第4話「ラザファムの婚約:前編」
統一暦一二〇六年七月二日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。ラザファム・フォン・エッフェンベルク
クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵の屋敷を後にし、騎士団の宿舎に戻ろうとしたが、妹であるイリスに引き留められた。
「兄様の話を聞きたいわ。せっかくだからハルトも呼びましょう」
先ほど話したシルヴィア・フォン・レベンスブルク侯爵令嬢のことを聞きたいらしい。
まだ、午後五時にもなっていないが、ハルトムートまで来るとなると、しつこく聞かれることは間違いなく、憂鬱な気持ちになる。
「その話はいいだろ」
「私も話を聞きたい。といっても興味本位じゃなく、今後のためだ」
マティアスが真面目な顔で言ってきたので断れなくなった。
「仕方がないな……だが、一旦宿舎に戻って着替えてくる。この格好じゃ寛げないからな」
私的なパーティとはいえ、伯爵家の嫡男として相応しい正装を纏っている。
「そうね。ついでにハルトと一緒に来て。さっき、使いを出しているから話は通っているはずだから」
グレーフェンベルク伯爵邸を出る際に護衛の獣人に話をしていたが、それが使いなのだろう。
貴族街を抜け、平民街にある騎士団の宿舎に向かう。
宿舎に入ると、ハルトムートが待っていた。
「お疲れ。これからマティたちのところに行くんだろ」
陽気な声でそう言った後、小声で付け加える。
「閣下から何か話があったのか?」
この宿舎にはマルクトホーフェン侯爵派はほとんどいないが、侯爵が情報収集に力を入れており、凄腕の間者が潜入していないとも限らない。ハルトムートもそのことが分かっているので小声で聞いてきたのだ。
「ああ。せっかくだから、久しぶりに四人で飲もうという話になった」
それだけ答え、二人で歩き始める。
今回は貴族街の屋敷ということもあって二人だけだが、普段は私もハルトムートも大隊長ということで従卒が付いてくるのだ。
以前なら気軽に平民街の居酒屋に繰り出せたのだが、地位が上がると面倒だ。もっとも私たちより、マルクトホーフェン侯爵や皇帝から命を狙われているマティアスたちの方が大変そうだが。
「それで何があったんだ?」
歩きながらハルトムートが聞いてきた。
まだ夜には時間があるため、人とすれ違っているが、世間話をしているようにしか見えないので問題ないと判断したようだ。
「閣下から話があった。参謀本部と軍務省のことだ。詳しい話はマティのところでする」
さすがにこの話題を外でするわけにはいかない。
ラウシェンバッハ子爵邸に到着したのは午後六時頃。
子爵夫妻に挨拶をした後、テーブルに着く。私たちの分まできちんと用意してあるが、マティアスのことだから、予め用意するように言ってあったのだろう。
子爵夫妻とは久しぶりの会食で、学生時代を思い出す。
他愛のない話をしながら食事を楽しみ、その後はマティアスとイリスの私室に向かった。
私室は以前の子供部屋ではなく、客室として使っていた広い部屋だ。
部屋に入ると、護衛でもあるメイドのカルラが簡単なつまみと酒を用意してくれる。子供の頃は菓子と茶だったが、この光景も昔とあまり変わっていない。
「それでどんな話があったんだ」
一人だけ出席していなかったハルトムートが急かす。
「グレーフェンベルク伯爵閣下から参謀本部と軍務省の設立について相談があったんだ。できるだけ早い時期、具体的には年内、遅くとも来年の前半とおっしゃっていた」
「それは厳しいな。参謀本部はマティが何とかするとして、軍務省は無理じゃないのか?」
「その点は……ラズ、君から話した方がいいんじゃないか?」
マティアスはそう言ってニコリと微笑む。
ハルトムートは何となく察したのかニヤニヤとしていた。
「ハルトは感づいていると思うが、軍務卿のレベンスブルク侯爵閣下について、私からは団長に話をした」
「えっ! ハルトは兄様と侯爵令嬢のことを知っていたの!」
イリスが私の話を遮って驚きの声を上げる。
「知っていたというか、何となくだな。戦勝記念パーティでも俺とラズは一緒にいることが多いし、レベンスブルクを出た後のこいつの表情が少しおかしかったからな。まあ、騎士団でも気づいている奴はラズの大隊のごく一部だけだろうな」
部下たちに知られていると聞き、思わず目を見開いてしまう。そんな私を見て、ハルトムートは大笑いした。
