第36話「伏兵」

 統一暦一二〇六年四月二十日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。マクシミリアン・クルーガー元帥


 父コルネリウス二世の葬儀を終えてから十日が過ぎた。

 帝都の混乱は収まる気配が見えず、苦肉の策として戒厳令を敷くしかなかった。


 ここまで混乱が大きくなったのは、グライフトゥルム王国の謀略が効いていることもあるが、枢密院が抵抗していることが一番の原因だ。


 議長であるハンス・ヨアヒム・フェーゲラインは、頑なに私の即位を認めず、枢密院での採決を延ばし、それによって即位ができない状況なのだ。


 彼の言い分は、枢密院はあくまで皇帝の諮問機関であり、皇帝の命令で次期皇帝候補が妥当か審議するのであって、自薦する候補者の審議を行う権限はないというものだった。


 確かに現行の法制度では、彼の言い分は間違っていないが、このような状況は想定されておらず、国のことを考えるのであれば、柔軟に対応すべきだ。


 しかし、フェーゲラインは自らの権力を維持するために、私の即位を引き延ばす一方で、市民や兵士を扇動して政情不安を引き起こし、私に資格がないという風潮に持っていこうとしている。


 フェーゲラインがそのような手に出てきたため、私も強引な方法を採らざるを得ず、戒厳令を敷いて、枢密院を一時的に閉鎖した。

 彼との我慢比べになっているが、今のところ私の方が不利な状況だ。


 その理由だが、軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーが、私に対して協力的な姿勢を見せないことが大きい。


 戒厳令に対しても、兄ゴットフリートや内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトは賛成したが、バルツァーは強く反対していた。


『殿下はどのような権限で戒厳令を敷かれるのか。第二軍団長として行うのであれば、帝国への反逆行為と言わざるを得ません』


 確かに法的な根拠はなく、クーデター紛いの行為だが、次期皇帝として治安を維持することは正当なことだ。

 そのことを伝えたが、彼はまだ反対の姿勢を崩さなかった。


『次期皇帝とおっしゃるが、先帝陛下からの指名もなく、枢密院の承認も得ていません。戒厳令を敷くのであれば、法的根拠を示すべきでしょう』


 結局、平行線となり、彼は軍務府への出仕を拒否し、屋敷に籠っている。


 その結果、シュテヒェルトに負担が集中した。

 彼は有能だが、一人だけでは帝国政府という巨大な官僚機構を統御することは不可能だ。


 また、ラウシェンバッハの謀略が不安視される中、諜報局を担当するシュテヒェルトの負担は大きく、その結果帝都の治安維持が後手に回ってしまった。


 私は今ほど有能な直属の部下を持っていないことを悔やんだことはない。

 私の配下にシュテヒェルトやバルツァー並みの者がいれば、ここまで追い込まれることはなかったからだ。


 悔やんでいても事態は好転しないので、フェーゲラインと対決することに決めた。

 本日、枢密院に元老たちを集め、その場でフェーゲラインが帝国に混乱をもたらしていると告発した。この告発を公表し、私の主張の正当性を世に知らしめようと考えたのだ。


「この状況を招いた責任は、次期皇帝の承認を行わぬ枢密院にある。特に議長は皇位継承権を有する私からの要請を理由なく拒み、更に皇位継承権を放棄した兄ゴットフリートを担ぎ出そうとしている。現状では私以外の皇位継承権保有者で、次期皇帝になり得る者がいないにもかかわらずだ。このような行為は我が国に対する裏切りと言っても過言ではない」


 私の告発にフェーゲラインは表情を変えることなく、反論する。


「殿下に申し上げるが、枢密院はあくまで皇帝陛下の諮問機関であり、皇室からの要請に応える組織ではありません。皇帝陛下が殿下を後継者として指名したという明確な根拠をお示しいただかなければ、審議のしようがないのです。もし、万が一資格のない方を承認すれば、帝国の歴史に大きな傷を残すことにもなりかねませんので」


 彼の言葉に議員である元老の一部が頷いている。


「卿はこの混乱を放置しても仕方がないと言うのか?」


 私の問いにフェーゲラインは小さく首を横に振る。


「そのようなことは考えておりません。ですが、我らには権限がないのです。そのことをご理解いただければと」


 あくまで権限がないと言い張る。


「現在皇帝が不在の状態だということは理解していよう。権限云々というのであれば、国家元首たる皇帝が不在の場合、枢密院議長が元首代行となるのだから、卿が次期皇帝候補を推薦し、枢密院で審議すればよい。卿以外の議員は八名いるのだ。卿が推薦した者が妥当であれば、問題はなかろう」


