第86話「神狼騎士団の蠢動」

 統一暦一二一三年二月十日。

 レヒト法国北方教会領、領都クライスボルン、白狼騎士団本部内。騎士団長ニコラウス・マルシャルク


 私は今年の一月に神狼騎士団のトップである白狼騎士団の団長に就任した。四十二歳という年齢は異例中の異例で、最速の出世と言われた、現北方教会総主教マルク・ニヒェルマン猊下ですら、白狼騎士団長になったのは四十六歳の時だ。


 神狼騎士団を率いることになったが、これは始まりに過ぎない。私は総主教になり、更に法王になることを考えている。それも今のような権限を何も持たない無力な法王ではなく、真に教団を統率する強い法王にだ。


 そのために教団の聖職者ではなく、騎士団に入った。出世の観点で言えば、司祭から主教、大主教、枢機卿と上がる方が早い。


 これは戦いがないと出世しづらい騎士団とは異なり、聖職者は主教までは比較的上がりやすく、騎士団長と同格の大主教になった後、総主教以外にも聖都の枢機卿に上がるというルートがあるからだ。


 しかし、そのルートで法王になった場合、騎士団との関係が希薄となって支持を受けにくく、現法王のような脆弱な権力基盤にしかならない。


 一方で我が国に大勝利をもたらした上で総主教になり、その後に法王となれば、出身騎士団だけでなく、他の教会領の騎士団の支持を得ることもできるだろう。これまで騎士団は聖職者たちに押さえつけられてきており、苛立つ展開が多かったからだ。


 そのための計画は着々と進めている。

 その計画とは、我が神狼騎士団がグライフトゥルム王国に攻め込み、東方教会領の聖竜騎士団がグランツフート共和国に侵攻するというものだ。


 そのために王国に工作員を送り込み、第二王妃を篭絡している。そして、障害となりそうな人物を排除し、王国は弱体化しつつあった。


 聖竜騎士団とも裏取引を始めており、彼らも乗り気だ。

 我が騎士団が王国に侵攻すれば、同盟国である共和国は援軍を出す。出せば共和国の防衛体制は弱まるし、もし出さなければ王国が滅ぶから共和国を西と北から挟み撃ちにできる。


 聖竜騎士団は共和国軍に何度も煮え湯を飲まされてきたから、これまでの借りを返せると思っているのだ。いずれにしても王国を攻め滅ぼせれば、共和国も耐えられない。


 両国を吸収すれば、国力はゾルダート帝国を凌駕し、大陸の統一も視野に入ってくる。

 それだけの功績を挙げれば、私の名声は法国の歴史でも比類ないものとなり、強力な法王となることができるはずだ。


 問題があるとすれば帝国の存在だ。

 リヒトロット皇国を滅ぼし、総人口一千万に達する大国になった。数年は国内の安定に力を入れるだろうが、国内の状況が落ち着けば、グライフトゥルム王国に攻め込むことは容易に想像できる。


 その準備なのか、本日帝国から密使が来た。

 その密使は総参謀長ヨーゼフ・ペテルセン元帥からの密書を持ち、その内容は鼻で笑うような児戯に等しい物だった。


 密書にはグライフトゥルム王国を我が国と二分割しようという提案であり、我が国が攻め込めば、帝国もタイミングを合わせてヴェヒターミュンデ城に攻撃を仕掛けるとあった。


 帝国は我が国が王国の西の要衝ヴェストエッケに攻め込ませ、王国軍の目を我が方に向けさせ、東も援軍が送れない状況を作ることを考えている。

 つまり、我が国に火中の栗を拾わせ、漁夫の利を得ようとしているのだ。


 その密書を持ち、ニヒェルマン猊下の下に向かう。

 猊下は密書を見た後、怒りを見せられた。


「馬鹿にするにもほどがある! ヴィントムントは世界の富が集中するところだ。我々には王国軍の主力をぶつけ、美味いところだけを持っていくつもりなのだ! このような馬鹿げた話を受け入れるはずがなかろう!」


「おっしゃる通りですな。小職も同じ考えですが、せっかく帝国がこのような提案をしてきたのです。これを逆手に取って、彼の国を利用してはどうでしょうか」


 猊下は僅かに首を傾げた。


「逆手に取る? 帝国は信用できぬ。それ以上に皇国を得て更に強国になったのだ。下手な方法を採れば、危険ではないか?」


「帝国が信用できぬことは小職も同じ思いですが、帝国が危険という点は猊下と少し考えが異なります」


「なぜだ? 旧皇国を吸収したのだ。人口は一千万を超え、動員できる戦力も二十万を超える可能性すらあるのだ。兵力だけで言えば、我が国の倍以上になる。危険がないとは言えぬだろう」


