第5話「侯爵の憂鬱」

 統一暦一二〇三年二月四日。

 グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン、マルクトホーフェン城。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵


 王都から領地に戻って約二週間。ようやく領地の仕置きも落ち着きつつある。


 年末年始の行事に参加するため、各地の領主は十二月半ばから一月半ばまで王都に滞在することが多い。王都での行事を終えた後は領地に戻り、その年の計画の立案・承認、領内の有力者からの挨拶を受けるため、一月末までは忙しい日々を過ごすのだ。


 執務室から私室に戻り、寛いでいると、執事が慌てた様子で入ってきた。


「お寛ぎ中のところ申し訳ございません。王都のアイスナー男爵より急ぎの書状が送られてまいりました」


 そう言って盆にのせた一通の封書を差し出す。

 コルネール・フォン・アイスナー男爵は我が侯爵家の譜代の家臣であり、父の代から二十年以上にわたり王都の差配を任せている有能な男だ。


 アイスナーには大きな権限を与えており、事後承認の連絡が来ることはあるが、急ぎの書状を送ってくることはほとんどなかった。それほどの事態が起きたことに緊張しながら書状に目を通していく。


「……なんだと……姉上は何をやっているんだ……」


 思わず声が出た。

 文面自体は非常に簡潔だったが、その内容が衝撃的過ぎ、三度読み直したほどだ。


「父上の部屋に向かう。主だった者たちを大会議室に集めておいてくれ」


 それだけ伝えると、父ルドルフの私室に向かう。

 父はフェアラート会戦での敗北の責任を取って隠居した後も、積極的に政治に関わっている。私としてはもう少し自由にやりたいが、まだ二十歳を超えたばかりの私には荷が重いと言って口を出してくるのだ。


 父の部屋に入ると、ワインを飲みながら側室の一人と寛いでいた。隠居したとはいえ、まだ四十代後半と男盛りであり、私より精力が漲っている感じがするほどだ。

 しかし、私の表情が硬いと見て、すぐに側室を下がらせる。


「何が起きた?」


「これをご覧ください。アイスナーが急ぎ送ってきたものです」


 そう言って書状を手渡す。

 すぐに読み始めるが、その表情は険しくなっていった。


「何をしておるのだ、アラベラは!」


 父は怒りに任せて書状をテーブルに叩き付ける。

 その言葉には全く同感だ。


 姉アラベラは昔から思慮に欠け、感情の赴くままに行動すると思っていたが、まさか暗殺に自らの手を染めるほど愚かだとは思っていなかった。


「父上と思いは同じですが、今は対処方針を考えることが重要ではありませんか」


「そうだな。アイスナーの書状にはクラース侯に接触するとある。奴ならば事態の収束に向けて上手くやってくれると思うが、急ぎ王都に向かわねばなるまい」


 書状には宰相であるクラース侯爵に接触し、姉を処断させないように動くと書いてあった。彼ほどの力量があれば、クラースを操ることは容易いだろう。


 しかし、それだけで事態が収束するかは微妙だ。

 何といっても王宮内で王妃を暗殺するという前代未聞の不祥事が起きたのだから。


「おっしゃる通り、私か父上のいずれかが王都に向かう必要があります。残った方は陛下が討伐軍を興した際に対応するため、騎士団を招集する必要がありますから」


「そうだな。では儂が王都に向かい、そなたがここに残ることが合理的であろう」


「それで結構です。私では姉上を抑えきれませんし、万が一王都で捕らえられ、全面降伏を迫られたら対処のしようがありません。その点、隠居した父上であれば、人質にはなっても騎士団の降伏を約束することはできませんから」


 父はその言葉に僅かに眉をひそめる。


「国王が怒りに任せて我らを討つと決断したら、儂は確実に殺されるな……」


「そうはならないでしょう。もし危険そうならアイスナーが王都に入る前に連絡してくるでしょうし、あの陛下にそこまでの気概はありませんよ。私が騎士団長としてここで兵を挙げる準備をしていると思わせた方が交渉しやすいのではありませんか」


 父はすぐに頷いた。


「うむ。その通りだな。まずは我が陣営からの脱落者を出さぬように手を打たねばならんということか……」


 父の懸念は理解できる。


「おっしゃる通りです。噂が広がれば動揺する者が出ないとも限りません。しかし、噂を抑え込むことはアイスナーでも不可能でしょう。父上が王都で引き締めを図るとともに、私がここから各地に書状を送りましょう。不安があるとすれば、姉上が勝手に動かぬかという点です」


「あの軟弱な国王がアラベラに罰を与えることなどできぬが、これ以上無思慮なことをされては我が家を見限る者が出ぬとも限らん。アラベラには儂からよく言って聞かせねばなるまいな」


 最後の言葉は自分に言い聞かせているようだった。

 その言葉の後、父はこめかみを押さえる仕草をする。姉を大人しくさせることができるか、自信がないのだろう。


「よろしくお願いします。少なくとも数ヶ月は大人しくしてもらわねばなりませんから」


「そうだな。だが、あの阿呆が儂の言うことを素直に聞くか不安が残る」


領都ここに連れてくることが最善です。ここなら父上や私の目が届きますので」


 父も納得したのか、大きく頷く。


「うむ。それがよいな」


 それから家臣たちにどれだけの情報を伝えるか話し合った。

 家臣たちにはマルグリットが病死したと発表されているが、実際にはマルグリットが魔人を匿い、それを秘密裏に処理した際に事故が起きたと伝えた。


 また、マルグリットの実家であるレベンスブルク侯爵家が姉を貶めようと噂を流しているとも説明している。


 家臣たちは最初驚き、その後は半信半疑という感じで話を聞いていた。姉が暴走したことを薄々感じ取ったのだろう。実際、レベンスブルク家に力はなく、私の説明には無理がある。