「お戯れを」


 フェーゲラインは冷笑で浮かべている。


「今は我が国の非常事態だ。それに対して、国家の中枢で政治や軍事を担い、帝国をよき方向に導くべき枢密院議員がその責任を放棄している。ならば、枢密院など無用の存在だ」


「それが本音でございますか?」


 フェーゲラインはそう言って私を睨んだ後、元老たちに視線を向ける。


「マクシミリアン殿下は枢密院を廃止するおつもりのようだ。そのような方を皇帝陛下とお呼びしてもよいものだろうか」


 複数の元老が頷いている。


「ならば、卿らに問う。誰が次期皇帝に相応しいと考えているのか? 一人ずつ答えてくれぬか」


「答える必要は認められませんし、それは我ら枢密院議員に対する恫喝と捉えますぞ」


 フェーゲラインが勝ち誇った表情で私を見据える。


「いいだろう。だが、帝国は戒厳令下にあることを忘れるな。帝国の混乱を助長する行為は国家反逆罪に当たる。そのことを肝に銘じておけ」


 そう言った後、最後に付け加える。


「次期皇帝として私を認めろとは一度も言っていない。枢密院として帝国の混乱を最小限に収める方法を提案しろと言っているだけだ。適任者がいるのであれば、私以外の者を皇帝として承認してもよい。それが帝国にとって最善であると考えるのならば」


 そこで思わぬ人物が発言した。元第三軍団長のルーティア・ゲルリッツ元帥だ。


「小職は枢密院として検討すべきと考えます」


 フェーゲラインは彼女が発言したことに驚いたのか、それまでの無表情から一瞬だけ表情が動いた。

 私も驚いたという点では同じだ。


 彼女は父と士官学校の同期であり、父に対して絶対の忠誠を誓っている人物だ。しかし、彼女は昔から兄ゴットフリートの才能を愛しており、この発言が私を推薦することと同じかは別の問題だからだ。


「ゲルリッツ殿に発言を許した記憶はないが?」


 フェーゲラインは落ち着いた表情でそう指摘したが、ゲルリッツはそれに対し、毅然とした表情で反論する。


「今回のマクシミリアン殿下との会合は正式なものではなかったはずだ。非公式なものであれば、議長の許しを得る必要はないと思うが、何か問題があるのだろうか?」


 どうやらゲルリッツはフェーゲラインと敵対しているらしい。

 この会合が正式な審議の場であれば、枢密院議長が指名した者しか、公式な発言とは認められない。しかし、非公式な会合なら、誰が発言してもよいという彼女の主張は正しい。


 逆にこの会合が正式なものであれば、今までの議論は議事録に残り、枢密院としての正式な見解となる。それを公表すれば、枢密院が権力維持のために不当に次期皇帝を定めなかったと主張することが可能だ。


 つまり、フェーゲラインとしてもこの会合は非公式とせざるを得ないのだ。


「確かに非公式の会合であり、先ほどの小職の発言は間違っていた。ゲルリッツ殿に謝罪する」


 予想通り、非公式であることを認めた。


「ならば、他の議員にも発言を認めるべきだ。卿らはどのように考えているのだ? フェーゲライン殿の主張を支持するのか?」


 ゲルリッツの鋭い眼光が元老たちを射貫く。

 それに対し、五名の元老が彼女の提案に賛同したため、過半数を超えた。


「六名の議員が審議すべきと考えている。議長殿はこの事実を重く受け止め、早急に対処をお願いしたい」


 フェーゲラインは戦争にしか興味がなかったゲルリッツが、このような行動に出たことに困惑しているように見えた。

 これについても、私も同じように驚いている。


 ゲルリッツは戦術家としては優秀であったが、政治的な才能はないと思っていた。実際、父の軍事顧問であった昨年以前でも、戦略や戦術に関する助言はしていたが、政策に関する助言は一切行っていない。彼女自身、自分には政治的才能がないと認めている。


 誰かに入れ知恵された可能性が高いが、彼女を動かせる者は父なき今、兄ゴットフリートと第一軍団長のローデリヒ・マウラーくらいしかいない。しかし、そのいずれも政治的なセンスはなく、その点が引っかかっていた。


「よろしい。では、明日から枢密院議会を開かせてもらおう。殿下、戒厳令下にありますが、枢密院の閉鎖を解いていただきたい」


「いいだろう。但し、この状況が長引けば、グライフトゥルム王国の謀略を仕掛けてくる可能性が高い。早急に結論を出すことを望む」


 フェーゲラインはそれに頷くが、その表情は全く変わっていなかった。

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