第85話「ペテルセンの怒り」

 統一暦一二一三年一月二十日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝マクシミリアン


 本日、皇国での組織的な抵抗が終わったという知らせが届いた。


「昨年十二月二十五日、最後まで抵抗を続けていたクレーエブルク城が陥落いたしました。しかしながら、皇家最後の生き残り、エルミラ皇女の行方が判明しておりません」


 皇王テオドール九世と皇妃、二人の皇子と三人の皇女はライヘンベルガー城でクノールシャイト宰相の反乱によって死亡している。


 四女のエルミラ姫だけは守り役であったアンゼルム・ヴァルデルフェラー伯爵に伴われ、皇国の西の端クレーエブルク城に匿われていた。


「行方が分からぬ? 脱出したということか?」


「生存者に確認したところ、陥落の直前に船で脱出したという情報があり、一艘の小舟が海に出ていったことは確認しております」


 その報告に総参謀長のヨーゼフ・ペテルセン元帥が片方の眉を上げながら伝令に質問する。


「海上を封鎖するように指示してあったはずだが?」


「はい。皇国海軍の艦船を利用し、封鎖しておりましたが、脱出した船は悪天候を利用して封鎖線を突破し、北方に逃げていったとのことです」


「手練れの船乗りを予め用意しておいたのだろう。グラーフェは陸上の猛者だが、船乗りではない。旧皇国の船乗りたちが積極的に協力しなければ、逃げられても仕方あるまい」


 余の言葉にペテルセンは頷く。


「確かにそうですな。エルミラ姫に逃げられたことは痛いですが、グライフトゥルム王国に逃げたことは確実です。マルクトホーフェンに殺させれば問題はないでしょう」


 リヒトロット皇家を根絶やしにすることで、旧皇国領の民の心を折るつもりだった。しかし、皇女が生き延びたという噂が流れれば、民たちは皇国復活の希望を持つ。


「マルクトホーフェンが殺してくれた方が帝国への憎悪が減るから都合がよいが、脱出を手配したのはラウシェンバッハだろう。ならば、マルクトホーフェンに捕らえることができるとは思えぬ。それにこれから旧皇国領でこの話が広がることは間違いない。面倒なことになったな」


 余の言葉にペテルセンは悔しげな表情を浮かべて頷く。


「ライヘンベルガー城が安全だと皇王に思い込ませることに成功したと思ったのですが、皇都が陥落する前から皇女を脱出させやすい辺境の城に隠していたとは思いませんでした。悔しいですが、千里眼という名が伊達ではないことを久しぶりに思い知らされた気分です」


「そうだな。余も同じ思いだ」


 正確な時期は分からないが、一二〇三年の末頃から一二〇四年の年初くらいにまだ幼かった皇女エルミラをクレーエブルク城に送り込んでいる。

 皇王も側室の子ということで認めたらしい。


 つまり十年近く前にこうなることを想定し、準備していたのだ。

 この事実に、奴にはどこまで先が見えているのだと、暗澹たる思いになったほどだ。


「国王が認めようが認めまいが、王国に匿われることは間違いない。帝国内で民を扇動するのに絶好の駒なのだからな。奴が回復し、王国の体制が整うまでは偽名を使って隠すだろうが、探り出して始末する必要がある」


「御意。恐らく北部のネーベルタール半島に渡り、そこから辺境の地のいずれかに移されるはずです。王国は王都とヴィントムントに諜報員を集中させていますから、少し時間が必要ですな」


「それは分かっている。だが、辺境に皇女がいれば目立つはずだ。必ず噂になる。それを探り出すのだ」


 余の命令にペテルセンは頭を下げた。


「それからアラベラの情夫を利用しろ。法国の北方教会の聖職者だということは分かっているのだ。法国を焚き付け、王国の意識を西に向けさせろ。何なら王国を分割する提案をしてもよい。我が国はヴィントムント以東で手を打つ。他の大部分は北方教会にくれてやるといえば、餓狼のようなトゥテラリィ教の狂信者どもなら攻め込んでくれるはずだ。その上でラウシェンバッハの獣人たちと潰し合ってくれれば、我が国は労せずして王国を手に入れられる」


