第2話「新たな出会い」
統一暦一二〇〇年一月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク。王立学院内、マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
入学式とオリエンテーションを終え、私はラザファムとイリスと明日からの講義をどうするか相談した。そして、予定が決まったところで帰宅しようと門に向かう。
その途中、人が争うような声が聞こえてきた。
「何か揉めているのかな?」
私の言葉にラザファムが頷く。
「喧嘩でもなさそうだが、いってみるか」
ラザファムはそれだけ言うと、声のする方に足早に向かった。
私もイリスと共に彼の後を追う。
声は高等部の校舎の裏から聞こえており、その内容もはっきりとしてきた。
『俺だってここの学生になったんだ! ここに座ってもいいはずだろう!』
『平民が口答えをするな!』
『ここは貴様らが居ていい場所ではない! さっさと立ち去れ!』
『そんな話は聞いていない! 王立学院の学生は身分に関係なく平等なはずだ!』
『これだから田舎の平民は
一人の平民の学生に対し、複数の貴族が罵倒し、嘲笑しているようだ。
ややこしそうだが、正義感の強いラザファムとイリスが引くとは思えないので、何も言わずについていくしかない。
直接的な身の危険はないと思うが、いざとなったら私の護衛である
校舎の裏に回ると、新入生らしい真新しい制服を着た男子学生を五人の上級生が取り囲み、その一人が胸倉を掴んでいる。新入生の服は土で汚れ、殴られたためか、唇から血が流れていた。
ラザファムが飛び込む前に私が声を掛ける。
「何があったのですか? 学院内での暴力行為は校則違反で処分の対象になりますよ」
私の言葉に上級生たちが一斉に振り返る。その中で一番身体が大きな学生がドスを利かせた声で脅してきた。
「痛い目を見たくなければ、そのまま立ち去って見たことを忘れろ」
まるでならず者だなと思っていると、私が答える前にラザファムが反応する。
「先輩のようですが、たった一人に五人掛かりというのはいかがなものでしょうか?」
「事情を知らぬくせに口を挟むな。貴様らも制裁の対象にするぞ」
別の一人がそう言うと、剣の柄に手を掛けながら私たちの方に向かってくる。
「ラズ、手は出さないで。イリス、誰でもいいから先生を捕まえてきてほしい。殺人事件が起きそうだと叫びながら校内を回ってくれないか」
ラザファムは不本意そうだが、剣の柄に置いていた手を放す。
イリスは一瞬理解できないという顔をしたが、すぐに私の意図に気づき、踵を返す。
「新入生が襲われているわ! 剣を抜きそう! 殺されるかもしれないわ! 誰か助けて!」
女性らしい高い声が校舎の間に響く。
その中のリーダーらしい男が私たちを睨む。その男は整った顔立ちで、腰に差している剣も豪華であり、上級貴族の子息であることがすぐに分かった。
「貴様……確かラウシェンバッハと言ったな。俺に逆らってただで済むと思うなよ」
名前を知られていることに一瞬驚くが、先ほどあった入学式で代表としてあいさつしていることを思い出した。
「私としてはトラブルを避けたいと思っただけですよ。先輩方も早くこの場を立ち去った方がいいと思いますが」
私に挑発する意図はなかったが、相手は違ったようだ。
「マルクトホーフェン侯爵家の私に逆らったことを後悔させてやる……」
その言葉で相手が誰か理解した。
グライフトゥルム王国最大の貴族、マルクトホーフェン侯爵の弟、イザークだと気づいたのだ。
イザークについては、王国内の貴族家を調べた際にある程度の情報は得ている。
彼は三年半前のフェアラート会戦の敗北の責任を取って隠居した、先代侯爵ルドルフの次男だ。
現在の当主は彼の三歳年上の兄ミヒャエルだが、昨年前にミヒャエルに男子が生まれたことと、イザークが妾腹の生まれであることから、侯爵家を継ぐ可能性がほとんどなくなり、自暴自棄になっているという話だ。
イザークを含む五人は“覚えていろ”という、陳腐な台詞を吐きつつ、逃げていった。
「大丈夫か」
ラザファムが膝を突いている新入生に声を掛けながら右手を伸ばす。
その新入生は上級生たちが逃げる時に放り出されており、尻餅をついていたためだ。
「ラザファム・フォン・エッフェンベルクだ。君の名は?」
ラザファムの手を取ることなく立ち上がる。
身長は私やラザファムより低く、百七十センチくらいしかない。しかし、制服を着ていてもしっかりと筋肉が付いていることが分かり、顔も日焼けしていることから鍛錬を欠かしていないのだろう。
グレーがかったブルーの瞳には挑発するような光が見える。
「“フォン”だと……貴様も貴族ということだな」
名を言うことなく吐き捨てる。
「さっきみんなの前で紹介されたから知っていると思うけど、私の名はマティアス・フォン・ラウシェンバッハだ。今の状況で貴族に対して不信感を持つことは仕方がないけど、その態度は狭量に見られるから注意した方がいい」
私の言葉に一瞬悔しげな表情を浮かべるが、すぐに頭を下げた。
「俺の名はハルトムート。ハルトムート・イスターツだ。助けてくれたことには感謝する」
我を張らずに感謝の言葉を口にしたことに驚くが、それを見せないようにして事情を聴く。
「どうして上級生に殴られたんだ?」
「道に迷ったから、そこにある長椅子に座って学院の案内の冊子を見ていたんだ。そうしたら、あの五人が現れて名前を聞いてきたんだよ。それに素直に答えたら、“その椅子に座っていいのは貴族だけだ。平民は地面に座れ”と言いながら俺を引きずり倒そうとしたんだ。何とか振り払ったら今度は横から殴られて……」
ハルトムートは悔し涙を浮かべながら説明する。
