第4話「王都の闇」

 統一暦一二〇三年二月六日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、エッフェンベルク伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 第一王妃マルグリット暗殺から四日。王宮はマルグリットの死を病死と発表した。また、フリードリッヒ王子、ジークフリード王子が心労で倒れ、療養に入ったことも公式に発表された。


 また、第二王妃アラベラも王宮内で怪我を負ったため、公式行事への参加が当面見送られることも併せて公表された。


 その情報を聞き、真実を知るイリスが激怒した。

 自重するように言ってあったが、頭に血が上った彼女は国王フォルクマーク十世に直談判を行うため、単身王宮に向かってしまう。しかし、その途中で十名ほどの暴漢に襲われた。


 幸い、屋敷を出た直後にラザファムが気づき、伯爵家の騎士たちと共に追いかけ、暴漢たちを倒して事なきを得たが、治安がいいはずの貴族街で白昼堂々ならず者が伯爵家令嬢を襲うという事実に、私は驚愕した。


 王都シュヴェーレンベルクは三重の城壁に囲まれている。一番内側は王宮で、貴族街はその外側、つまり王都の外から入るには城門を二回通過しなくてはならない。


 それぞれの門では第一騎士団に所属する衛士隊がチェックしており、平民が貴族街に入るには特別な許可証が必要になる。


 一人や二人なら紛れ込むことも不可能ではないが、十人もの不審者が入り込むには貴族の誰かが手引きしなければ不可能だ。

 もっとも誰が手引きしたかは容易に想像がつく。


 直訴をやめさせるために、アラベラがマルクトホーフェン侯爵派の貴族に命じたのだろう。だが、これほど堂々と襲撃を行えるということは、マルクトホーフェン侯爵派が思っていた以上に王都内でも力を持っているということになる。


 今回の襲撃者の生き残りは通報を受けてやってきた衛士隊に引き渡し、ラザファムが次期エッフェンベルク伯爵であること、第二騎士団の中隊長であるという事実を突きつけて、厳しい取り調べを行うよう交渉しているそうだが、背後関係が明らかにされることはないだろう。



 ラザファムからの連絡を受け、エッフェンベルク伯爵邸を訪問したが、イリスはいつもの凛とした姿ではなく、悄然とした表情でソファに座り込んでいた。

 今回の襲撃を受け、さすがに身の危険を感じたようだ。


「怪我はなかったかい」


 エッフェンベルク伯爵家の騎士から怪我はなかったと聞いているが、気持ちを反らすために聞いた。


「ええ、兄様たちが助けてくれたから……まさか貴族街で襲われるとは思っていなかったわ……」


「マルクトホーフェン侯爵派は思った以上に力を持っている。不用意に動くことは危険だ」


「そのことは身に染みて分かったわ。でも、これからどうしたらいいの? アラベラに罪を償わせることはできないの?」


 襲われたことで冷静さを取り戻したが、まだ納得はできていないようだ。


「第二王妃を処断できるのは国王陛下だけだ。私が聞いた話では王妃を処断することでマルクトホーフェン侯爵が兵を挙げ、内戦になることを陛下は恐れているらしい」


 闇の監視者シャッテンヴァッヘの諜報員が調べたところでは、宰相であるクラース侯爵がマルクトホーフェン侯爵派の暴発によって内戦になり、王都が陥落する可能性が高いと脅した。また、王都が陥落しなくとも内戦が長引けば外国の介入によって王国は存亡の危機を迎えるとも言っている。


