第3話「王妃暗殺事件:後編」

 統一暦一二〇三年二月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮。国王フォルクマーク十世


 余は自らの不甲斐なさにやり場のない怒りを感じている。


 マルグリットには愛情を感じていたが、アラベラは先代のマルクトホーフェン侯爵、ルドルフが余に押し付けてきた者であり、愛情の欠片もなかった。


 そのアラベラが余の愛する妻を奪った。それなのに妻の仇を討つこともできず、宰相であるテーオバルト・フォン・クラース侯爵に不問に付すよう迫られている。


 クラース侯爵は余の父の代から宰相を務めているが、愛国心が強いとは思えぬ。どちらかと言えば、マルクトホーフェン侯爵と組み、私腹を肥やしているのではないかと思っている。


「アラベラ様は魔人の疑いのあるジークフリート王子を排除しようとしたもの。さすがにこの事実は公表できませんし、だからと言ってアラベラ様を罰するわけにいきますまい。ならば、マルグリット様は急病によりご逝去されたと公表するしかございません」


「ジークフリートに魔人の疑いがあるなら、なぜ余に報告がないのだ? そもそも魔人と戦えるのは四聖獣様か、大賢者殿くらいであろう。そのような言い訳を信じる者がおるとは思えぬ」


 余の反論に宰相は薄ら笑いを浮かべる。


「信じる、信じないではございません。そう公表するしかないと申し上げているのです。アラベラ様の罪を問うというのであれば、マルクトホーフェン侯爵家も調べなければなりますまい」


「確かにそうだが……」


 アラベラの侍女に扮していた暗殺者は二人いた。一人は謎の爆発で死亡し、もう一人の最初にフリードリッヒたちに襲い掛かった者は陰供シャッテンが取り押さえたが、爆発の混乱の間に毒を使って自害している。


「よくお考え下さい。先代のマルクトホーフェン侯、ルドルフ卿はそのような屈辱的なことを認めることはありますまい」


 侯爵の言う通り、実行犯はアラベラしか残っておらず、どうやって毒を入手したかなど、証拠を集めることは難しい。そうなると、アラベラの支離滅裂な言葉を基にマルクトホーフェン侯爵家を調べる必要があり、侯爵たちが黙っているとは思えない。


「……」


「彼らはその屈辱に甘んじることなく、必ず兵を挙げるでしょうな。その結果、大規模な内乱が起きるのです。軍制改革は進んでおりますが、未だ王都には一万の兵もおりませぬ。援軍を呼ぶにしても、マルクトホーフェン侯爵領から反乱軍が到着する方が早い。どうなさるおつもりですかな」


 宰相の言うことにも一理ある。

 現在行われている軍制改革が実行される前、王都を守護していたのはシュヴェーレンブルク騎士団だ。


 そのシュヴェーレンベルク騎士団だが、総数二万と号していたものの、平時には五千にも満たなかった。軍制改革で王国騎士団と名を変え、現在、第一から第三の三つの騎士団が常設軍として王都を守護している。


 しかし、第一騎士団は元々王宮警護と市内の治安維持が任務で、本格的な戦闘となると心許ない。また、第三騎士団は一月から編成を開始したところで、まだ形すらできておらず、実戦に使えるのは第二騎士団五千名のみだ。


 一方のマルクトホーフェン侯爵家は傘下の貴族家を合わせると五千の兵を有し、更に同盟している貴族家が加われば、優に一万を超える。


 王家に忠誠を誓うエッフェンベルク伯爵家やノルトハウゼン伯爵家は強力な騎士団を有しているが、いずれも王都から離れており、内戦になった場合に連携が取れるかは未知数だ。


「それは分かっている。だが、あれだけの目撃者がおるのだ。人の口に戸は立てられぬという。真相が明らかになるのは時間の問題であろう。そうであるなら、侯爵らを調べねば他の諸侯が騒ぎ出すはず。混乱は更に大きくなるのではないか?」