ラザファムは話を聞くうちに怒りに顔が染まっていった。
「なんて奴らだ! 王立学院は王子殿下であっても身分を笠に着て威張ってはいけないんだ。それをあいつらは……」
今にも追いかけそうになっている。
「落ち着け、ラズ。身分の話は建前だと初等部で聞いているだろ」
「マティ、お前はこんな理不尽なことを許せと言うのか!」
そう言って私に詰め寄ってくる。
普段は冷静なのだが、彼もエッフェンベルク騎士団で騎士階級や平民階級と触れ合う機会が多く、彼らも同じ人間なのだと肌で感じている。だから今回のような理不尽なことに熱くなっているのだ。
「まさか。私は王国を守るために兵学部に入ったんだぞ。こんなことを許せば王国軍が弱体化することは間違いないんだ。私がそんなことを許すと、君は思っているのか」
笑みを浮かべながら言うと、ラザファムはふぅぅと息を吐き出し、冷静さを取り戻した。
「そうだな。お前がこんなことを許すはずがない。きっと私が思いつかないような手で奴らに思い知らせてくれる」
過大評価だと思ったが、あえて否定しなかった。
「イスターツ君、そろそろ先生が来るはずだが、これだけは言っておくよ」
「なんだ?」
ハルトムートは私の言葉に警戒の色を見せる。
「知っていると思うけど、マルクトホーフェン侯爵家は第二王妃アラベラ様の実家であり、王国最大の貴族だ。この学院の教師も当然そのことを念頭に置いて、今回のことに対応するだろう。だから学院には期待しないでくれ」
「やっぱりそうなのか……平民は何もできないんだな……」
「それは違うよ。これから平民が主体となって王国を守っていくんだ。まだそのことに気づいている人は少ないけど、帝国や法国から国を守るためにはそうならないといけないんだ」
私の言葉にラザファムが大きく頷く。
「そうだぞ。それを私たちがやるんだ。そのために私とマティアスは兵学部に入ったんだからな」
ハルトムートは私たちの言葉に理解できないという表情をする。
「平民が国を守る……そのために学院に……」
「学院に期待するなとマティは言ったが、それは自分に期待しろということだ。こいつはこんなかわいい顔をしているが、やる時は徹底的にやる。だから絶望するな。私たちと一緒に国を変えるんだ」
そう言って右手を差し出した。
ハルトムートは驚きながらも反射的にその手を取る。
私は酷いことを言われているなと思ったが、この空気を変えたくなかったので何も言わずに見ていた。
その後、イリスが一人の教師を連れてきた。
「殺人が行われそうだと聞いたが」
「ええ。先ほどイザーク・フォン・マルクトホーフェン先輩がここにいるハルトムート・イスターツ君に五人がかりで暴力をふるっていました。私たちが警告すると、剣に手を掛けたのです……」
私は可能な限り客観的に聞こえるように事実に基づいて説明していった。
教師は私の説明を聞き、諦め顔になる。
「……なるほど。マルクトホーフェン君がまた問題を……」
そう呟いた後、私たちに顔を向ける。
「今回の件は学院の方で対処する。君たちはこのことを言いふらすことなく、学院の対応を待っていてほしい。下手に騒ぐと君たちの身に危険が及ぶからね」
予想通りの答えにラザファムが苦々しい表情を浮かべ、ハルトムートも怒りを堪えるように下を向く。
「分かりました。私はラウシェンバッハ子爵家の嫡男、彼はエッフェンベルク伯爵家の嫡男ですが、親には報告しません。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。
私の言葉に教師はあからさまに安堵の表情を浮かべた後、その場を立ち去った。
「やはり学院の教師では駄目なようだな。まあ期待してはいなかったが」
ラザファムがそう吐き捨てる。
「こんなことが許されるのか……」
ハルトムートはそう言って歯を食いしばっている。
「さっきも言ったが、許すつもりはない。少なくとも君と私は完全に目を付けられているんだ。ここで傍観しても彼らは必ず何かやってくるだろう。だから彼らが手を出せないように対処するつもりだよ」
「そ、そんなことができるのか……教師でも手が出せないのに……」
ハルトムートは私の言葉に目を丸くしている。
「マティに任せておけばいい。こいつなら我々が思いつかないような手で、奴らを封じてくれるさ」
ラザファムの全幅の信頼が少し重い。そのため、イリスの方を向き、話題を変える。
「ありがとう、イリス。君の声であいつらが逃げていったよ」
「それはよかったわ。でも、結構恥ずかしかったのよ。この埋め合わせはいつかしてね」
そんな会話をした後、ハルトムートを紹介する。
「私たちと同じ兵学部の新入生、ハルトムート・イスターツ君だ。こちらはラザファムの双子の妹の、イリス・フォン・エッフェンベルクだ」
イリスはハルトムートに微笑み、右手を差し出す。
「イリスよ。これからよろしくね」
「ハルトムートだ。マティアス、ラザファム、イリス……王都の三神童……」
ハルトムートは突然思い出したのか、驚いた顔になっている。
「王都の三神童? 私たちのことかしら?」
イリスが首を傾げている。
王都では教授並みの学力を持つ私、一流の剣術の腕と高等部の学生並みの学力を持つラザファムとイリスのことをそう呼んでいるらしい。
私は知っていたが、彼女は知らなかったようだ。
ハルトムートは何かに納得したような表情になった後、笑顔を見せる。
「こちらこそ、よろしく。これから三年間、一緒に学ぶことになるんだからな」
彼は私たちが身分に関係なく接すると気づいたようだ。
それから少し話をした後、家路についた。
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