第5話「ラザファムの婚約:後編」

 統一暦一二〇六年七月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。ラザファム・フォン・エッフェンベルク


 マティアスたちと私の結婚について話し合っている。

 事の発端はグレーフェンベルク伯爵閣下の軍改革の話だが、なぜか私の結婚が重要な課題となってしまった。


 マティアスからは年内に結婚に持ち込めと急かされるが、王国の五侯爵家の一つ、レベンスブルク侯爵家と武の名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男の結婚を僅か半年で行えと言うのは非常識すぎる。


 しかし、彼の言う通り、来年にはミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵が宮廷書記官長に就任するから、激しい妨害が予想される。


 宮廷書記官長は国王の側近だ。国政に対する権限を持っていないのだが、この国では国王の言葉は何よりも優先されるから、宮廷書記官長の権力は非常に強い。


「理由は分かるが、侯爵閣下を説得するのは至難を業だぞ。そもそも結婚の式典を仕切ることすら今の侯爵家では難しいんだ。金銭的な部分はエッフェンベルク伯爵家うちが全面的に見るつもりだが、それでも侯爵家に相応しい格式を保つためには準備期間が必要だ」


 侯爵家ともなると、国王陛下を始めとした国内外の要人を招く必要がある。そうなると、衣装や料理、招待客の宿泊先の確保、手土産の準備など、マルクトホーフェン侯爵家のような力がある家でも、一年は掛かるはずだ。


 それに準備不足で無様な式にすれば、シルヴィアに惨めな思いをさせてしまう。それだけは避けたいという思いも強い。


商人組合ヘンドラーツンフトの支援を取り付けよう。モーリス商会を始めとした商人たちが全面的にバックアップしてくれれば、五ヶ月で準備を終えることができるはずだ」


 可能かもしれないと一瞬思ったが、すぐに懸念が頭に浮かぶ。


「確かにそうかもしれないが、そもそも商人組合ヘンドラーツンフトの力を借りることができるのか? モーリス商会はともかく、他の商人たちはマルクトホーフェン侯爵に睨まれたくはないだろう」


「その点は私が何とかするよ。そもそもレベンスブルク侯爵家と商人組合は関係が深いんだから、全面的に協力してもそれほど違和感があるわけじゃない。組合ツンフトには借りを作ることになるけど、彼らも私とマルクトホーフェン侯爵のどちらを敵に回したくないかと考えるだろうね。だから、問題はないはずだよ」


 マティアスはいつもの優しい笑みを浮かべているが、一瞬ゾクリと背筋が冷える。

 彼の言う通り、地理的にレベンスブルクと商都ヴィントムントは近く、結びつきは強いし、彼を敵に回したい商人はいないだろう。逆に貸しが作れるならと、喜んで手を貸してくれるはずだ。


「そうなると、侯爵閣下を説得することが一番の問題ね。これは兄様が頑張るしかないのだけど」


 妹の言葉にハルトムートも頷いたが、すぐに疑問を口にした。


「エッフェンベルク伯爵閣下の方は大丈夫なのか? 名門エッフェンベルク伯爵家の嫡男の結婚でもあるんだ。伯爵様や奥方様がいい顔をしないと思うんだが……」


「その点は大丈夫だ。私が義父上、義母上を説得する。もちろん、ラズにも頑張ってもらうが、お二人には政治的な思惑があることを私から説明すれば、ご納得いただけるはずだ」


