第37話「フェーゲラインの失策」

 統一暦一二〇六年四月三十日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。ハンス・ヨアヒム・フェーゲライン議長


 本日、枢密院議長である私が推薦するマクシミリアン皇子・・が、ゾルダート帝国第十二代皇帝として相応しいかの採決が行われる。


 当初、私はマクシミリアン皇子を推薦するつもりはなかった。しかし、元第三軍団長のルーティア・ゲルリッツ議員が発案し、過半数の賛成でマクシミリアン皇子を次期皇帝候補として推薦することが決まった。


 議員からの提案であり、これ以上の妨害は難しいと判断し、粛々と認めた。

 それでも問題ないと思っている。次期皇帝候補であって皇帝になると決まったわけではないからだ。


 私はマクシミリアン皇子が皇帝になることを阻止したいが、それは私利私欲ではなく、愛国心からだ。


 彼が皇帝になれば、枢密院は廃止され、皇帝による親政、すなわち独裁政治が始まるだろう。そうなれば、将来に必ず禍根を残す。


 独裁を阻止するために、マクシミリアン皇子に対する悪評をばら撒いた。もちろん、私が行ったことが後から発覚しないように、グライフトゥルム王国のラウシェンバッハの手の者が行ったかのような工作を行っている。


 最も効果的だったのは、ゴットフリート殿下・・との対立に関する情報操作だった。

 マクシミリアン皇子がゴットフリート殿下を亡き者にしようとしていること、既にご家族は拉致され、殿下はマクシミリアン皇子の言いなりになるしかないことなどを広めた。


 実際に殿下のご家族は行方が分からず、どれほど調べても一切情報が出てこない。そのため、民衆はその情報を無条件に信じ、更に広めてくれた。


 シュテヒェルト内務尚書の配下である諜報局の職員が摘発に奔走し、多くの者が捕らえられた、私にとって何ら痛手ではなかった。


 摘発された者たちに噂を広めるよう依頼したのは帝都の商人たちで、その商人に命令したのは私の元部下である内務府の官僚だ。それもシュテヒェルトに対して、よい感情を持っていない者ばかりを集めている。


 そして、同じ内務府の諜報局の動きを見つつ、噂を広めさせたため、官僚たちにまで手が伸びることはなかった。念のため、官僚たちが商人に命じる際は、王国の情報部と偽らせていたが、今のところその配慮は無用だった。


 マクシミリアン皇子とシュテヒェルトはラウシェンバッハという若者を異常に警戒しており、王国というキーワードが出れば、それだけで思考が停止する。このくらいの配慮をしておけば、私のところまで辿り着くことはないだろう。


 そして、その工作は上手くいった。

 民たちの不満はマクシミリアン皇子とシュテヒェルトに向かい、ゴットフリート殿下は同情の対象となったのだ。


 当初は第二軍団、第三軍団の兵士たちにも噂を広めたが、マクシミリアン皇子に先手を打たれ、軍団ごと演習を理由に帝都を離れてしまった。


 二個軍団を掌握したゴットフリート殿下がマクシミリアン皇子を放逐するシナリオを描いたが、こちらは上手くいかなかった。


 それでも帝都民たちの怒りは大きく、元老たちもその声を無視することはできない。

 グライフトゥルム王国やリヒトロット皇国なら民の声など無視するのだろうが、我が帝国ではそうはいかないのだ。


 元々共和制の国家であることから民の支持は重要だ。また、国民皆兵制を採っていることから、民衆と言っても予備役である者が多く、その力は侮れない。更に帝国軍の士官の多くが帝都出身であるため、民衆が立ち上がれば、同調しかねないのだ。


 その民衆がマクシミリアン皇子を拒否している。この事実は大きい。

 昨年十月時点では、反マクシミリアン皇子派と言えるのは私だけだったが、ここ数ヶ月間、マクシミリアン皇子が強硬な姿勢を取り続けたため、不安を感じる元老が出始めた。


 そのことに私は気づいており、推薦することが決まってから十日間、審議を尽くすという理由で引き延ばしつつ、その者たちに対して工作を行い、二名を反対派に引き込むことに成功する。


 念のため、昨日の夜にもその二人と極秘裏に会合を持ち、今日の採決では確実に反対する旨を確認している。


 そして、今日採決が行われる。

 会議場には我々議員だけでなく、マクシミリアン皇子と内務尚書のシュテヒェルト、第一軍団長のローデリヒ・マウラー元帥の姿があった。結果が気になるからだろう。


「それではゾルダート帝国第十二代皇帝として、マクシミリアン殿下が相応しいか、審議を行う」


 そこで議員たちに視線を向けてから、発言を続けていく。


「既に昨日までで議論は尽くしていると思う。最後に発言したい者があれば、ここで発言し、それをもって採決に移りたいと思うがいかがか」


 八人の議員全員が頷いた。

 しかし、一人ずつ見ていくが発言を求める者はおらず、「意見はないということでよろしいかな」と言ってから、正面を向く。


「では、採決を行う。マクシミリアン殿下を第十二代皇帝として相応しいと思う者はその場で起立願いたい」


 ガタッという椅子の音が響き、六人の議員が立ち上がった。

 マクシミリアン皇子にチラリと視線を向けるが、彼の表情は変わっていなかった。可愛げがないと思うが、私の勝利は揺るがないので淡々と進めていく。


「賛成者は六名。全議員の四分の三に満たないため、枢密院としてはマクシミリアン殿下を皇帝として推挙できないと答申する……」


 そこでゲルリッツが発言を求めた。


「発言を許可してもらいたい」


「採決は規定通りだが、何か問題があるというのか?」


「今回の審議結果に対しての異議ではない。この後のことについて発言したい」


 この後と言われて疑問を持つが、結果に対しての異議でないため、発言を認めるしかない。


「ゲルリッツ議員の発言を許可する」


 ゲルリッツは「感謝する」と言って頭を軽く下げてから話し始めた。


「マクシミリアン殿下の推挙を否決したが、次期皇帝候補無きままでは片手落ちではないだろうか。先ほどの採決で反対した者はマクシミリアン殿下以外の候補を明確にすべきだ。そうでなければ、この混乱が更に続き、我が国の国力を低下させることになる」


