第3話「宰相と宮廷書記官長」
統一暦一二〇三年九月二十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
戦勝パレードが終わり、その後の園遊会に参加した。
騎士団本部では兵士たちの宴会が続いているが、私はイリスと共にエッフェンベルク伯爵邸に来ている。
ここに来たのはイリスを送り届けるという名目で、エッフェンベルク伯爵と協議するためで、内容は獣人奴隷たちの処遇についてだ。
主役の一人である伯爵は戦勝式典、パレード、園遊会と続き、やや疲れが見えるが、機嫌よく協議に応じてくれた。
「獣人たちについて、クラース宰相が横槍を入れてきたと聞いたが」
「ええ。父から聞いたのですが、彼らをラウシェンバッハ子爵領に入植させるのはおかしいのではないかと言っているらしいのです。まだ明確に言ったわけではないようですが、獣人奴隷は戦利品であり、戦いに貢献していないラウシェンバッハ家が保有するのはおかしいという話のようです」
父リヒャルトは宰相府の役人であり、マルクトホーフェン侯爵派の宰相が、反侯爵派である我々に対して嫌がらせを行ってきたことを知り、情報を流してくれたのだ。
宰相が言ったとされる話を聞き、伯爵は疑問を口にした。
「ラウシェンバッハ家が貢献していないという主張は受け入れるとしても、そもそも我が国は奴隷制度を否定しているのだ。無論、他国で購入し持ち込んだ奴隷の所有権は認めているが、自ら投降し我が国に属したいと言ってきた彼らを、奴隷として扱うのは国の方針と合っていないと思うのだが」
グライフトゥルム王国は基本的に奴隷制度を認めていない。
理由は人権を尊重するといった高尚なものではなく、過去に
その際、高利貸しと結託し、悪辣な方法で奴隷に落としたため、家族を奪われた平民たちが暴動を起こし、領民を失った騎士爵も同調し、大規模な内乱に発展しそうなほど治安が悪化した。そのため、奴隷制度自体を違法とし、犯罪奴隷以外の奴隷は認めないと定めた。
「閣下のおっしゃる通りですが、それが分かっておられるから、宰相閣下は明言せずに匂わせているのでしょう」
イリスが話に加わってきた。
「それなら無視してもいいのではなくて? あの人たちは王国の民になったのだから、王国のどこに行こうと問題ないと思うのだけど」
王国では平民に国内移動の制限はない。
もちろん、身分証明書を領主や代官に発行してもらい、関所を通る必要があるが、身分証明書さえ持っていれば、移動を妨げることはできないのだ。
「彼らがただのレヒト法国民だったのなら問題はなかったさ。でも、彼らがレヒト法国軍の軍属であるなら話は別だ。軍に属していたのなら捕虜という扱いになるから、自由に王国内を移動させるわけにはいかないからね」
捕虜の扱いは明確ではないが、国内で破壊活動を行う可能性がある敵国の軍人に対し、行動の自由を与えることは問題だという主張は無視できない。
「では、どうすればよいのだ? 彼らが我が国に敵対行動を採らないことは理解しているが、それを証明することは難しいぞ」
伯爵の言葉に大きく頷き、大きく身を乗り出す。
「そこで閣下にお願いがあります」
「私に?」
怪訝な顔で伯爵が聞き返してくる。
「エッフェンベルク伯爵家はヴェストエッケの戦いで大きな功績を挙げました。それに対し閣下個人は勲章が授与され、褒賞金が下賜されております。しかし、エッフェンベルク伯爵家は陞爵したわけでも領地を加増されたわけでもありません」
「確かにそうだが、国を守るのは貴族の義務だ。戦死者の遺族に対する弔慰金などは必要だが、褒美のために戦ったわけではない。比較されたくもないが、あのマルクトホーフェン侯爵ですら、防衛戦で褒美をねだったことはない」
王国貴族は兵役の義務があり、国防に携わることは名誉とされている。そのために領内で兵を養い、装備を整えるための資金を税として与えられているという建前だ。
そのことに不満を持つ者もいるだろうが、それを口に出すことは貴族としての資質を疑われることになるため、表立って褒美を要求することはない。
もっとも歴代のマルクトホーフェン侯爵は裏で多額の褒賞を要求し、国王が自ら与えたという形で領地や免税などの特権を得ている。
「それは存じております。ですので、今回の戦いで失った兵士の代わりに、獣人たちを労働力として提供してほしいと要求するのです。元々扱いが明確でないのですから、国防のために必要だと言われれば、拒否しにくいでしょう」
「しかし、それでは獣人たちとの約束を破ることになるぞ。彼らは同胞たちが多くいるラウシェンバッハ子爵領に行けると思っている。一族が揃わなくとも、同胞がいる場所であれば安心できると考えているのなら、期待を裏切ることになるが」
その点は考えてあったので、すぐに答えていく。
