第44話「ベトルンケン(酔っ払い)対策:後編」

 統一暦一二〇六年五月八日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 新たに皇帝マクシミリアンの側近となったヨーゼフ・ペテルセンに対し、“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”のシャッテン、カルラ・シュヴァルツァーが暗殺してはどうかと提案してきた。


 私自身も考えたことはあるが、メリットとデメリットを考えると、明らかにデメリットが大きく、暗殺という手段を否定した。


 こういったことを含め、私の考え方を知ってもらっておいた方が良いと考え、エレンたちシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペに伝えることにした。


 彼らは私に対して絶対の忠誠を誓い、ともすれば安易に命を捨てようとする。そのことを以前から辞めさせたいと思っていたためだ。


「私は無駄が嫌いだ。長い年月をかけて育て上げた人材を無駄にすることは、長期的に見れば、ほとんどの場合がマイナスになる。君たちも自らの命を捨てるのであれば、皇帝と刺し違えるとか、帝国軍一万を道連れにするとか、絶対にマイナスにならない時にやってもらいたい。そうでないなら、私はその行動がどれほど私のためになると分かっても認めない」


 そして、モーリス兄弟にも同じように伝える。彼らも私に対して妄信的になっている気がしたためだ。


「君たちも同じだ。君たちは将来、大きなことを成し遂げる人物になるだろう。そんな君たちは安易に自らを犠牲にするようなことを考えてはいけない。私のことを想ってくれることは嬉しいが、そうであるなら早く一人前になって、私の右腕になってくれた方が遥かに嬉しい。君たちならなれると信じているから」


 フレディとダニエルは私の言葉に大きく目を見開いて頷いた。

 この二人は商人の子とは思えないほど私に対する忠誠心が高い。これは黒獣猟兵団と交流していることが原因のようだが、このままでは将来が不安だと思っている。


「いつも言っている通り、安全第一で最大の効率を目指す。これが“千里眼のマティアス”のやり方だと思ってほしい」


「そうね。あなたの作戦はいつも犠牲が最小限になるように立てられているわ。私もその考えに賛成よ。でも、優先順位はしっかりと考えてほしいわ。特に黒獣猟兵団は、あなたの護衛なの。あなたを守ることが最優先よ。そこは間違えないでほしいわ」


 その言葉にエレンたちが紅潮した顔で大きく頷く。


「我々の使命はマティアス様をお守りすることです。そのことを忘れることはありません」


 せっかく私に対する妄信的な考えが是正できるかと思ったのに、彼女の言葉で元に戻ってしまった。

 しかし、言っていることは正しいので否定することはできない。


「暗殺の話が出たけど、帝国があなたに暗殺者を向けてくる可能性については、どう考えているのかしら?」


 このことは自分でも考えていたので、すぐに答えることができる。


「あり得るだろうね。帝国にとって私は、グレーフェンベルク閣下と並んで排除したい者だろうから。帝国だけでなく、マルクトホーフェン侯爵も同じだろう。だから、両者が手を組んで私を始末しようと動くかもしれない」


 私の言葉を聞き、エレンたちに緊張が走る。


「そこまで分かっているなら対応も考えているのでしょ? どうするつもりなの?」


「特に考えていないよ。私の護衛は十分すぎるほどだ。エレンたちが守ってくれているだけでも充分な抑止力になっているし、シャッテンの陰供が常に守ってくれているから、皇帝や侯爵が雇えるくらいの“ナハト”の暗殺者が来ても問題はないと思っている」


「でも、皇帝が膨大な金を用意したらどうするの?」


「今の護衛体制を突破できるほどの暗殺者を用意しようと思ったら、それだけの金を正規の予算以外で拠出することは難しい。だから、金の流れを追えば、事前に察知できる。察知できれば、比較的安全なグライフトゥルム市の“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”に匿ってもらう。いくら“ナハト”でも叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔の中まで暗殺者は送り込めないから」