「そうだな。父上も母上も私やイリスより、マティの方を信用しているところがあるからな」


 私が感慨深く言うと、妹も乗ってきた。


「そうね。私なんて、いつも母様から“マティアスさんはこのことをご存じなの”と言われるくらいなんだから」


 そう言って不満そうに頬を膨らます。

 子供の頃のような仕草を見て、私たちは一斉に笑い出した。


「何がおかしいのよ!」


 妹は私たちが笑ったことに対して抗議するが、すぐに一緒に笑いだす。

 笑いが収まったところで、私は真面目な表情に切り替えた。


「結婚のことはマティの言った通りにしよう。侯爵閣下は私が何とか説得する。君には手間を掛けさせるが、商人組合ヘンドラーツンフトと父上たちのことを頼みたい」


 こうして私の結婚の話は一気に加速することになった。


「ところでハルトはどうなの? あなたも浮いた話の一つくらいあるのではなくて?」


 妹がニヤニヤした顔でハルトムートの顔を覗き込む。


「何のことだ?」


 ハルトムートは平静を装っているが、僅かに視線が彷徨っている。


「ヴェヒターミュンデ伯爵家のウルスラさんと、仲良く稽古をしていたと聞いているわよ」


 昨年のヴェヒターミュンデ城派遣の際、ハルトムートがヴェヒターミュンデ伯爵家の長女ウルスラ嬢と剣の稽古をしていたという話は聞いている。


「何が言いたいんだ? ウルスラ様は伯爵家のご令嬢だぞ。俺は頼みこまれて稽古をつけただけだ」


「その割には楽しそうだったと聞いたけど」


「そうなのか? 私は聞いていないが」


 珍しくマティアスが驚いた表情を浮かべている。


「ウルスラさんとは同じ伯爵家の娘ということで、ヴェヒターミュンデ城にいた時に割と話をしているのよ。私と同じでお転婆だから、帝国領での斥候狩りのことも聞きたがっていたし」


 ウルスラ嬢は偉丈夫であるルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵の娘らしく、十四歳にしてハルトムートより背が高く、赤い髪が特徴的な美少女だ。元々活発な性格で、溺愛している伯爵にせがみ、剣の修行を許されていた。


 修行していると言っても、私やイリス、そしてハルトムートとは異なり、東方武術を学んでいるわけでもないので、腕も一般兵より少し強い程度だ。


「なるほど。確かにイリスとは気が合いそうだな。フフフ……」


 私が笑いながらそう言うと、ハルトムートも頷いている。


「そうだぞ。俺は我が儘な姫様に仕方なく付き合っただけだ」


「稽古が終わった後も話をしていたと聞いているけど?」


 その話は初耳だった。


「そうなのか?」


「せがまれたから、ヴェストエッケの戦いの話をしただけだ。伯爵令嬢に頼まれたら嫌とは言えないだろう」


 そう言っているが、彼の性格なら本当に嫌だったら断るはずだ。

 だから妹がニヤニヤしながら聞いているのだろう。


「ウルスラさんはあなたの話をたくさんしていたわよ。まあ、乙女の表情というわけではなかったけど」


 ウルスラ嬢は男勝りで有名だから、ハルトムートがどのように戦ったのか聞いたのだろう。


「いずれにしても俺がウルスラ様とどうこうなるなんてことはない。向こうは伯爵令嬢だし、まだ十五歳だ。それに伯爵が目に入れても痛くないほど可愛がっているんだからな」


 その言葉で彼が何となくウルスラ嬢に魅かれているような気がした。

 ただ、少しに気になることがあった。高等部の頃はマティアスの姉上、エリザベート殿に思いを寄せており、全く違うタイプのウルスラ嬢のどこに魅かれたのだろうかと。

 一瞬そのことを聞こうかと思ったが、妹が先に話し始めたのでタイミングを失した。


「身分がどうのって話はあまり関係ないと思うわ。ハルトはすぐに騎士爵になるでしょうし、連隊長になれば騎士爵の中でも上位に位置することになるのよ。第一、ルートヴィヒ様は身分に拘る方ではないわ。まあ、あの方にウルスラさんをくださいと言う方が大変かもしれないけど」


 イリスが言う通り、ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵は“貴族”というより“武人”という印象が強い。父に聞いたが、以前は保守的な考えを持ち身分を気にしていたらしいが、最前線に立つようになってから身分を気にしなくなったそうだ。


 実際、ヴェヒターミュンデ城でもハルトムートと普通に話していたし、マティアスの護衛である黒獣猟兵団の兵士と手合わせもしている。


 ハルトムートは私と同じく受勲しているし、兵学部を優秀な成績で卒業している。数年以内には騎士爵に叙爵されるはずだ。


 今は大隊長だが、グレーフェンベルク伯爵閣下の下であれば、連隊長に昇進することも夢ではなく、将来はジーゲル閣下と同じく将軍と呼ばれる地位にまで昇進する可能性は充分にある。


「俺のことはどうでもいいだろ! そんなことよりラズのことの方が重要じゃないのか!」


 自分の話で盛り上がり始めたので焦っているようだ。


「ラズのことも重要だけど、私はハルトのことも大事だと思っているよ。無理に結婚のことを考える必要はないけど、本当に好きなら私たちは応援するつもりだからね」


 エリザベート殿に思いを告げることなく失恋していたので、そのことをマティアスも気にしていたようだ。


「私も応援するわよ。というより、私を頼りなさい。ウルスラさんとは仲がいいのだから」


 そう言ってイリスは胸を張る。


「私にも期待してくれていい。まあ、私にできることがあるかは分からないが」


「お前ら、俺で遊んでいるだろ!」


 ハルトムートはそう言って真っ赤な顔で怒り出した。


 学生時代のような騒がしさを懐かしく思いながら、こんな時間がいつまでも続けばいいなと思っていた。

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