 痛いところを突いてきた。

 彼女の意見は正論であり、賛成した者たちが大きく頷いている。逆に私以外の反対者はオドオドとした表情で私を見ていた。

 この状況で意見を求めても無理だと判断し、私が意見を述べることにした。


「では、まず小職から意見を述べる。ゴットフリート殿下が最も相応しいと考える……」


 そこでゲルリッツが口を挟んできた。


「待ってもらいたい。ゴットフリート殿下は皇位継承権を放棄され、更にフェーゲライン議長が翻意を促しても、意見を変えられなかったと聞いている。今日になってゴットフリート殿下が意見を変えられたということなのか?」


 ここでも痛いところを突いてくる。

 昨日もゴットフリート殿下にお会いし、翻意をお願いしたが、認めてくださらなかった。


「まだ確約はいただいていないが、殿下も帝国のために……」


 ここでもゲルリッツは私の発言を遮る。


「それはおかしい。枢密院は皇位継承権を持つ方が次期皇帝に相応しいか審議するのだ。皇位継承権を持たぬ方を推挙し、審議することは枢密院の権限にないことだ。議長もそのことは承知していると思うがいかがか」


 その問いに口を噤まざるを得ない。


「では、フェーゲライン議長は適切な候補がない中で、反対されたと理解するが、それでよろしいですか?」


 この流れは不味いと慌てて言葉を紡ぐ。


「そうではない。ゴットフリート殿下が難しいのであれば、パトリック殿下がよいのではないかと……」


 そこでゲルリッツが激高し、テーブルをパーンと叩いた。


「ふざけているのか! パトリック殿下はまだ十四歳。士官学校にすら入っておられぬ。十年後ならともかく、現時点で皇帝陛下に相応しい力をお持ちとは思えぬ。幼いパトリック殿下がマクシミリアン殿下以上に相応しいという理由を明確にしてもらいたい!」


 その言葉に反論できない。

 他の二人も下を向き、発言しようという意思を全く見せない。


「意見が出ないようだが、卿らに問いたい。卿らはこの状況下で皇帝不在の状況を容認するというのか? 帝国の未来をどう考えているのか、はっきりと答えていただきたい!」


 戦場で鍛えた声で我々を追い詰めてくる。


「本件については後日協議したい。だが、否決されたことは事実。よって、皇室にはマクシミリアン殿下を推挙できない旨を報告する。本日の審議は以上だ!」


 私は強引に打ち切りを宣言し、立ち上がった。

 そこでパチパチパチという拍手の音が響く。


「見事な茶番劇を見せてもらった」


 マクシミリアン皇子が拍手しながら嘲笑していた。


「フェーゲライン、卿は枢密院の存在意義を自ら否定した。枢密院は帝国の未来について何ら考えていないと宣言したのだ。このようなものを存続させておく意義を私は認めん」


 それだけ言うと、皇子は議場から出ていった。


「マクシミリアン殿下のお言葉は正鵠を射ていると思いますね。対立するのではなく、妥協点を探るべきでしたよ、議長閣下」


 シュテヒェルトが軽い口調でそう言いながら、皇子の後を追う。

 議員たちは後味の悪そうな表情で立ち去り、私は一人議場に残された。


(ゲルリッツにやられるとは思わなかった。誰に入れ知恵されたのだ? マクシミリアン皇子とは距離があると思っていたが、上手く取り込まれてしまったのかもしれん……迂闊であった……)


 思わぬ伏兵ゲルリッツにやられたことに意気消沈しながら、屋敷に戻っていった。


 そして、その夜、私の屋敷に兵士が乱入してきた。


「おやめください!」


「無礼ですぞ!」


 使用人たちの叫ぶ声が聞こえる。

 そんな中、連隊長を示す騎士長の徽章を付けた士官が兵士たちの前に出る。


「第一軍団長ローデリヒ・マウラー元帥閣下の命令により、ハンス・ヨアヒム・フェーゲラインを拘束する。抵抗せずに大人しく従え」


「枢密院議長である私に対し、どのような容疑が掛けられているのかね?」


 私にはまだ余裕があった。証拠は何も見つかっていないはずで、前回もそれで乗り切っているからだ。


「国家反逆罪だ。告発者はマクシミリアン・クルーガー元帥閣下である。告発状には貴殿がグライフトゥルム王国と手を組み、我が国に混乱を与えたとある」


「証拠はあるのかね」


「マウラー元帥閣下、クルーガー元帥閣下がお持ちなのだろうが、小官は知らぬ。だが、命令自体は有効なものだ」


 ここに来て私は、マクシミリアン皇子に嵌められたことに気づいた。証拠がなくとも、自白に追い込めばいいと考えたのだろう。


「不当に元老を逮捕したのだ。その報いは必ず受けてもらうぞ」


 そう言って脅すが、士官は平然とした表情で、兵士に向かって命令を出す。


「フェーゲラインを拘束し、内務府に連行せよ。但し、まだ元老であるから、礼を失しないようにな」


 そう命じるものの、兵士たちは乱暴に私を掴み、縄を掛けた。


「君たちは全員後悔することになる。この言葉を忘れるな」


 それだけ言うと、私は大人しく兵士に身を委ねた。

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