第34話「皇帝崩御:後編」
統一暦一二〇六年四月四日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
夕方、士官学校を出る帰る直前に、王国騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵からの使者である騎士が訪れた。
「グレーフェンベルク閣下より、騎士団本部にお越しいただきたいとのことです」
「承知しました」
騎士は理由を知らなかったが、タイミングから見て帝国で大きな動きがあったようだ。
私とイリスが騎士団本部に入ると、すぐに団長室に案内される。
団長室にはグレーフェンベルク伯爵と参謀長のエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵、第三騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵、第四騎士団長コンラート・フォン・アウデンリート子爵が会議室で待っていた。
「早速で悪いが、帝都から驚くべき情報が届いた。皇帝コルネリウス二世が崩御したそうだ」
グレーフェンベルク伯爵が重々しい口調で告げる。
一応帝国で何かあったとは想定していたが、思った以上に速い展開に驚きを隠せない。
「情報の確度について、情報部と情報分析室はどのように考えているのでしょうか?」
「まず情報源は皇室からの公式発表だ。他にも昨日の夕方にマクシミリアン皇子とゴットフリート皇子が急いで皇宮に入ったこと、夜になって元老のフェーゲラインも呼び出されたことから、情報分析室では事実で間違いないと判断している」
「公式発表ですか……」
「他にも情報がある。モーリス商会の帝都支店からの情報だが、シュテヒルト内務尚書が訪れ、ある家族を帝都から脱出させてほしいと言ってきたそうだ」
「ゴットフリート皇子の家族ですか?」
「明言はしていないが、支店長のネーアーはそう判断している。その点から考えても皇帝の死は間違いないだろう」
ゴットフリート皇子は皇位継承権を放棄しているが、帝都の民衆や帝国軍の兵士たちはマクシミリアン皇子よりゴットフリート皇子を支持している。また、枢密院のフェーゲライン議長もマクシミリアン皇子の皇位継承を阻止したい。
それらのことから、ゴットフリート皇子の家族を人質にするなり、殺害するなりして、ゴットフリート皇子や兵士たちを動かそうとする可能性があった。シュテヒルト内務尚書はそれを防ごうと考えたのだろう。
「以前にもお願いしていますが、情報部や情報分析室、そしてモーリス商会には積極的に動かないように指示をお願いします。特にゴットフリート皇子の家族の件は、深入りしないように、ネーアーさんに念を押しておいてください。シュテヒルト内務尚書がモーリス商会を疑っていないとも限りませんし、家族を利用しようとしている人も多いですから巻き込まれる可能性がありますので」
「その点は了解だ。モーリス商会もマティアス君がシュテヒルトを警戒していることは充分に理解している。今回も帝都からの脱出は手伝うが、最終的にどこに行くかまでは関与しないという契約にしたそうだ」
ゴットフリート皇子の家族のことまで想定していなかったが、シュテヒェルトがモーリス商会に接触してくる可能性はあると思っていた。
理由は私とライナルト・モーリスとの関係だ。
モーリス商会は帝国に対して何度も便宜を図っており、中立的な立場を堅持していたが、私に対する警戒が強くなったことで、モーリス商会が本当に中立なのか疑念を持つことは当然の流れだ。
特に帝都が不安定な状況で、皇帝の崩御という大きな波乱要素が生まれたことから、帝都に堂々と支店を構えるモーリス商会は危険な存在になり得ると、治安を守る内務尚書は考えるはずだ。
そのため、帝都で暴動が起きそうになった頃から、モーリス商会には帝国政府に警戒されないよう、細心の注意を払うように依頼していた。その際、思いつく限りの指示を具体的に出している。
全く同じ状況は想定できなかったが、近いものはあり、支店長のヨルグ・ネーアーはそれに従ったのだろう。
「さすがはネーアーさんですね。ですが、油断しないように改めて指示をお願いします」
「了解した。本題に入るが、皇帝が崩御したことは間違いない。ここから先、帝都では大きな動きがあるはずだ。この状況で情報収集を行うだけでよいのかという話になったが、我々では結論が出なかったのだ。だから君たちの意見が聞きたいと思って来てもらった」
その問いに答える前に情報を確認する。
「まず確認したいのですが、葬儀は誰の名で行われるか、発表はあったでしょうか?」
私の問いにメルテザッカー男爵が答える。
「マクシミリアン皇子だそうだ。ゴットフリート皇子は皇帝の座を諦めたようだね」
「葬儀におけるマクシミリアン皇子の立場についてはどうでしょうか? 次期皇帝と名乗っているのか、それとも単に皇子となっているのか、その点が気になります」
