第2話「王妃暗殺事件:中編」

 統一暦一二〇三年二月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮。イリス・フォン・エッフェンベルク


 王国第一騎士団の近衛騎士隊に配属になってから一ヶ月。王宮での仕事にもようやく慣れてきたところだった。


 当初は飾り物の近衛兵になんてなりたくなかったけど、上司にも部下にも恵まれ、何とかやっていけそうだと思っていた。


 私がお守りする第一王妃のマルグリット様は、緊張している私にも気さくに声を掛けてくださる優しい方だった。


 その一方で第二王妃アラベラとは最初に挨拶をしただけだったけど、マルクトホーフェン侯爵派でないことを理由に睨み付けるような人で、関りになりたくないと心から思ったわ。


 そのアラベラがマルグリット様を殺した。

 私は護衛任務に就いていたのに何もできなかった。そのことを強く悔やんでいる。


 もちろん、私のような新人が隊長の隊の配置は王妃様の近くではなかったから、凶行が起きた時に対応できないのは仕方がないのだけど、どれほど罵られても入口できちんと調べていれば、侍女に扮した暗殺者を見つけることができたかもしれない。

 そのことが頭から離れないでいる。



 昨日はアラベラが現れるまでマルグリット様、第一王子のフリードリッヒ殿下、第三王子のジークフリート殿下のお三人は和やかな雰囲気で、ジークフリート様の五歳お誕生日のお祝いをしていた。


 傍から見ているだけでも幸せを感じるような暖かい空間だったが、それをぶち壊したのがアラベラだ。


 呼ばれもしないのにずかずかと部屋に入り、“わらわの祝いの品をお食べ!”と言って、怯えるフリードリッヒ様とジークフリート様に持ち込んだ菓子を食べるよう強要した。


 侍女の一人が毒見をしようとすると、“無礼な!”と金切り声を上げて叱責し、更に二人の王子は怯えてしまう。


『そのように大きな声を出されては困りますわ』


 マルグリット様がやんわりと注意するが、アラベラは意に介することなかった。


『わらわの祝いの品が危険だとでもいうのかしら? 同じ陛下にお仕えする王妃であるというのに』


 そんな感じで更に迫るが、さすがに見かねた女官長が間に入ろうとした。


『王子様方には後ほど召し上がっていただくということで……』


 それに合わせる形で、アラベラの侍女の一人が女官長の前に出た。


 その動きは自然で、取り巻きの一人がアラベラに代わって抗議しようとしているとしか私には見えなかった。私だけじゃなく、マルグリット様の後ろで護衛している先輩の近衛騎士も同じことを考えたのか、特に動くことはなかった。


 その侍女はそれまでのゆっくりとした動きから、電光石火の動きに変えて女官長の脇をすり抜けると、隠し持っていた短剣を煌めかせながら王子様たちのところに走りこむ。その距離は僅か五メートルほどしかなく、私は声を上げることすらできなかった。


 しかし、その動きに対応できた者がいた。それはマルグリット様の横に立っていた侍女の一人だ。


 彼女は暗殺者を上回る動きを見せて移動すると、短剣を持つ腕を取って倒れこむ。そして、私のところからでも“ゴキッ”という骨が折れる音がはっきりと聞こえ、“ウッ!”という暗殺者のうめき声が響いた。


 私は一瞬立ち尽くしていたが、すぐに部下に命じた。


『不埒者を取り押さえるのだ! 王妃殿下、王子殿下方をお守りせよ!』


 私の声で先輩騎士も我に返り、暗殺者に近づこうとした。

 しかし、その時すでにアラベラが動いていた。その手には小さいながらも鋭利なナイフが握られているのが見えた。


『誰か! アラベラ殿下を止めろ!』


 私はそう叫びながら走り出したが、私の声に反応できたのはマルグリット様だけだった。

 マルグリット様はフリードリッヒ殿下とジークフリート殿下を抱え込むようにしてアラベラの間に入る。


『邪魔をするな!』


 アラベラはそう叫びながらナイフをマルグリット様に突き立てた。


『マルグリット様!』


 私はその光景を見て思わず叫んでいた。

 更にもう一人の侍女も短剣を振りかざして近づこうとしている。私はアラベラとその侍女を斬り捨てようと剣を抜いた。


 しかし、次の瞬間、真っ白な強い閃光と、馬に跳ね飛ばされたかのような強い衝撃を受け、気を失った。

 どのくらい気を失っていたのかは分からないが、それほど長い時間ではなく、数秒ほどだと思う。


 意識を取り戻した後、周囲を見ると、ボロボロになったアラベラと侍女が倒れており、料理が置かれていたテーブルが倒れ、窓ガラスが吹き飛んでいた。先輩の近衛騎士たちも膝を突いており、何が起きたのか分からなかった。


