第83話「モーリス商会の戦い」

 統一暦一二一二年七月一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、モーリス商会帝都支店。支店長ヨルグ・ネーアー


「クラム水運の買収に成功しました。名義はリーデル商会です。これで支配下にある商会を含め、我が商会がザフィーア河の水運の八割を抑えたことになります」


 報告してくれているのは情報分析室から派遣されている、シャッテンのエドガー・リーム殿だ。


「了解だ。我が商会のシェアは二十七パーセントだったな。少し上げ過ぎているから、他の商会に分散した方がよい。そのことを含め、本店とマティアス様に報告しておいてくれ」


 名目上は部下であるため、ぞんざいな口調で命じる。私としては我が商会に多大な貢献をしてくれる協力者であるから敬意をもって接したいのだが、周囲に気取られると活動に影響するエドガー殿から言われ、仕方なく部下として扱っているのだ。


「承知いたしました。これで水運についてはマティアス様のご命令通りになりましたね。造船所も六割以上手に入れましたし、帝都向けの海上輸送もシェアは七割を超えています。我が商会が相場を操作すれば、いくらでも儲けられますし、手を引けば帝都で餓死者の山ができます」


 エドガー殿はそう言って笑うが、今はまだその時期ではない。


「ダミー会社を更に増やしてできるだけ分散させつつ、更に買収を進めてくれ。そう言えば、来年にはダニエル様がリーデル商会に入るのだったな。リーデル商会はあまり目立たせるな」


「了解です。小さな会社で経験を積むためということにしていますから、その点は問題ありませんよ。まあ、小さいと言っても帝都では有数の商会ですが」


 情報分析室に協力するため、学院の卒業と同時に帝都に来られると聞いている。商会長の次男ダニエル様とはほとんど面識はないが、単身敵地に乗り込んでくる大胆さに驚いた記憶がある。


「ダニエル様のことは極力伏せておいてくれ。その方が動きやすいだろうし、バレたとしても商会長の次男としてではなく、一商人として修業するために素性を隠したと言えば、商会長らしいと誰も疑わんからな。早く来ていただきたいものだ」


 あのマティアス様に師事し、王立学院を首席で卒業された方がどのようなことをやってくれるのか楽しみにしている。


「いずれにしても内務府が機能不全に陥っている間に、帝国の経済を掌握するのだ。マティアス様に暗殺者を送り込むような奴らに一泡吹かせるための準備は怠るな」


「了解です。私も腹に据えかねていますので。今も楽しんでやっていますよ」


 そう言ってエドガー殿はニヤリと笑った。


 帝国の経済状況は赤死病の後も悪化の一途を辿っている。

 その大きな理由はマティアス様、イリス様のご指示に従い、我が商会が価格操作を行っているからだ。


 流通を抑えている関係で、帝都に入る物の量を調整できるから価格は容易に操作できる。

 特に食料関係は、主食であり単価の安い穀物の流通量を減らして民衆の生活にダメージを与えるとともに、酒や高級食材などは流通量を増やして価格を下げている。


 その結果、高級軍人や官僚たちの生活水準は維持できているが、民衆は以前よりも貧しくなり、貧富の差は大きくなっていた。


 我が商会が値を釣り上げていると思われると後々に支障が出るので、傘下の商会が供給量を絞っている時に穀物類を大量に持ち込み、儲け度外視で安く販売している。その結果、我がモーリス商会は民衆からの評判が非常にいい。


 これは民衆に媚びを売るだけではなく、ライバル商会を潰すためでもある。我が商会が安く販売すれば、ライバルも安くせざるを得ず、利益を圧縮することになる。それを嫌って在庫を増やせば、その事実をリークして民衆の怒りを向けさせ、営業を妨害する。


 そうして経営が傾いたところで、吸収合併するのだ。

 悪辣な手ではあるが、中小の商会が大資本である我が商会に勝つ術はない。


 こういったことはマティアス様から都度指示はあるし、指示がなくともやり始めてから十年以上経っているから、やり方が洗練されてきたと自負している。


 帝国政府だが、マクシミリアンの即位から協力する姿勢を示しつつ、ゆっくりと手を広げているため、我が商会を疑う者はいない。


 今では流通業者だけでなく、帝都の卸売業者のほとんどがモーリス商会の傘下に入っており、価格操作は自由に行える。


 ヴィントムントや商人組合ヘンドラーツンフトがある都市ではここまで大胆にやれないが、帝都には組合ツンフトはなく、ヴィントムントのライバルもほとんどやってこない。


 組合ツンフトに加盟している商会がいない理由だが、元々帝都は我々商人にとって旨味のある町ではないからだ。


 レヒト法国ほど酷くはないが、関税は高いし、売れるのは単価の安い穀物などの食料品だ。高い輸送コストを掛けて運ぶのは、我が商会の他は政府の要請を受けた帝国の商人たちだけだ。