 それでも異論が出ることもなく、戦の準備をするように命じると、粛々と行動を開始した。



 それから毎日のようにアイスナーからの情報が入ってきた。

 その中に頭が痛くなるものがあった。あろうことか姉は、エッフェンベルク伯爵家の長女、イリス・フォン・エッフェンベルクの口を封じようと、ならず者を差し向けたのだ。


 イリスは幼い頃からその美しい容姿と学院での優秀な成績、騎士をも凌駕する剣の腕で、王都では知らぬ者がいないほどの有名人だ。更に気さくな性格から平民に人気が高い。


 私に言わせれば、そんな人物を襲わせるなど、一考することすらあり得ない。そんなことをすれば貴族たちだけでなく、平民にまで噂が流れてしまうからだ。

 姉のことだから平民が騒ごうが関係ないと思っているのだろうが、それは違う。


 グライフトゥルム王家が平民から崇拝されているのは、ヘルシャーの末裔という血筋ということもあるが、世界で最も長い歴史を持つ王家を自分たちが守ってきたという自負を持っていることが大きい。


 更にマルグリットは平民から人気があった。

 それに加え、イリスまで亡き者にしようとすれば、姉と我が侯爵家は完全に悪役になってしまう。


 平民たちが反発すれば、我が騎士団はともかく、同盟関係にある貴族軍の兵士の士気は確実に落ちる。集めた兵が領主の命令に背き、反乱を起こす可能性すらあった。


 また、国王が平民たちに背中を押され、我が家を討伐するという決断をする可能性を完全に否定できなくなる。


 現状では我が家が掌握できているのは王国の全戦力の三割ほどでしかない。それも利害関係で結ばれているだけで忠誠心には期待できず、いつ裏切るか分からない連中を含めてだ。

 更に北には武の名門ノルトハウゼン伯爵家があり、背後を気にする必要がある。


 南から王国第二騎士団とエッフェンベルク騎士団が、北からノルトハウゼン騎士団が攻めかかってくれば、練度に劣る我が騎士団が敗北することは必至だ。

 その辺りのことを姉は全く考えていない。


 溜息を吐きながら、事態収束のために中立派の有力者や我が派閥の主だった者に手紙を書いていく。


 それと並行して市井に流れる噂を集めさせるが、私が出した手紙が効果を表すか微妙だと思うようになった。


 まず、姉が暗殺者を使ったことは商人たちを中心に広まっていた。逆にジークフリート王子に魔人の疑いがあるという噂はほとんどなく、あったとしても姉と我が侯爵家が故意に流した偽の情報として扱われていた。


 噂の出所を探らせると、商人組合ヘンドラーツンフトに属する商人たちが王都の情報として我が領内の商人に話していることが分かった。


 商人たちは我が家を貶めるためというより、今後の内戦の可能性を気にしているようで、姉が行った暗殺よりも私や父の動向の方に関心を寄せている感じだ。


 誰かが故意に噂を流したのであれば対処のしようもあるが、商人たちが商売のために情報交換をしているとなると手の打ちようがない。


 組合ツンフトにクレームを入れるという手もないではないが、その場合、我が家が関与していると取られる可能性が高く、逆効果になるだろう。


 有効な手が思いつかぬまま、半月ほど経った。

 父からの情報が入るようになると、姉の愚かさに殺意が湧いてくるほどの怒りを覚える。


 姉はまだ懲りずにフリードリッヒ王子とジークフリート王子を殺そうと、新たな暗殺者を雇おうとしたらしい。更に目撃者をすべて抹殺すると息巻いているともあった。


 これほど怒り狂っているのは、マルグリット暗殺時に大きな火傷を負い、その跡が消えないためだそうだ。


 火傷跡といっても二の腕から肩にかけてで、袖の長いドレスを着れば目立たないのだが、容姿を自慢にしていた姉には許せないことなのだろう。


 王子たちを暗殺することはもちろん、目撃者に対する行動も危険極まりない。

 王妃や王子の侍女や付き人ということは名家の子女ということだ。当然、彼女たちに手を出せば実家が敵に回る。そんなことすら考えられない姉に殺意を抱いても許されるだろう。


 一点気になるのは姉が暗殺者を雇ったこと、そして、未だに雇える状態にあることだ。


 最初はアイスナーが手配したのかと思ったが、関わっていないという報告が来ている。

 保身のために偽りを言っている可能性はあるが、アイスナーほどの男なら王宮内で暗殺という手段を使うことの愚かさは理解しているはずだ。そんな方法を勧めるはずがない。


 そうなると王宮の奥にいるはずの姉が、どうやって暗殺者とコネクションを得たのかが気になる。

 我々の知らない協力者がいることは間違いないが、目的が分からない。


 確かに王妃ということで、ある程度自由になる金はあるが、王子暗殺というリスクが高い仕事を依頼できるほどの金を持っているとは思えない。仮にそれだけの金を持っていたとしても、グライフトゥルム王国全体が敵に回ることを考えれば、金だけで動くとは考え難い。


 別の目的があって暗殺者側から接触したという方が何となくしっくりくる。そうなると、何が目的なのかという疑問が浮かぶが、情報が少なすぎて苛立ちだけが募る。

 父も同じ疑問を持ち、姉に確認したらしいが、要領を得ない答えしか返ってこないらしい。


 日に日に苛立ちが大きくなる中、私は領都マルクトホーフェンで待つことしかできなかった。

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