第84話「皇国滅亡」

 統一暦一二一三年一月一日。

 グライフトゥルム王国中部グライフトゥルム市、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ塔内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 一二一三年の年明け早々、暗いニュースが飛び込んできた。

 それはリヒトロット皇国の皇王テオドール九世が死亡し、皇国が滅亡したというものだ。


 四年前に皇都リヒトロットを追われた皇王は、大陸北部の大山脈、ハルトシュタイン山脈の西の山麓にあるライヘンベルガー城に移り住んだ。


 ライヘンベルガー城は堅牢な山城であり、攻城戦を苦手とするゾルダート帝国軍では攻略できないと考えてのことだった。


 実際、皇国侵攻作戦に従事した第二軍団の第一師団は電撃的な進軍で各都市を攻略していったが、十月頃にライヘンベルガー城近くに達したものの、その後は手を拱くかのように快進撃が止まった。


 師団長であるクヌート・グラーフェ将軍は野戦での騎兵を使った戦術を得意とし、攻城戦は苦手としているためと思われたが、帝国軍は巧妙な罠を仕掛けるために進軍を停止したのだ。


「まさか皇国軍兵士をライヘンベルガー城に入れるために、進軍を止めるとは思わなかったわ」


 一緒に報告を聞いていたイリスが感嘆の声を上げた。


「そうだね。元々ライヘンベルガー城には五千ほどの兵士がいたけど、山城だから城自体は大きくないし、皇国軍の上層部に戦略的な思考の持ち主はいないから、籠城戦でどこまで耐えるかという考えはなかったからね……」


 グラーフェ将軍は進軍を停止し、周辺の都市を攻略し始めた。それも圧倒的な戦力で比較的ゆっくり進軍し、守備部隊に抵抗は無駄だと思わせて撤退させ、ライヘンベルガー城に向かわせたのだ。


 元々半年分ほどの食糧の備蓄はあったようだが、そこに各地から逃げてきた守備部隊が合流する。その数は一万人以上で、当初の三倍の規模になった。当然、食糧は二ヶ月で尽きることになる。


「籠城ができない状態にしておいて、更に兵力で優位に立っているように錯覚させ、野戦で勝つしかないと思い込ませる。見事な戦略ね」


 イリスの言う通り、備蓄が減ってきた十二月の中旬、皇国軍一万五千はライヘンベルガー城を出て一万弱の帝国軍に挑んだ。


 敵の五割増しの兵力だということで誘い出されたわけだが、錬度が高く準備万端の帝国軍に対し、各地の守備部隊の寄せ集めが勢いだけで戦いを挑んだのだから相手にならない。


 戦闘開始から僅か半日で皇国軍は敗退し、ライヘンベルガー城に逃げ帰るが、そこでは更に別の手が打たれていた。


「クノールシャイト宰相が裏切ると思わなかったのかしら? 元々降伏を主張していた人なのに」


 別の手とは宰相であるアーノルド・クノールシャイト公爵が、ほとんど兵士がいなくなった城で反乱を起こしたのだ。

 宰相は自らの手勢二百を城の守備に残しており、皇王の近衛隊三百に襲い掛かった。


 数で優っていた近衛隊は善戦したが、宰相の部隊にはなぜか百名ほどの精鋭がおり、上級貴族の子弟が中心の近衛隊では対抗できず、皇王は大将軍であるマイヘルベック将軍と共に討ち取られた。


 この精鋭が帝国軍だったらしいという情報があり、すべてが帝国の戦略のうちだったらしい。


「見事なものだね。帝国軍ではなく、裏切り者によって皇王が殺されたとなれば、皇国の人たちの憎悪は宰相に向く。今後、帝国がクノールシャイト宰相をどう扱うかは分からないけど、帝国にとって最も望ましい形になったと言えるね」


 帝国軍が皇王を討ち取れば、愛国心の強い民の反発を招く。皇国では私が流させた帝国軍に対する悪評のお陰で反帝国の考えが浸透しているからだ。また、捕らえたとしても処刑すれば民の憎悪は帝国に向くし、幽閉すれば奪還し、国を再興しようとする者が現れる。


 しかし、反乱が起きて殺されたのであれば、皇国民の憎悪はその者に向く。帝国としては皇王を殺すつもりはなかったと発表し、その死に哀悼の意でも表しておけば、反帝国感情が強まることはない。


「グラーフェ将軍が考えたことなのかしら? それだと警戒する将がまた一人増えることになるのだけど」


「どうだろうね。グラーフェ将軍は優秀な戦術家という情報はあるけど戦略家という話は聞かない。だから皇帝マクシミリアンかペテルセン総参謀長が考えたんじゃないかな。いずれにしても帝国にとっては最良の、我が国にとっては最悪の結末だ。マルクトホーフェン侯爵がどこまで真剣に帝国の脅威を考えてくれるかは分からないけど、内戦をやっている余裕はなさそうだね」


「でも、マルクトホーフェンとアラベラがいる状況で帝国とは戦えないわよ。クノールシャイト宰相じゃないけど、いつ彼らが裏切るか分からないんだから」


 彼女の懸念は正しい。

 マルクトホーフェン侯爵が皇帝と密約を結んでいる可能性は高く、グレゴリウス王子の即位とヴィントムント市までの王国東部の割譲を条件に、王国を裏切る可能性は十分にあるからだ。


