がお倒れになった後、念のため準備はしてあり、その手順に従っていけば、大きな問題は出ないだろう。


 内務府の仕事は何とかなりそうだが、言い知れぬ不安が私の中に渦巻いていた。それはマクシミリアン殿下が必要以上に気負っているのではないかということだ。


 ゴットフリート殿下が皇位継承権を放棄され、マクシミリアン殿下に協力されるとおっしゃられた。これで皇位継承争いは回避される見込みだ。

 このことはマクシミリアン殿下も理解されている。


 しかし、フェーゲライン議長を始めとする枢密院の動向が不透明だ。また、帝都の民衆や第二軍団、第三軍団の兵士はマクシミリアン殿下を支持していない。

 他にもバルツァー殿が殿下に対して協力的な姿勢を示しておらず、これも不安要素だ。


 こんな状況の時に、グライフトゥルム王国のラウシェンバッハの手の者が介入すれば、帝国の存亡に直結する事態となりかねない。


 そのため、マクシミリアン殿下は自らが先頭に立つ必要があるとお考えだ。しかし、普段の殿下らしくなく、必要以上に気負っているように見えた。

 徹底した合理主義者である殿下が強権を発動すれば、私には何が起きるか想像もできない。


「私は各所を回ってくる。諸君らは各自の仕事に専念せよ」


 それだけ言うと、マクシミリアン殿下に歯止めを掛けるため、モーリス商会の帝都支店に向かった。


 支店に入り、名を告げると、支店長であるヨルグ・ネーアーが大慌てで現れた。ネーアーはライナルト・モーリスの信頼が厚いやり手の商人だが実直な性格で、私が信頼している人物だ。


「こ、これは閣下自らお越しとは……お呼びいただければ参上いたしましたものを……」


 そう言うものの、さすがにまだ陛下が崩御されたという情報は入っていないのか、それ以上の混乱は見せない。

 応接室に入ると、ネーアーが不安そうに聞いてきた。


「突然のお越しですが、本日はどのようなご用件でしょうか?」


「ある家族を帝都から出したい。私以外の政府関係者に知られることなくだ」


 ネーアーの表情が固まる。さすがは帝都支店を任されるだけあり、私が何を望んでいるか悟ったようだ。

 すぐに立ち直ると、裏を取りにくる。


「それは非合法なものではないと考えてもよろしいのでしょうか? 我が商会はどれほどやんごとなきご身分の方からの依頼であっても、法に反する依頼は受けかねますので」


「その認識でよい。罪人でもなければ、行動を制限されているわけでもない。そのたちの安全のために知られてはならないというだけだ」


 私が“その方”と言ったところで、ネーアーは誰なのか気づいたようだ。


「対象者は五名。その他に使用人と護衛が五名いるから計十名となる。報酬は百万マルク。その他にザフィーア河とザフィーア湖の優先航行権をモーリス商会に許す。この航行権は先払いだ」


 そう言って内務尚書のサインが入った許可証をテーブルに置く。

 これで帝国内の大動脈、ザフィーア河の航行に関し、帝国軍と同等の権利を持つことになる。これは商会にとって喉から手が出るほど欲しいはずだ。


「承りました。ですが、我が商会も必要以上のリスクは負いたくございません。ザフィーア湖畔にある我が商会の所有する別荘までお連れします。そこから先は別の方に依頼していただき、我が商会は一切関与いたしません。この条件でよろしいでしょうか」


 私は思わず目を見開いてしまった。私がモーリス商会のことを疑っていることを見抜き、先手を打ってきたようだ。

 さすがはライナルト・モーリスが帝都を任せるだけのことはあると感心する。


「それで構わない。では、この仕事を引き受けてくれるということでよいな」


 ネーアーは大きく頷いた。

 これでゴットフリート殿下のご家族を帝都から脱出させることができる。殿下は葬儀と即位式に出席する必要はあるが、身一つであれば、戦士としても優秀な殿下を落ち延びさせることは難しくない。


 その後、ゴットフリート殿下にご家族の脱出のことを伝えた。


「既に準備はできている。どこに向かうかは聞かぬ方がよいな」


 殿下も状況を完全に理解されており、不必要なことは聞いてこない。


「はい。コルネリウス二世陛下への私の忠誠心に賭けて、安全は保証いたします」


「それならばよい。卿の父上への忠誠心は疑いようがないからな。では、私は一度屋敷に戻る」


 これでゴットフリート殿下を利用しようとする者たちも動けないし、マクシミリアン殿下も先手を打ってゴットフリート殿下を排除することはないはずだ。

 あとはマクシミリアン殿下を必要以上に追い詰めないことが重要だろう。


 今のところ、マクシミリアン殿下は融和の姿勢を見せているが、フェーゲライン議長の行動いかんによっては強硬手段に出ないとも限らない。つまり、フェーゲライン議長と枢密院を私がコントロールしなければならないということだ。