 ナハトの暗殺者はシャッテンとほぼ互角の腕を持つと言われている。しかし、魔導師の塔にはそれ以上の実力者がいるから、そこにいれば安全だ。


「マティアス様のおっしゃる通り、大導師様を始め、優秀な魔導師が多くいますし、シャッテンも守りを固めていますから、お守りすることは可能です」


 そう言ってカルラが自信を見せる。

 魔導師マギーアは戦争には関われないが、自衛のための戦いは可能なので、凄腕の暗殺者であっても潜入する前に排除される。


「そうね。なら、暗殺者のことはそれでいいわ。話を戻すけど、ペテルセンに対しては情報収集だけでいいのかしら?」


「情報操作などの謀略を仕掛けるかということかな?」


「ええ、何もせずにいれば、帝国内での地位を確立されてしまうわ。そうならないように何か仕掛けるべきだと思うの」


 イリスの発言の後、フレディ・モーリスが手を挙げた。


「意見があるなら遠慮せずに言ってくれたらいいよ」


「ありがとうございます。僕が考えたのは、引き抜きを行ってはどうかということです」


 意外な言葉に驚く。


「引き抜く? ペテルセンを? 無理だろう……」


 一介の教官から将軍待遇の皇帝の側近になり上がったのだ。引き抜きなどできるはずがない。


「お酒を使えば何とかなるかもしれません」


 フレディの言葉にイリスが満面の笑みを浮かべる。


「それはいいかもしれないわ! 情報がないから確信とまではいかないけど、“ベトルンケン酔っ払い”と言われるほどのお酒好きなんでしょ。なら、帝国より王国の方が有利よ。何と言っても美味しいお酒は我が国と共和国の方が多いのだから」


 イリスの言葉にフレディが大きく頷く。


「僕の考えも同じです! 父から聞いたのですが、うちの商会でも王国や共和国のお酒を帝都に運んでいると言っていました。ですので、それを使えるかなと思いました」


 確かにグライフトゥルム王国は麦を使ったビールやエール、更には蒸留酒であるウイスキーが名産だ。これは穀倉地帯を持っており、余剰分を酒造りに回せるためだ。


 また、グランツフート共和国は首都ゲドゥルトなど、ワインの名産地として大陸中に知れ渡っている。


 その両国と戦争しているゾルダート帝国では王国や共和国の酒は高価であり、また量も少ない。


 それに穀物の生産量が少ない帝国では酒造りは盛んではなく、帝都に通信の魔導具を設置しにいった小人族ツヴェルクのヨルク親方は、盛大に文句を言っていたらしい。


「確かにそうかもしれないけど……いや、それだと余計に拙いかもしれない」


「どういうこと?」


 イリスが首を傾げる。


「リヒトロット皇国の西部はビールの名産地だし、皇都周辺は白ワインが有名だ。それを早期に手に入れるようにと皇帝を唆すかもしれないから」


「ありそうね……」


 そんな冗談ともつかない話をしたが、意外にありかもしれないと思い直す。


「モーリス商会に美味い酒を持っていってもらおう。いや、それだけと危険だな。ガウス商会に頼んだ方がいいかもしれない。高級カジノの酒場にいい酒を入れていることは知っているだろうから、伝手ができるはずだ」


 モーリス商会を使うことも考えたが、相手の能力が分からない以上、下手に接触しない方がいい。


 ガウス商会は帝都にカジノを建設した商会だが、モーリス商会が出資したというだけで、私や情報分析室、王国軍情報部とはほとんど繋がりがない。

 ペテルセンに接触するなら、ガウス商会を通じた方が安全だと考えたのだ。


「それがいいかもしれないわ。本当にお酒が好きなのか、それともそう装うことで油断を誘っているのかも分からないのだから。それに王国関係者からの賄賂を受けたという情報を流すこともできるから陥れることも可能かもしれない」


「そうなると、カジノである“神々の別荘ヴィラデアゲッター”が役に立つかもしれない。皇帝特別顧問という肩書に商人組合ヘンドラーツンフトの商人が反応することは自然だし、一躍有名になった人物が使ってくれるなら宣伝になると言えば、疑いは持たれにくい。何度か接触して人となりを探るにはいい方法だと思う」


 モーリス商会の帝都支店にその依頼を行い、ガウス商会を通じてヨーゼフ・ペテルセンに関する情報収集を開始した。

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