第35話「帝国の混乱」

 統一暦一二〇六年四月十三日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、ネッツァー邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 皇帝の死から十日が経った。

 その死が公表されてから、帝都では大きな混乱が起きている。

 次期皇帝に誰がなるのか、正式な発表がないだけでなく、別の噂も混乱を引き起こす要因だ。


 その噂だが、皇帝コルネリウス二世が急逝したのは、ゴットフリート皇子を指名しようとして、マクシミリアン皇子に暗殺されたというものだ。これが帝都にまことしやかに広まっている。


 また、ゴットフリート皇子が皇位継承権を放棄したと公式に発表しているが、それも家族を人質に取られているからだという噂も流れている。

 その根拠としては、ゴットフリート皇子の家族の姿が見えなくなったことだ。


 実際、ゴットフリート皇子の家族は皇帝崩御の発表があった四月四日の夜に、モーリス商会の手によって帝都を脱出している。


 そのこと自体は気づかれなかったが、さすがに数日間姿を一切見せないと、出入りの商人を始め、不審に思う者が出てくる。


 その話が広がると、更に次はゴットフリート皇子が暗殺されるのではないかという話になり、それを聞いた市民や兵士が事実関係に関係なく、抗議の声を上げ始めたのだ。


 内務府の諜報局は噂を流す者を捕らえるため、帝国軍と共同で動き始めた。その結果、五百人とも千人とも言われる人々が投獄され、皇帝崩御という悲しみとは無縁のギスギスした空気が帝都を支配しているらしい。


 投獄された人々の中には第二軍団、第三軍団の兵士も多く含まれ、戦友を救い出そうと他の兵士も騒ぎ始めた。その結果、帝都の治安を守る衛士隊が出動して鎮圧する事態にまでなっている。


 暴動の鎮圧自体は大きな混乱もなく成功裏に終わっているが、その後も騒動が無くなることはなかった。


 そのため、商人たちが大規模な暴動に繋がるのではないかと不安を感じ始め、店舗を閉めるところや、開けていても売り渋るようになった。


 その結果、物価が高騰し、市民の不満が更に増大していった。そして、それが売り渋りに拍車をかけるという悪循環に陥っている。


 ちなみにこれらに関して、私や情報分析室は一切関与していない。

 それどころか、モーリス商会には積極的に物資を放出して、内務府に協力する姿勢を見せるように依頼しているくらいだ。


 もっとも大手の商会とはいえ、一社だけでは焼け石に水で、物価高騰に歯止めは掛からず、市民の不満は全く解消されていない。


 そして、三日前の四月十日に、帝都では皇帝コルネリウス二世の葬儀が行われていた。

 皇帝の葬儀ということで、磨き上げられた装備を身に纏った第一軍団の兵士一万が整列し、厳粛な雰囲気の中、粛々と執り行われた。


 それを仕切ったのが、マクシミリアン皇子だが、集まった市民は彼に対して好意的ではなかったという報告を受けている。


 帝都は緊迫した状況が続いていたが、本日“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の上級魔導師マルティン・ネッツァー氏から呼び出しがあった。

 そのため、士官学校の帰りにネッツァー氏の屋敷を訪れた。


 長距離通信の魔導具がある部屋に案内されると、ネッツァー氏が待っていた。

 開口一番、不穏な単語が出てきた。


「帝都で戒厳令が敷かれたらしい」


「戒厳令ですか……マクシミリアン皇子も遂に我慢できなくなったようですね」


 私がそう言うと、イリスが質問してきた。


「戒厳令って、軍が行政権や司法権を持つということよね。でも、今回は第二軍団や第三軍団の兵士も暴動に参加しているわ。第一軍団だけで実効的な支配になるのかしら?」


「その点は私も気になったから、ネーアー支店長に聞いているよ。私から説明するより、直接聞いた方がいいな。ネーアー君、君から説明してくれないか」


 ネッツァー氏が通信の魔導具に話しかける。


『承知いたしました。マティアス様、イリス様、ご無沙汰しております。ヨルグ・ネーアーです』


 ネーアーは現在三十歳で、商会長であるライナルト・モーリスの信頼が篤い人物だ。比較的若いながらも、三年前から帝都支店を任されているほど優秀で、帝都での情報収集や情報操作でも世話になっている。


「いろいろとご面倒を掛けています。帝都の状況を教えてください」


『帝都は酷い状況になっていますね。大通りには第一軍団の兵士の姿が常にありますし、連行される者の叫び声が途切れることもありません。一応治安は保たれていますが、一触即発という感じで、夜間外出禁止令も出されました。当然ですが、酒場や飲食店は店を閉めています』