 と言っても、現状では枢密院に対して打つ手はない。

 大人しくマクシミリアン殿下を認めてくれればいいが、元老たちのうち、フェーゲライン議長を含め、三名の動向が不透明で、それが懸案となっていた。


 マクシミリアン殿下への対処を終え、更に部下たちを動かして準備を進め、何とか葬儀の目途が立った。

 仕事が一段落すると、ずっと引っかかっていることが頭をもたげてくる。


 それはコルネリウス二世陛下がマクシミリアン殿下を後継者指名、すなわち立太子しなかったのは、なぜかということだ。


 昨年の十月時点で、ゴットフリート殿下の致命的な失敗は明らかになった。挽回の機会は早くとも三年先だが、マクシミリアン殿下という強力なライバルがいる以上、その機会が巡ってくる可能性は限りなく低かった。


 あるとすれば、マクシミリアン殿下が皇都攻略を失敗することだが、その可能性は低いし、実施時期は二年以上先だ。また、陛下もご自身の身体のことは理解していたはずで、いつ何時、このような事態になるか一番分かっておいでだったはずだ。


 陛下が愚鈍な君主であったなら、単に自分の死を受け入れられず、後継者指名を行わなかった可能性はある。しかし、剛毅にして聡明な陛下が死から目を逸らすことはあり得ない。

 そうなると、何らかの深い理由があるのではないかと思うのだが、全く思いつかないのだ。


 答えくださるはずの陛下は既にいらっしゃらない。

 そのことが悲しくもあるが、なぜ私やバルツァー殿を信頼してくださらなかったのかという悔しさもある。


 そんなことを考えていたが、すぐに次々と仕事が押し寄せてくる。

 それを必死にこなしていくしかなかった。


■■■


 統一暦一二〇六年四月四日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、枢密院。ハンス・ヨアヒム・フェーゲライン議長


 皇帝コルネリウス二世陛下が崩御された。

 突然だったということで驚いたものの、健康に不安があることは分かっており、マウラー元帥やバルツァー軍務尚書が受けたであろう強い衝撃はなかった。


 陛下に対しては複雑な思いがある。

 即位された当初は内務尚書として支え、軍事に偏りがちな陛下の治世に大きく貢献し、そのことは陛下も賞賛してくださっていた。


 しかし、先帝陛下にお仕えしていた私は煙たい存在だったようで、次第に距離を取られ、最後には若いシュテヒルトに席を奪われた。能力的に私が劣っているのであれば、素直に認められたが、決してそうではなかった。


 陛下以上にマクシミリアン殿下は私の心をざわつかせる存在だ。

 コルネリウス陛下も枢密院の力を削ぎたいとお考えだったが、マクシミリアン殿下は更に踏み込み、廃止すら考えておられる。


 だが、何としてでもそれだけは阻止しなくてはならない。

 我が国は皇帝だけのものではない。皇帝が恣意的な政治を行い、それを正す手段が無くなれば、それほど遠くない未来に愚鈍な皇帝によって我が国は滅ぶだろう。


 滅ばないにしても停滞することは明らかだ。

 これはリヒトロット皇国を筆頭とした君主制国家を見れば分かることだ。いずれの国も血統だけで無能な君主が君臨し、国を蝕んでいる。


 それに引き換え、我が帝国は枢密院が皇帝の即位を認め、更に廃することすら可能だ。

 無能な皇帝が生まれることもないし、万が一暴君や暗君になったとしても排除できる。もちろん、今まで一度もそのようなことは起きていないが、抑止力として充分に機能しているのだ。


 マクシミリアン殿下は自らが自由に権力を行使したいがために、この制度を廃止しようとしている。

 殿下ご自身は無能とは無縁の方だ。いや、才能だけなら歴代最高の皇帝になる可能性を秘めていることは否定しない。


 しかし、我々は一人の偉大な君主を得るより、将来にわたり継続的に有能な君主が君臨し続けるシステムを必要としているのだ。


 だから私はマクシミリアン殿下の即位を何としてでも阻止する。

 阻止できなくとも、枢密院の権限は守って見せる。


 そう決意しながら、元老たちを招集した。

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