 宰相の言っていることは間違っていない。

 ここでアラベラを処断し、マルクトホーフェン侯爵が兵を挙げたら、内通者が城門の開放や破壊工作を行うだろう。

 そんな事態になれば、第二騎士団だけで王都を守り抜くことは不可能だ。


 また、王国にはゾルダート帝国とレヒト法国という強力かつ明確な敵が存在し、三ヶ月程度で内戦を収束させなければ、両国が介入してくることは充分に考えられる。


「何とかできないのかしら。あなたなら何か考えていると思うのだけど」


「考えはある。ただ時間が掛かると思う」


 そう言ってから私の考えを説明していく。


「まずはアラベラ殿下とマルクトホーフェン侯爵とを切り離す」


「切り離す? 確かにアラベラが無茶をできるのは侯爵家が力を持っているからだけど、侯爵が認めるのかしら?」


 イリスの指摘は常識的なものだ。アラベラの息子グレゴリウスが国王になれば、侯爵家は外戚として今以上に力を振るえるからだ。


「現侯爵のミヒャエル卿は姉であるアラベラ殿下のことを煙たがっているらしい。だから切り離すことはそれほど難しくはないと思う」


「煙たがっているの?」


 イリスが驚いたような表情で聞き返してきた。


「ああ。今回のことでも分かるように、アラベラ殿下は思慮が足りない。侯爵にしてみれば、暗殺を行う必要などなかったと思っているだろう。時間を掛けて陛下を説得すればいいだけだし、暗殺という手段を採るにしても自らの手を汚す必要などないからね」


「確かにそうね。でも、今回のことで侯爵も無茶をしても大丈夫と思うようになったりしないのかしら」


 彼女の懸念は分からないでもない。

 但し、現侯爵のミヒャエル・フォン・マルクトホーフェンはアラベラほど愚かではない。また、先代のルドルフは野心家だが、侯爵家を強大にした実力者でもある。この二人なら王国全体を見て考えるだろう。


「暗殺を行ったという噂だけでも派閥内への影響は大きいよ。それに本人が手を下したという噂が広がったら、侯爵家と距離を取ろうとする者が出てくるはずだ。侯爵もこの情報を受け取っただろうから、今頃頭を抱えているだろうね」


 ミヒャエルは現在、王都にはおらず、領地であるマルクトホーフェンにいる。また、ルドルフも自領で謹慎していることになっているため、王都にはいない。


 マルクトホーフェンは王都から北へ百五十キロメートルほどにあり、早馬を使っても二、三日は掛かるが、既に事件から四日目であり情報を受け取っているはずだ。


「噂の方はあなたが流すのでしょ。それでアラベラと侯爵の間を裂く。そういうことね」


 付き合いが長いだけあって、イリスは私のやることを分かっている。


「その通りだよ。と言っても、今は積極的に動くつもりはないけどね。その方が効果的だから」


 緘口令が敷かれており、今のところ王都にも噂はあまり流れていない。しかし、目撃者が多いことと、あまりにも衝撃な事件であったことから、王国上層部では周知の事実となっている。


 マルクトホーフェン侯爵も情報を受け取ったら慌ててこちらに来るだろうし、既に王都にいる者が噂を打ち消すために動いているようだが、これほどの事件を完全に隠しきることはできない。


 そして、打ち消そうとすればするほど、マルクトホーフェン侯爵派の関与が疑われるから、いろいろと動いてくれる方が私としてはありがたい。


「そうね。私が襲われたことも噂になるでしょうから、当然侯爵家が手引きしたと思うはず。私たちが積極的に噂を流すより、第三者が流してくれた方が、説得力があるということね」


「そういうこと」


 そう言って頷くが、積極的に動かない理由はもう一つある。

 それは叡智の守護者ヴァイスヴァッヘが私の策を認めてくれるか微妙だからだ。


 ゾルダート帝国やレヒト法国に対する謀略については、ヘルシャー候補が生まれるグライフトゥルム王家を守護するという契約に基づくということで、闇の監視者シャッテンヴァッヘを使うことは認められている。


 しかし、基本的に叡智の守護者ヴァイスヴァッヘは世俗国家の政治に関与できない。


 その下部組織である闇の監視者シャッテンヴァッヘは契約に基づけば暗殺や謀略に使うことはできるが、自主的に政治に関与することは上位機関と同様に禁じられている。


 これは三つの魔導師の塔で結ぶ“三塔盟約”に世俗国家への干渉を禁じる項目があり、契約に基づき依頼を受けること、その場合でも力の行使は最小限にすることが定められているからだ。