『ははうえ! ははうえ! いやだ!』


 ジークフリート殿下の叫び声に気づき、マルグリット様が刺されたことを思い出す。


『治癒魔導師を呼べ!』


 その時、私はまだ楽観していた。

 アラベラが持っていたナイフは刃渡り十センチほどで、刺された箇所も右肩甲骨付近と致命傷になる可能性が低いと思ったためだ。


 しかし、ジークフリート殿下の様子がおかしかった。


『ははうえ?……うん……でも……ぐすっ……ははうえ……』


 再び強い圧力のようなものを感じたが、すぐに収まっていく。

 その圧力に疑問を感じたが、すぐにそのことは頭から消えた。


 ジークフリート殿下が気を失い、代わりにフリードリッヒ殿下が叫び始めた。


『うわぁぁぁぁぁん! ははうえ!』


『マルグリット様! お気を確かに! 誰か! マルグリット様が!』


 マルグリット様を助け起こそうとした女官長が悲鳴を上げる。

 先ほど暗殺者を倒した侍女が女官長の叫びを受けてマルグリット様に近づく。


『毒です! 治癒魔導師を早く!』


 それからのことはあまり記憶がない。

 泣き叫ぶフリードリッヒ殿下とパニックに陥った侍女たちの声が響き、バタバタと近衛騎士たちが現れるまで、私は立ち尽くしていることしかできなかった。



 そして今、私は別室で事情聴取を受けている。

 取り調べを行うのは第一騎士団副団長、ピエール・フォン・ホルクハイマー子爵だ。

 副団長は普段温厚な紳士で仕えやすい上司だが、今回の大事件を受け、強い疲労感を漂わせている。


 頭が回っておらず、閣下の質問に問われるままに答えていく。


「……では、アラベラ殿下がマルグリット殿下を刺したことは間違いないのだな」


「はい。はっきりと見ました。刃渡り十センチほどの鋭いナイフで、フリードリッヒ殿下かジークフリート殿下を刺そうと近寄り、それに気づいたマルグリット様が我が身を盾にしてお守りになったのです」