「諸侯が騒いだとしても内戦になることはないでしょう。ですが、侯爵が兵を挙げれば大規模な内戦になることは間違いありません。そうなれば、今は大人しい帝国が再び攻めてくるやもしれませぬ。法国も同様に自国の混乱を抑えるべく、外に目を向けぬとも限りません」


 ゾルダート帝国はリヒトロット皇国への攻勢を強めるため、我が国との国境付近から兵を引いているが、宰相の言う通り、我が国への野心が無くなったわけではなく、いつ刃を向けるか分からぬ。


 レヒト法国も法王暗殺の混乱から立ち直っていないが、外に目を向けさせることで混乱を抑えようとする可能性は充分にある。


 いずれも我が国を凌駕する大国であり、内戦に介入されれば、一気に滅亡ということもあり得ない話ではなかった。


「だから卿はアラベラの暴挙に目を瞑れと言うのだな。王国を守るために正義を捨てよと」


「国を守ることこそ、国王陛下と我ら貴族の最大の務めと小職は考えます。個人的な感情に振り回された結果、帝国や法国に飲み込まれることは本末転倒と愚考いたします」


「個人的な感情だと……王妃を、家族を殺されたのだぞ!」


 怒りに我を忘れて怒鳴ってしまうが、宰相は余の怒りなどどこ吹く風と、恐縮するそぶりすら見せない。


「では、陛下に対案を示していただきとうございます。アラベラ様を処断した上で、マルクトホーフェン侯爵の蜂起を防ぎ、外国からの侵略を防ぐ方法があるのであれば、それをご提示いただきたい」


「それを考えるのが臣下である卿の務めであろう!」


 そう反論するが、確かにいい手がないことも確かだ。

 マルクトホーフェン侯爵の息のかかった者がこの王都は多くいる。侯爵が軍を興し攻め寄せてくれば、内通者によって王都が陥落することは、余のような凡人でも容易に想像できる。


 対案など思いつくはずもなく、余は沈黙するしかなかった。


「では、マルグリット様は急病によりご逝去。アラベラ様の行いについては不問とし、現在は王宮内の事故で怪我を負われたことにいたします。また、アラベラ様にはジークフリート殿下について騒ぎ立てないことを約束していただきます。これでよろしいですかな、陛下」


「……」


 悔しさのあまり言葉が出ない。


「陛下。王国を守るためです。ご決断を」


 そう言って宰相は強い視線を余に向けながら再度促してくる。

 余は屈した。


「それでよい……」


 宰相は一礼すると余の執務室から出ていった。

 残された余の心の中には悔しさと情けなさが渦巻く。


 しばらくすると、宮廷書記官長のオットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵が入ってきた。


「宰相閣下より、今回のアラベラ殿下の行動を不問にするという話がございました。それは真でしょうか?」


「……仕方がなかったのだ……」


 そう答えることしかできなかった。


「それは危険ですぞ、陛下! 第一王妃殿下を殺したにもかかわらず、罪を問われないとなれば、第二王妃は更に増長いたします。そうなれば、フリードリッヒ殿下やジークフリート殿下だけでなく、陛下のお命すら危うくなるでしょう」


 メンゲヴァインはマルクトホーフェンや宰相とは対立関係にあるが、王家のことを思ってではない。自らの栄達のためにマルクトホーフェンらの力を落としたいと考えているのだ。しかし、言っていることは間違っていない。


「グレゴリウスに玉座を与えるために、余を殺すというのか……」


「陛下はグレゴリウス殿下に玉座を譲られるおつもりですか?」


「そのようなことは考えておらぬ」


「アラベラ殿下は自らのお子であるグレゴリウス殿下を立太子せよと、迫ってこられるでしょうな。それを断れば……これ以上言わずともお分かりでしょう。それでもよろしいのですな」