 この盟約を破ることは他の二つの塔から非難されるだけでなく、代行者プロコンスルと呼ばれる四聖獣の制裁を受ける。実際、千年ほど前、世俗に過度の干渉を行った魔導師の塔が四聖獣の制裁を受けて、消滅しているのだ。


 このこと以外にも、アラベラはともかく彼女の息子、グレゴリウス王子もグライフトゥルム王家の一員であり、ヘルシャー候補となり得るという事実が問題となる。その王子の成長に影響が出る可能性も否定できず、大賢者マグダが認めない可能性も考えられた。


 但し、今回の事件でジークフリート王子がヘルシャー候補の可能性が高いことが分かり、その王子を守るためにアラベラを合法的に排除することは認められる可能性は充分にあると思っている。


「いずれにしても君は当分屋敷から出ない方がいい。特に王宮に行くのは絶対に駄目だ」


 アラベラの性格を考えると王宮内でも襲撃を命じる可能性が高い。


「理由は分かるけど、悔しいわね」


 そんな話をしていると、ラザファムが衛士隊詰所から戻ってきた。

 その表情は憮然としており、衛士隊に動く気がないと見ているようだ。


「やっぱり駄目そうかい」


「ああ。彼らもマルグリット殿下が暗殺されたことを知っているようだな。マルクトホーフェン侯爵家に逆らうことを恐れている感じだ。で、どうするつもりだ?」


 彼にとっても予想通りであり、私が何か考えていると確信しているようだ。


「イリスにも話したが、当面は噂が勝手に広まるのを待つ。その上でアラベラ殿下とマルクトホーフェン侯爵家を分断する。やり方は私に任せてくれ」


「マティがやるなら私の出番はなさそうだが、何か手伝うことはあるか?」


「イリスの身の安全を確保することが一番だ。この屋敷なら安全だと思うが、最悪の場合はエッフェンベルクに避難させる必要がある。その手配を頼むかもしれないから心積もりだけはしておいてほしい」


 私の言葉にラザファムが頷き、イリスが驚く。


「そこまで厳しいの……」


「私としては第一騎士団に辞表を出してもらいたいと思っている。私が勧めたのに悪いとは思うけど」


 彼女が第一騎士団に入ったのは私が依頼したからだ。

 それがこんな形で裏目に出るとは思わなかった。


「マルグリット様をお守りできなかったのだから、責任を取る必要があるわ。辞めることが責任を取ることとは思わないけど、第一騎士団に未練はないわよ」


 イリスは心労で寝込んだということにして、休暇届を出した。その際、暴漢に襲われたことで家から出られなくなったという話をしている。また、マルグリットの死に責任を感じており、時機を見て辞表を提出するだろうという話も付け加えていた。


 この話がアラベラに伝われば、単純な彼女のことだから、イリスを襲う必要はないと思うはずだ。


 それよりも他の目撃者を消そうとする可能性が高い。

 これに関しては楽観している。マルクトホーフェン侯爵がどこまでやる気になるかだが、目撃者の多くが王妃に仕えている者であり、貴族の、それも名家出身だ。


 その令嬢たちを暗殺すれば、多くの貴族が敵に回る。

 侯爵は愚かではないから暗殺という手段は採らず、実家を懐柔ないし脅迫することで口封じに掛かるはずだ。その動きが噂になれば更にアラベラの暴挙の信憑性が増すから、こちらにとっては都合がいい。


 それから二日後の二月八日、先代のマルクトホーフェン侯爵、ルドルフが王都に到着したという情報が入った。


 当主ではなく、隠居である先代が現れたことに意外な感じを受けたが、ルドルフは老獪な政治家であるため、その力量と人脈に期待しているのだろうと考えた。

 これから先代侯爵との情報戦が始まると気合を入れる。

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