「アラベラ殿下が火傷を負い、侍女が一人死んでいるが、なぜそうなったか見ているか」


「マルグリット様が刺された直後に強い光と衝撃を受けて、不覚にも気を失いました。ですので、はっきりとは見ておりません」


 その質問で何が起きたのか考えてみたが、全く分からなかった。


「ジークフリート殿下のご様子はどうだったか? 何かおかしな点はなかったか?」


「ジークフリート殿下ですか……」


 ジークフリート殿下について聞かれ、一瞬戸惑った。

 五歳の子供が目の前で母親を殺されれば、パニックになること以外に何があるというのかという思いがあったためだ。


「マルグリット様がお亡くなりになる直前のことですが、ジークフリート殿下と言葉を交わされていた気がします。ですが、すぐにショックで気を失われたので……」


「そうか……」


 ホルクハイマー団長は顔を下げて考え込むが、すぐに顔を上げ、私を見た。


「これで君への事情聴取は一旦終わりにする。何か思い出したことがあれば、すぐに私に連絡するように」


 それだけ言うとゆっくりと立ち上がった。


「最後に言っておく。今回の件は詳細が判明するまで口外することはまかりならん。たとえ家族であってもだ」


「分かりました」


 ことがことだけに緘口令を敷かれることは理解できる。

 しかし、一つだけ気になることがあった。


「一つだけ教えていただきたいのですが、アラベラ殿下は拘束されたのでしょうか? 明らかに王子方を害そうとしたのですが」


 副団長は無表情で私の問いに答えた。


「アラベラ第二王妃殿下は現在治療中だ。もちろん、陛下の裁可が下るまでは自室で謹慎していただくことになっている」


 この処置にも納得できる。治療後に厳しい取り調べが行われるのだろう。


 事情聴取を終え、騎士団の詰所に戻った。疲れ果てていたが、再び事情聴取が行われる可能性があり、王宮を出ることは不味いと思ったのだ。

 その日は強い疲労感を覚え、そのまま女性騎士用の仮眠室で眠った。


 翌日の二月三日。

 夜が明けたが騎士団や王宮からの指示はなく、上司に相談に行こうと考えた。

 その前に朝食だけでも摂ろうと、食堂に入る。詰所には宿直者用に朝食が用意されているためだ。


 私が食堂に入ると一斉に視線を向けられる。既に噂が広がっており、現場にいた私から事情を聴きたいようだ。中には接触してくる者もいたが、緘口令を理由にすべて断っている。


 詰所の食堂の片隅で朝食をつまみながら今回のことを考えていると、騎士たちの話し声が聞こえてきた。


「……アラベラ殿下が罪に問われないかもしれないと聞いたぞ」


「どういうことだ?」


「侍女の一人から聞いたのだが、殿下はジークフリート殿下が魔人だと騒いでいるらしい。自分は魔人を倒すために立ち上がっただけで、その邪魔したマルグリット殿下が悪いと言っているらしいな」


 その言葉に私は思わず立ち上がった。そして、その騎士のところに行き、問い詰める。


「どういうことなのですか! アラベラ殿下がそんなことを言っているのですか!」


 私の勢いに先輩の騎士は驚くが、すぐに頷いた。


「そうらしいな。何でも自分が大火傷を負ったのは魔人が魔導マギを使ったからだと」


魔導マギが……」


 思い当たることがあり、思わず呟く。


「俺は現場を見ているが、魔導かどうかは分からんが、何らかの力が振るわれたことは間違いない。あの場に魔導師マギーアはいなかったはずだから、魔人という話も強ち嘘とは言い切れんと上は考えているらしいな」


「あり得ない! あの場に魔人なんていなかったわ!」


 私が怒鳴ると先輩騎士は“落ち着け!”と一喝した後、私を座らせる。


「噂に過ぎんといっただろう。それにあまり大声で騒げば、マルクトホーフェン侯爵の手の者に聞かれてしまう。そうなれば何をされるか分かったものではない……」


 最後の方は小声で私に警告してくれた。

 それでも私は冷静になれなかった。


「聞かれたっていいわ! マルグリット殿下の仇は私が必ず取るから!」


 私の声が食堂に響き、視線が集中する。

 先輩騎士もこれ以上付き合いきれないと静かに私から離れていった。

 やり場のない怒りを感じていると、一人の従士が近づいてくる。


 その従士は私の前を通り過ぎながら、小声で話しかけてきた。


「マティアス様からの伝言があります。訓練場近くのベンチにお越しください」


 彼はそれだけ言うと、何事もなかったように静かに去っていく。


「マティから……」


 私はマティアスが気にかけてくれたことで、落ち着きを取り戻した。

 そして目立たないように食堂を出て、訓練場近くのベンチに向かう。そこには先ほどの従士がいた。


「マティアス様は今回の件では不審な点が多いとお考えです。イリス様は無暗に動かず、自分とネッツァー様に任せてほしいとのことでした」


 マティアスだけでなく、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師マルティン・ネッツァー氏も関わっていると聞き、素直に頷いた。


 いくらマティアスでも王宮内での調査は難しいだろうし、マルクトホーフェン侯爵と対決すれば命を失う可能性もある。叡智の守護者ヴァイスヴァッヘが関与するなら、彼のことを守ってくれる。


「分かりました。私はショックを受けて屋敷に戻ることにします。ですが、もし現場にいた人間の証言が必要なら、いつでも言ってほしいと伝えてください」


「承りました。では、くれぐれもご自重を」


 それだけ言うと、静かに消えていった。

 恐らく騎士団に潜入している闇の監視者シャッテンヴァッヘシャッテンの一人なのだろう。


 私は気分が悪いと言ってから、屋敷に戻るため、詰め所を出ていった。

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