「そちらへの影響はどうですか? 例の家族のこともありますし、疑われているなら脱出も検討していただいた方がいいですから」


『その点は問題ありません。マティアス様のご指示で物資を放出しましたから、我が商会は第一軍団、内務府、市民の方々のいずれからも好意的に見られております。シュテヒェルト内務尚書からも直々にお褒めの言葉をいただいたほどで、今のところ全く問題はありません』


 その言葉に安堵する。


「枢密院について、最新の状況を教えてください」


『申し訳ありませんが、枢密院については裏が取れない不確実な情報しか入ってきておりません。噂ではフェーゲライン議長が拘束されたとか、マクシミリアン皇子が枢密院解散を宣言したとか、いろいろありますが、確実な情報は、コルネリウス二世の葬儀以降、フェーゲライン議長が公式の場に姿を見せていないということと、枢密院の議会が開かれていないことだけです』


 マクシミリアン皇子と枢密院の関係は大きく拗れたままのようだ。


「市民の様子はどうでしょうか?」


『お客様から聞いた話ですが、やはりギスギスした感じがあるようです。一応平静を取り戻したように見えますが、兵士や諜報局の職員がいないところでは、数人が集まって小声で話をしているという状況です。私自身も何となく嫌な空気を感じています』


 戒厳令によって、何とか治安を維持しているという状況のようだ。


「第二、第三軍団の兵士はどうでしょうか? 酒場が閉鎖されたことで駐屯地に閉じこめられているということでしょうか?」


「申し訳ありません。第二、第三軍団とは全く接触できないのです。これも噂に過ぎませんが、近々大規模な演習のために帝都から離れるのではないかとのことです」


 ゴットフリート皇子を支持する兵士を、帝都に置いておきたくないということだろう。


「分かりました。イリス、君から聞きたいことは?」


 私の問いに「あるわ」と答え、魔導具に向かって話し始める。


「物価高騰に対して、帝国政府は何も手を打っていないのかしら? 以前は軍の物資を放出して穀物の値段を下げていたのだけど」


『そのような話は出ていません。私の方から内務府には物資の放出を行うべきだと提案はしているのですが、シュテヒェルト内務尚書の動きがいまいちよくないような気がします。これは私の思い過ごしかもしれませんが』


 マクシミリアン皇子と内務尚書の間もおかしくなっているのかもしれない。

 そんなことを考えていると、イリスが更に質問をしていた。


「もう一つ、いえ、二つ教えてほしいわ。軍務尚書のバルツァーはどうしているのかしら?それとゴットフリート皇子はまだ、マクシミリアン皇子を支持していると言っているのかしら?」


『バルツァー軍務尚書については特に情報はありません。葬儀には出席されていたようですが、話題に上がるようなことは一切ないですね。ゴットフリート皇子についてですが、葬儀の際にマクシミリアン皇子への支持を改めて発表した後は、新たな情報は入っていない状況です』


 重要な情報が隠蔽されているような気がした。


「そう……ありがとう。とても参考になったわ」


 そう言った後、私に視線を向ける。


「重要人物に関する情報が少なすぎるわ。上手くいっていないから隠しているのかもしれないけど、意図的な隠蔽と思えなくもない。あなたはどう考えているのかしら?」


「私も同じ印象を受けたよ。ただ分からないのは、マクシミリアン皇子にとってどんなメリットがあるかということだね。彼にとって状況が悪くなる一方なのに、打つ手がすべて後手に回っている。誰かに嵌められているのか、何か思惑あるのか……情報が少なすぎて判断できないという感じだね」


 私たちの会話にネッツァー氏が加わる。


「今の状況は偶然ではないというのが、君たちの意見ということかな?」


 その問いに僅かに肩を竦める。


「難しいところですね。ただ、何らかの意図は感じています。もう少し様子を見れば、何か分かるかもしれませんが、今はそれ以上言いようがないですね」


 正直な感想だ。

 冷徹な合理主義者で政戦両方の天才マクシミリアンが手を拱いていることが不可解だし、切れ者のシュテヒェルトの動きが鈍いことも気になる。


『シュテヒェルト内務尚書については、戒厳令のことで話を聞きにいこうと思っています。港湾地区が厳戒態勢で物資の移動も満足にできませんので』


「無理をしない範囲でお願いします。今はネーアーさんたちの安全が一番ですから」


『ありがとうございます。私も牢屋に入れられたり、拷問されたりしたいわけではないので、疑われないようにします』


 こうして情報収集のみを行うこととなった。

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