 そこまでは考えていなかった。

 確かに今回のことでアラベラが味を占め、周りの目を気にすることなどなくなる。そうなれば余を殺し、玉座を奪うことをためらうはずがない。


「どうしたらよいのだ? 余はまだ死にたくない……」


「アラベラ殿下を処刑なさり、グレゴリウス殿下の王位継承権を剥奪するのです」


「だがそれではマルクトホーフェンが兵を興す。そうなれば余は殺されるだろう」


 メンゲヴァインはそこまで考えていなかったようで、言葉が返って来ない。


「余だけではないぞ。その方もマルクトホーフェンに殺される。それでもアラベラを処刑せよと言うのか」


 メンゲヴァインはそこで怖気づいたのか、視線を彷徨わせるが、すぐに進言してきた。


「では、アラベラ殿下のことは不問といたしますが、フリードリッヒ殿下とジークフリート殿下を安全な場所に移されることを進言いたします。お二人の王子がご存命であり、グレゴリウス殿下が立太子されなければ、マルクトホーフェン侯爵も容易に挙兵はできませぬ」


 フリードリッヒかジークフリートが生きていれば、余が殺された後、マルクトホーフェンに不満を持つ者たちの旗頭となる。簒奪者を倒し、正統な王位継承者に戻すとなれば、多くの者が立ち上がるだろう。マルクトホーフェンがそのことに気づけば容易には動けなくなるということだ。


「それがよい。だが、どこが安全な場所なのだ? 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔にでも入れるくらいしか思いつかぬが」


「それではあからさまに警戒していると言っているようなものです。フリードリッヒ殿下にはグランツフート共和国に留学していただき、ジークフリート殿下には北部の辺境で静養していただくというのではいかがでしょうか」


 グランツフート共和国に留学させれば、共和国が矜持に賭けて守ってくれるだろうし、王宮より陰供シャッテンたちも動きやすいだろう。

 北部はノルトハウゼンの勢力が強い。マルクトホーフェンも不用意に手を出せぬはずだ。


 いずれも陰供シャッテンも多めに配置しておけば、王都ここより遥かに安全なはずだ。


「うむ。それがよい。そのように手配せよ」


 そう命じると、メンゲヴァインは退室した。


 余は僅か一日ですべての家族を失った。

 そのことに気づき、涙が頬を流れた。

 しかし、すぐに気を取り直し、書記官の一人を呼び出す。


「シュテファン・フォン・カウフフェルト男爵にございます。お召しにより参上いたしました」


 三十代半ばの実直そうな文官が余の前で膝を突く。

 王宮内で数少ない忠義に篤い者で、余が信頼する数少ない者でもある。


「シュテファンよ。そなたに頼みがある……余のために、王家のためにその身を捧げてくれぬか」


「仰せのままに」


 一瞬の迷いもなく、そう答えた。


「我が息子、ジークフリートの守り役となり、守ってほしいのだ」


 第一王子であるフリードリッヒには既に守り役が付き、更に多くの臣下も配されている。しかし、まだ五歳になったばかりのジークフリートを守ってくれる者がいなかった。そのため、優秀な彼を守り役に抜擢しようと考えたのだ。


「御意」


 シュテファンもジークフリートが魔人の疑いを掛けられ、更にアラベラやマルクトホーフェンから命を狙われることを知っているはずだが、何の迷いもなく肯定する。


「後ほどメンゲヴァインより話があると思うが、ジークフリートはそなたの領地に近いネーベルタール城に移すつもりだ。あそこであれば守りやすかろう」


 シュテファンの領地はシュトルムゴルフ湾の北にあるカウフフェルトという村で、ノルトハウゼンに近い。そのカウフフェルトに程近い場所にネーベルタール城という古城があり、そこにジークフリートを隠す。


「済まぬな。そなたであれば宰相府で出世もできただろうに……」


 シュテファンは実直でありながらも優秀で、宮廷書記官長のメンゲヴァインに代わって王宮内を差配している。普通の王子の守り役であればやりがいも感じられるだろうが、有力貴族から狙われる第三王子のジークフリートではやりがいもないだろう。


「そのようなことはお気になさらなくともよろしいかと。ジークフリート殿下にお仕えすることは名誉なことでございますので」


 彼の言葉に余は頭を下げることしかできなかった。

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