「早急に決着をつけるにしても、こちらが兵を動かす大義名分がないよ。第二王妃が動こうとしてもマルクトホーフェン侯爵は動かないだろうし」


 昨年、大賢者が国王と侯爵、グレゴリウス王子の前でアラベラを叱責した。

 その結果、アラベラは恐怖で失神し、その後は大人しくなった。また、国王たちも彼女に協力しないと誓っている。


「それにまだ私は動けないよ。ようやく三十分くらい散歩ができるようになったところなんだから」


 この一年でずいぶんよくなったが、三歳になった双子の相手だけでも疲れて熱が出るほどで、戦場に出られるほどには回復していない。


「なら、帝国を経済的に追い詰めるのはどうかしら? モーリス商会がずいぶん帝国の経済に食い込んでいるから、上手くやれば五年や十年は動けなくなると思うわ」


「どうだろうね。モーリス商会が突然反旗を翻せば、皇帝は逆に私たちとの関係を疑うはずだよ。そうなれば、王国に侵攻してヴィントムント市を占領し、商人組合ヘンドラーツンフトを解散させた上でモーリス商会の資産を没収するということも考えられる。危険だと思うね」


 イリスは帝国に仕掛けたいと考えているようだが、私は皇帝マクシミリアンを追い詰めすぎることはよくないと思っている。

 理由は帝国軍が健在だからだ。


 モーリス商会が反旗を翻し、帝国に経済的な困窮をもたらすとしても、即効性があるものではない。それに追い詰められれば、借金を踏み倒し、ザフィーア河の水運業者は強制的に徴用してしまえばいいと考えるだろう。


 海運は止めることができるが、備蓄分で一年程度は持ちこたえられるし、コストを度外視すれば、穀倉地帯である旧皇国領を有したことから、飢えることはない。


 第一、穀倉地帯は帝国の西部、すなわち王国側に偏っている。大軍を派遣した方が輸送コストを掛けずに済むから好都合と考えて侵攻作戦を発動する可能性は十分にある。


 補給に不安がない大軍を使い、王国に侵攻する。そして、商業都市ヴィントムント市を陥落させて、商人組合ヘンドラーツンフトを脅せば、帝都の輸送問題も解決できる。

 皇帝がそう考えれば、王国を危険に晒すことになるのだ。


「そうかしら? 一年でヴィントムントは落とせないわよ。ヴェヒターミュンデ城もあるし、ヴィントムント自体堅牢な城塞都市なのだから。義勇兵と城壁があれば、海上からの補給ができるし、攻城兵器を持たない帝国軍なら年単位で時間が掛かると思うわ」


「裏切り者が出ないという前提なら、君の言う通りだね。でも、事の発端がモーリス商会だとすれば、商人たちは一枚岩になり切れないんじゃないかな。ヴィントムントを攻撃しながら、モーリス商会の資産だけを没収するだけで自治は認めると言えば、案外簡単に裏切る者が出そうな気がするね」


 私の指摘にイリスは考え込む。


「それはありそうね……でもヴェヒターミュンデ城のことはどうなの? あそこには五千の兵と何と言ってもハルトがいるわ。奇襲を仕掛けてきても数ヶ月は耐えられるし、その間にラウシェンバッハ騎士団が増援に入れば、十万の兵でも耐えきれるわ」


「馬鹿正直にヴェヒターミュンデに攻撃を掛けてきたらそうなるね。でも、皇帝なら別の手を考えてくる気がする」


 私の言葉にイリスが肩を竦める。


「どんな手なの? 私には想像もできないわ」


「私ならザフィーア河から船と水夫を強制的に徴用してシュヴァーン河の上流に移動させ、王国水軍を攻撃する。こちらには皇国水軍から引き抜いた船と水兵がいるとはいえ、シュヴァーン河はグリューン河より川幅が狭い。自軍の損害を度外視で焼き討ちを仕掛け、こちらの水軍を壊滅させる。その上でリッタートゥルム城を攻撃すれば、それほど時間を掛けずに陥落させることはできるだろうね。そこからラウシェンバッハ領を攻め落とし、ヴィントムントに向かえば、ヴェヒターミュンデに拘る必要はないから」


「でも、ラウシェンバッハ騎士団と獣人族の義勇兵がいるわ。帝国軍の一個軍団なら十分に勝てるし、二個軍団でも簡単には負けないと思うのだけど」


 イリスの指摘は強ち間違いではないが、重大な見落としがある。


「兵士の質なら君の言う通りだ。でも、ヘルマン一人で獣人族一万五千を指揮し、優秀な帝国軍の元帥や将軍と戦うのは無理だよ。王国騎士団から隊長クラスが入っているけど、少なくともラズとハルト、そして君が指揮に加わらないと、翻弄されて敗北すると思うね」


 私の指摘に彼女が悔しそうな顔をする。


「そうね。確かにその点は考えていなかったわ。そうなると、あなたが回復して、兄様が戻ってくるまでは、帝国には仕掛けられないということね」


 イリスは私が暗殺者に殺されそうになってから、好戦的になっており、そのことを危惧している。


「そう言うことだね。それにこちらから下手に手を出さなければ、皇帝は謀略でこちらを切り崩そうとするはず。それで時間を稼ぐしかないと思っているよ」


 私の言葉にイリスも納得したのか、小さく笑って頷いた。

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