「それは順調に旧皇国領を掌握できた場合です。四年経った今も旧皇都リヒトロット市ですら掌握できておりません。広大な領土を完全に手に入れるには十年程度は掛かるはず。その間は帝国の脅威は大したことはないと考えています」


 そこで猊下も理解できたのか、僅かに考えた後、頷かれた。


「確かにそうだな。だが、その帝国をどう利用するのだ」


「この事実を噂として流すのです。我が国と帝国が同時に王国を狙っていると王国の者たちが知ればどうなるでしょうか?」


「うむ」


 そう言いながら猊下は考えているが、それに構わず話していく。


「西と東の要衝に戦力を振り分け、要衝の防御を固めるはず。つまり、王都周辺から戦力が消えることになるのです。そこでマルクトホーフェンが反乱を起こせば、王都はマルクトホーフェンの手に落ちるでしょう」


「その可能性はあるが、我々の利益にはならんな」


「マルクトホーフェンが反乱を起こせば、ヴェストエッケから王都奪還の兵を送り込むはずです。もちろん、ヴェヒターミュンデからも兵を引き揚げさせるでしょうが、最も危険なラウシェンバッハの獣人族部隊は帝国への抑えとして、残さざるを得ません。帝国は最大九万の軍を動かせますが、神狼騎士団は二万です。王国がどちらを危険視するかは火を見るより明らかです」


 獣人族主体の騎士団ができたと知った時、私は強い衝撃を受けた。

 我が軍の切り札ともいえる獣人奴隷部隊が敵国の最精鋭騎士団に変わったのだから。それも王国に忠誠を誓い、我が国に恨みを持つ精鋭部隊ができた。そのことに強い危機感を覚えた。


 更に情報を集めていくと、帝国の一個軍団三万を僅か一千名程度の部隊が翻弄したと知った。そして、その主力がその獣人部隊だったことが分かった。

 私はその事実に恐怖した。


 ラウシェンバッハという稀代の軍略家に絶対的な忠誠心を誓う一騎当千の戦士が数千名いる。正確な人数は分からないが、少なくともラウシェンバッハ騎士団五千名に自警団二、三千名はいるだろう。


 その部隊がヴェストエッケに送り込まれたら、我が軍に勝利はない。それどころか、気づかずに攻め込めば、殲滅させられる可能性すらある。


「確かに噂が本当ならラウシェンバッハの子飼いの獣人がおらぬ方がよい。だが、その噂は本当なのか? ラウシェンバッハは情報を使った謀略の達人と聞く。あの先代の皇帝コルネリウスですら翻弄し、天才と名高いマクシミリアンが恐れる人物だ。獣人部隊が実力以上に誇張され、それを抑止力としている可能性はないのか?」


「それはないでしょう」


 私は即座に否定した。猊下はそのことに疑問を持たれた。


「断言できる根拠は? あえて情報を制限しているのは疑心暗鬼に陥らせる謀略ではないのかと思っているのだが」


「正確な数は不明ですが、少なくとも二万以上の獣人が我が国から奴隷として売られています。猊下もご存じのように獣人族は部族の半数以上が戦士として戦えるのです。それが軍略家として名高いラウシェンバッハの下にいます。彼が戦力化しないはずがありません。情報制限は我々に過小評価、あるいは過大評価させるための策でしょう」


 過大評価すれば抑止力となり得るし、過小評価して攻め込めば、強力な反撃を食らい、撤退することになる。


「なるほど……その点は納得したが、ラウシェンバッハ騎士団にはどう対応するのだ? 君の予想通りだとすれば、神狼騎士団だけでは対応できぬが」


「その点は考えております。具体的には……」


 ラウシェンバッハ騎士団の話を聞いてから考えていた策を説明する。


「なるほど。確かにその手ならラウシェンバッハの獣人たちを封じ込められるかもしれん。それにラウシェンバッハ騎士団だけでなく、他の敵にも有効だ。君に神狼騎士団を任せることができてよかったよ」


 猊下はそう言って笑った。


「ありがとうございます。打てる手は打っておきたいと思います。そのための許可をいただきたいと思います」


 そう言って私は頭を下げる。


「よろしい。この件については君に全権を委ねる。他の教会領でも実施できるように根回しをしておこう」


 私は猊下にもう一度頭を下げ、騎士団本部に戻った。

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