「ハハハハハ! 上手く隠せていると思っていたのか? まあ、付き合いの短い奴はお前の表情から察するのは無理だが、シルヴィア様と会った後は明らかに浮かれていたぞ。そっちから言ってくれるのを待っていたくらいだ」
「ハルトに気づかれるのは仕方がないが、まさか部下にも知られているとはな……」
それからグレーフェンベルク閣下と話したことを伝えた。
「なるほど。レベンスブルク侯爵閣下がやる気になっているし、エッフェンベルク伯爵閣下も次官に就任する可能性が高いということか。あとはマティがお膳立てすれば、半年でも何とかなるな」
ハルトムートの感想にマティアスが頷く。
「ラズに聞きたいんだが、シルヴィア様とのことは侯爵家でどの程度知れ渡っているのかな?」
「侯爵閣下と奥方様、家令と侍女長と信頼のおける使用人数人くらいだ。私も以前のことで懲りたから、閣下には情報管理を徹底していただくようお願いしている」
学院時代、グレーテル・フォン・ヴァインガルトナー公爵令嬢と交際し始めたが、エッフェンベルク伯爵家が王家に連なる公爵家と縁戚関係になることを嫌ったマルクトホーフェン侯爵によって、グレーテルはケッセルシュラガー侯爵家に嫁ぐことになった。
その時の苦い経験を生かすべく、今回はできる限り周囲に悟られないようにしていたつもりだった。早急に婚約までたどり着き、邪魔が入る余地をなくしたいと思い、王都にシルヴィアがいるにもかかわらず、ほとんど会っていない。
本当はもう少し頻繁に会いたいのだが、彼女は叔母である第一王妃のマルグリット様と同じように家庭的な女性で、舞踏会などの社交的な場にほとんど出ない。仮にそう言った場で会っても、周囲の目が気になるからあまり話はできないが、それでも顔を見るだけでもと思ってしまう。
そこでマティアスが頷く。
「幸いなことなのか微妙だけど、マルクトホーフェン侯爵もレベンスブルク侯爵家に注意は払っていないようだね。侯爵家といっても実質的には子爵家程度の領地しかないし、
レベンスブルク侯爵領は商都ヴィントムントと東の要衝ヴェヒターミュンデ城の間にあり、以前はヴィントムント市周辺にも影響力を持っていた。しかし、先代がマルクトホーフェン侯爵との政争に敗れ、ヴィントムント市周辺の領地を失っている。
「婚約はいつになるのかしら?」
イリスが目を輝かせて聞いてきた。政治的なことではなく、個人的な興味の方が強いようで思わず苦笑が浮かぶ。
「まだ決まっていないよ。シルヴィア嬢は十七歳だ。今は王立学院の文学部の二年だから、来年の一月に婚約発表を考えていた」
「だとしたら、来年の新年の祝賀の時にはお話ができそうね」
妹の言葉に頷こうとしたが、マティアスが先に話し始める。
「もう少し早められないかな。具体的には八月中に婚約で、結婚は年内くらいで」
「それは無理だ」
あまりに非常識な話に思わず否定の言葉が出る。
力を大きく失っているとはいえ、五侯爵家の一つであり、二人の王子の従姉に当たるのだ。婚約はともかく、結婚式を行うには時間がなさすぎる。
「そこまで早くしなくちゃいけない理由は何なんだ?」
私に代わりハルトムートが理由を聞いた。
「一番の理由は軍務省の提案をすれば、マルクトホーフェン侯爵が気づくことだね。来年の一月を狙うなら、すぐにでも動き始める必要がある。当然、現軍務卿のレベンスブルク侯爵閣下にも動いてもらう必要があるけど、そうなれば、今まで燻っていた侯爵がなぜ急に動き始めたのかを調べるはずだ。当然、君たちのことがバレるだろうね」
「その可能性はあるが……それなら婚約を早めればいいだけじゃないのか?」
婚約だけならそれほど難しくはない。
しかし、マティアスは否定的だった。
「婚約だけでは弱いね」
「どうしてだ? 侯爵家と伯爵家の正式な婚約を反故にできるとは思えないが?」
「マルクトホーフェン侯爵は宮廷書記官長になるんだ。貴族同士の結婚は王宮に届け出ないといけない。つまり宮廷書記官長の管轄ということだね。侯爵が婚約を知れば、陛下に婚約を破棄させるよう迫るだろう。リヒトロット皇国支援のためにシルヴィア様を皇族の誰かと結婚させるべきだと言ってね」
第一王子のフリードリッヒ殿下と第三王子のジークフリート殿下の従姉が嫁げば、リヒトロット皇国への支援を渋っている貴族たちも賛成せざるを得ない。また、国王陛下は少しでも長く、皇国が盾になってくれることを願っているから、すぐに乗るだろう。
「その可能性は確かにあるな……」
彼の言葉に暗澹たる思いになった。
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