 我が商会はマティアス様への恩返しの一環として、情報分析室に協力するために支店を出している。そのため、リスクは度外視だ。と言っても、長距離通信の魔導具という反則的な設備があるので、他の商会よりリスクは圧倒的に少ないこともあり失敗することは稀だ。


 実際、我が商会が儲けていると知り、商人組合ヘンドラーツンフトに属する商会が帝都に進出したが、娯楽施設の運営に特化したガウス商会以外は撤退するか、縮小するかのいずれかだ。


 ガウス商会にしてもマティアス様のお知恵を借り、我が商会が全面的にサポートしているので大儲けできているが、本来はリスクが大きく旨味の少ない土地なのだ。


 その結果、大資本と言えるのは我がモーリス商会だけであり、当然帝国政府に融資が可能な存在も我々だけだ。現状では三十億組合ツンフトマルク(日本円で約三千億円)分の融資を行っている。


 この金額は帝国の税収の四割ほどであり、利子だけでも年間二億マルク近い。以前は年利五パーセントという比較的低利で貸し出していたが、商人組合ヘンドラーツンフトの金融業者であれば、最低でもこの倍、酷いところは四倍の利子になるので非常に良心的だ。


 但し、ここ一年ほどは緊急融資ということで十パーセントの利子で十億マルクを貸し出した。金利を上げた理由は商会の運転資金が枯渇するというものだが、実際にはこの程度の金で我が商会の資金が尽きることはなく、金利の上乗せのための方便だ。


 財務官僚たちが有能であれば、このような不健全な財政は認めないのだろうが、今の官僚は皇帝の命令に従うだけの存在であり、また皇帝の暴走を止めるはずの枢密院も機能していないことから、放漫財政を止める術を失っている。


 皇帝マクシミリアンはこの状況が危険だと思っているようだが、赤死病や皇国侵攻作戦といった突発事項に対応するため、目を瞑っているらしい。


 政治的にも有能な皇帝なので借金の踏み倒しは考えていないと思うが、仮に膨れ上がってきた借金を踏み倒されても問題はない。


 会計上、大きな損失を計上することになるが、我が商会の財務状況なら十分に耐えられるし、対抗措置として食料の輸送を止めれば、帝国の方が先に音を上げるからだ。


 また、現在帝都支店では大陸共通通貨である組合ツンフトマルクではなく、帝国マルクで決済を行っている。そのため、帝国マルクが帝都支店の地下室には唸るようにあり、帝国で儲けた金を融資に回している。


 踏み倒されたら、その金を大量に放出してインフレーションを起こす。さすがに帝国全土で物価を上昇させるほどの金はないが、帝都だけなら充分な資金がある。


 大量に物資を買い付け、市中に貨幣を一気に流通させる。その上で買い付けた物資をヴィントムントに送れば、物不足で金余りの状態になる。その結果、帝国マルクの価値は一気に下がるだろう。


 この辺りの策もマティアス様がお考えになったことだ。

 戦略だけでなく経済にも強く、我が商会が世界一に伸し上がれたのはマティアス様のお陰と商会長がおっしゃることは理解できる。


 このように、今のところマティアス様のお考え通りに帝国経済への浸透は順調だ。

 今でもご指示があれば、いつでも帝国経済を危機的状況に陥らせることができる。そのご指示を待っている状態だ。


 ただ気になることがある。

 帝国を経済的に追い詰める策を、マティアス様が実行されないのではないかということだ。


 直接お話ししたわけではないが、情報分析室からの情報では、マティアス様は今回の皇国侵攻作戦の発端が経済的な困窮にあるとお考えだ。


 民衆の目を逸らすために、大規模な軍事作戦を行い、勝利する。

 確かに帝国軍の実力なら勝利を前提として考えられるため、あり得ることだと思う。そうであるならば、帝国を追い詰めすぎると王国侵攻が早まるとマティアス様がお考えになってもおかしくはない。


 そうなると、帝国軍の弱体化を優先して行い、経済的に追い詰める策は実行されない可能性が高い。


 我が商会としてはこの状況が続けば続くほど儲かるので問題はないのだが、私個人としてはマティアス様の命を狙った帝国に一矢報いることができないことがもどかしい。

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