「次期皇帝と名乗ったとは聞いていないな」
「と言うことは枢密院の承認は得られていないということですね……」
帝国において、皇帝の代替わりでは次期皇帝が葬儀を取り仕切り、その後に枢密院で承認の採決が行われ、即位式を行う。即位式は皇帝不在の状態が長くならないように通常は葬儀の一週間ほど後に行われる。
そのため、即位式自体は枢密院の承認が得られたことを政府や軍の高官に示すだけの簡素なものだ。
ちなみに内外に即位を示す戴冠式は半年から一年後に行われることが慣例となっている。
葬儀の段階で次期皇帝が決まっていないとなると、即位式にスムーズに移行できず、権力の空白が発生する。
その影響がどの程度のものになるのか、全く想像できない。
そんなことを考えていると、ホイジンガー伯爵が質問してきた。
「枢密院の承認が得られていないということは、まだ次期皇帝は決まっていないということだな。だが、こんなことが起こり得るものなのか?」
私が考え込んでいたため、代わりにイリスが答える。
「通常ならあり得ませんわ。ですが、先日の兵士の反乱未遂では、マクシミリアン皇子は自作自演を疑われています。時間を掛けて民衆や兵士の心情を落ち着かせてからと、皇帝が考えてもおかしくはないと思います」
「そうなると、帝国に対して謀略を行う絶好の機会だということかな?」
アウデンリート子爵が目を輝かせて聞いてくる。
「状況だけ見れば、おっしゃる通りですね」
私の答えに子爵が首を傾げる。
「状況だけ見ればというのはどういう意味かな? 君は謀略を行う機会ではないと考えているということか?」
「はい。確かに帝国を混乱させる絶好の機会には違いありません。ですが、我々に有利に推移しすぎていて、作為すら感じられます。我々の手の者を炙り出すために罠を張っている可能性を否定できないのです」
私はマクシミリアン皇子が次期皇帝に指名されておらず、枢密院と上手くいっていないという状況が、偶然なのか疑問に思っていた。
皇帝コルネリウス二世は自身の身体に不安を持っていたはずだ。後継者を指名しておき、万が一に備えることは当然の措置だろう。
それが成されていない。このことが引っ掛かっていたのだ。
「君は皇帝の死が策略だと考えているのか?」
子爵が驚いた表情で確認してきた。
「それはないと思います。帝都の民の評判は若干落ちているとはいえ、コルネリウス二世の人気は根強いものがあります。もし、皇帝の死を偽るような策である場合、マクシミリアン皇子に対する帝都民の感情は更に悪化するでしょう。そのような賭けに出るとは思えません」
私の言葉にグレーフェンベルク伯爵が疑問を口にする。
「皇帝が死ぬタイミングは分からないのではないか? それにこのような緊急時に罠を張る余裕はないと思うのだが?」
「私もその意見には賛成ですが、あまりに有利な状況ですから一度立ち止まった方がいいと思ったのです」
「“有利な状況にあると思わせること、もしくはこの機を逃すべきではないと思い込ませることで、敵に積極的な行動を促せば、その行動は比較的読みやすいものになる。それを利用して大胆な策を講じれば、より大きな成果が得られる”……これは君が作った教本にあった言葉だな。それを危惧しているのか」
グレーフェンベルク伯爵の言葉に私は大きく頷いた。
「その通りです。警戒しすぎかもしれませんが、今の状況で積極的に動かなくても、マクシミリアン皇子に対する民衆の支持が戻ることはありません。逆に我々が動き、それを逆手に取られ、これまでのことはすべて我が国の謀略であったとされる方が痛手は大きいと思います。帝都では無理をせずに傍観に徹しましょう」
「帝都ではということは、別のところでは積極的に動くということかしら?」
イリスが突っ込んできた。
「ゴットフリート皇子の家族がザフィーア湖に向かう。最終的な目的地は不明だが、何かあった時に大平原に逃げ込めるよう、エーデルシュタイン辺りに潜伏するはずだ。それなら、ゴットフリート皇子が大平原で独立するつもりだという話をエーデルシュタイン周辺で流しておけば、マクシミリアン皇子もゴットフリート皇子に疑いの目を向けざるを得なくなる」
「そうね。こちらには長距離通信の魔導具があるから、皇帝の死と繋がっているようには見えないわ。だから、必要以上にモーリス商会を危険に曝すこともない」
「その通り」
妻は私の考えをよく理解している。
「では、帝都では情報収集のみ、エーデルシュタインでゴットフリート皇子の独立の話を流す。あとは帝都の状況を見て、行動を決めるという感じでいいな」
グレーフェンベルク伯爵がそうまとめたので、大きく頷いておく。
「特に葬儀とその後の即位式が重要です。どのタイミングでマクシミリアン皇子が次期皇帝として認められるのかを注視しておくべきでしょう」
消極的過ぎると思わないでもないが、今は無理をする必要はないと思うようにした。
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