 第二王妃アラベラの近くにはクレメンス・ペテレイトというフィーア教の神官を自称するトゥテラリィ教の司祭がいる。

 マルクトホーフェン侯爵領で情夫になったらしいが、王宮でも逢瀬を楽しんでいるらしい。


 但し、マルクトホーフェンが姉の行動を監視し始めたため、王宮に呼べる頻度が少なくなり、アラベラが苛立っている。


「レヒト法国をグライフトゥルム王国に向かわせる……確かに我々にとっては有効な手ですが、神狼騎士団に気づく者が全くいないとも思えません。特に白狼騎士団の副団長マルシャルクは切れ者と言われています。漁夫の利を奪われると思えば、逆に我が国に向かわせようとするのではありますまいか」


 白狼騎士団のニコラウス・マルシャルクは三十代半ばで副団長に昇進し、近々騎士団長になると言われている逸材だという噂がある。実際にどの程度の能力を持っているかは分からないが、一二〇三年に黒狼騎士団が敗北した後、騎士団の立て直した功績は無視できない。


「構わぬではないか。マルシャルクが有能でも教団上層部が無能なら、我が国に奪われる前に攻め込めというはずだ。攻め込まなくとも王国の情報部の能力ならその情報を手に入れる。西に目を向けさせることはできよう」


「なるほど。ラウシェンバッハの目を西に向けさせる策ですか。法国も赤死病の痛手から回復し切っていませんが、北方教会領の被害は比較的軽微と聞いています。西方教会寄りの法王の権力を脅かすために軍事的冒険に出る可能性はあるということですな」


「そうだ。それに実際に攻めなくともよい。王都に法国の手の者がいると気づけば、ラウシェンバッハが勝手に警戒してくれる。幸い、アラベラとマルクトホーフェンの周囲はさすがの千里眼も見通せてないようだからな」


 マルクトホーフェンが雇った真実の番人ヴァールヴェヒターの間者が多数見張っているため、闇の監視者シャッテンヴァッヘも安易に近づけられぬらしい。


「我らにとって時は味方ではないが、皇国が想定より早く滅亡してくれたから多少の余裕はある。旧皇国領を早急に掌握すれば、経済的にも一息つけるだろう。ラウシェンバッハも小麦畑まではどうすることもできなかったようだしな」


「全くです。リヒトロット市周辺のワイン生産地を滅茶苦茶にされた時には、怒りに打ち震えてしまいました」


 旧皇都周辺は白ワインが名産で、醸造所が多くあった。しかし、職人たちの多くが王国に引き抜かれ、酷いところではブドウの木まで抜いて持っていかれている。


 その事実を知ったペテルセンは、怒りのあまり持っていたジョッキをテーブルに叩き付けたと聞いた。


「そう言えば、皇国西部は蒸留酒が名産でしたな。もしかしたら、蒸留酒の職人を引き抜いた可能性があります! ラウシェンバッハは自領に蒸留所を建設していたはず……あり得ないことではない……」


 いつもは飄々としているペテルセンだが、酒のことになると目の色が変わる。

 そのことがおかしかったのでからかってみた。


「我が国にとっては産業の衰退に繋がるが、そなた個人にとってはどこの酒でも構わんのではないか?」


「そのようなことはありませんぞ! 新たな土地で酒を造るとなれば、それまでより質が落ちることは必定! 恐らく十年単位で時間が掛かるでしょう。今はまだ熟成中の酒が残っているのでよいですが、それが無くなったら……」


 余も酒は嫌いではないが、ここまで拘りがない。


「酒のことで熱くなって策を誤ることは許さんぞ。そのことは肝に銘じておけ」


 一応釘は刺しておくが、少しだけ不安を感じていた。

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