「閣下が獣人たちを受け取ったら、ラウシェンバッハ子爵領に送り込めばよいのです。幸い、私は閣下の娘婿となりますから、娘が住むことになる子爵領を発展させるために、獣人たちを譲ったということにすれば、大きな問題にはならないでしょう」
今のところ私とイリスの結婚は来年の六月頃に予定されている。そのため、伯爵が子爵領の発展に興味を示してもおかしな話ではない。
「確かにそうだが……それでは私はかなりの親馬鹿に見られるな」
そう言って伯爵は苦笑する。
「お父様は私のことが可愛くないのですか?」
イリスが悪乗りして、悲しげな表情を作る。一時期は騎士団のことやラザファムのことで関係が危ぶまれていたが、今ではこんなやり取りができるまでに改善されていた。
「愛娘のために一肌脱がねばならんか……フフフ」
伯爵も私と同じことを思ったのか、笑っている。
「グレーフェンベルク伯爵閣下から宰相閣下に伝えていただきましょう。その際の細かな話は私の方から伝えておきます」
翌日、グレーフェンベルク伯爵に面会し、エッフェンベルク伯爵と話し合ったことを伝える。
「宰相も動き始めたようだな。それで私はどうしたらよい?」
そう言って好戦的な表情を浮かべる。グレーフェンベルク伯爵としては、今後の宰相との交渉を考え、その前哨戦と位置付けたようだ。
「エッフェンベルク閣下のお言葉として、獣人たちを労働力として受け入れたい旨をお伝えください。その際にメンゲヴァイン宮廷書記官長にも同席していただきます」
「宮廷書記官長を? 宰相とは政敵同士だが、揉めるのではないか?」
クラース侯爵家とメンゲヴァイン侯爵家はいずれも宰相を出す名門として、長年のライバルだ。
また、現在の宰相であるクラース侯爵はマルクトホーフェン侯爵の力を使い、先代のメンゲヴァイン侯爵を追い落とした。その息子である現宮廷書記官長はそのことを恨み、復讐の機会を窺っている状況だ。
「メンゲヴァイン閣下には、エッフェンベルク閣下が獣人たちを褒賞としてほしいと言っていると伝えています。そのことでメンゲヴァイン閣下は王国貴族としての矜持がないと憤っていたそうです」
メンゲヴァイン侯爵は、貴族は高貴であるべきだと考える人物であり、褒美をねだったエッフェンベルク伯爵に対し、貴族にあるまじき行為と言って批判した。
もっともメンゲヴァイン侯爵も高潔な人物ではなく、自身もあさましい行為をいろいろとやっているので建前に過ぎない。
「なるほど。宮廷書記官長が反対すれば、宰相が認める方に動くということだな。今回の話は内政に関することだ。権限は宰相にあって宮廷書記官長にはない。となると、メンゲヴァイン侯爵は当て馬か」
さすがに理解が早いと感心する。
「宰相閣下にとってグレーフェンベルク閣下やエッフェンベルク閣下より、メンゲヴァイン閣下の方が目障りでしょう。そのメンゲヴァイン閣下に恥を掻かせることができるなら、反マルクトホーフェン侯爵派の利益になるとしてもためらうことはありません。このことは今後の王国軍改革でも使えると思います」
メンゲヴァイン侯爵は反マルクトホーフェン侯爵派ではあるが、グレーフェンベルク伯爵ら軍改革派と共闘関係にあるわけではない。侯爵自身は守旧派であり、旧来の貴族が主体の騎士団を平民主体に変えることに反対の姿勢を見せており、我々とは相いれない。
「敵の敵は味方だが、この場合は複雑な関係になるな……だが、面白い! 敵国に同盟国でない第三国をぶつけるようなものか……戦略のよい演習になるな」
そう言って笑った。
三日後の九月二十三日、グレーフェンベルク伯爵を通じて、交渉が上手くいったと伝えられる。
「面白いほど君の考え通りに進んだぞ。そのせいで笑いを堪えるのが大変だったほどだ」
上機嫌で伯爵はその時のことを話してくれたが、最後にやや不機嫌な表情を浮かべた。
「あの二人は政治家として三流以下だな。彼らのような人物が我が国の内政を担っていると思うと、暗澹たる気持ちになった。君には参謀として私の傍にいてもらいたいが、それが無理なら政治家として国政を担ってほしいものだ」
「難しいことをおっしゃらないでください。子爵家の嫡男に過ぎない私に国政を動かすことは無理なのですから」
下級貴族である子爵では精々次官にしかなれない。
「伯爵に陞爵すればよい。私ですら伯爵位を得ることができたのだ。君が爵位を継げば、伯爵になることも難しくはないと思うがな」
確かにグレーフェンベルク伯爵は陞爵したが、子爵から伯爵になることはほとんどあり得ないことだ。それだけの壁があるのだ。
「いずれにせよ、あの二人を操る方法は理解した。今後も君の活躍に期待しているよ」
グレーフェンベルク伯爵はそう言って笑った。
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