第四章:「王都陰謀編」

第1話「王妃暗殺事件:前編」

 統一暦一二〇三年二月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ネッツァー邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 シュヴェーレンブルク王立学院高等部を卒業し、私は研究科の助教授となった。

 助教授と言っても研究科に在籍したばかりで勝手が分からず、ロマーヌス・マインホフ教授の指導を受けているところだ。


 研究科は教授が十名、助教授が約二十名、助手が約二十名、学生が約五十名の計約百名が在籍している。教授と助教授は高等部の教員も兼ねており、元の世界の大学に相当する高等教育機関で、世界的にもここにしかないという割には小ぢんまりした印象だ。


 ここ一ヶ月ほどで実感したことだが、研究科は一種の変人の集まりと思われている。そのため、王国政府の期待も小さく、当然予算も少ない。だから、この程度の人数を維持するだけで精一杯なのだ。


 人数的に少ないことから高等部を卒業したばかりの私も、兵学部の講義を受け持たされている。それも最上級生である三年の戦術の講義だ。さすがにこれでいいのかと思い、教授に話をした。


「つい二ヶ月前まで学生だったんですよ。一年生の講義とかにした方がよいのではありませんか?」


 私の言葉に教授は何を言っているのだという表情で私を見る。


「あの“新軍事学概論”を書いた君以外に誰がいるのかね? 戦史の研究しかしてこなかった私よりよほど適任だろう」


 確かに教授の戦術の講義は戦史を参考にしたものだ。教授自身も士官用の教本などで戦術を勉強しているが、現在行われている軍改革に適合したものとは必ずしも言えない。


 私の書いた“新軍事学概論”でも過去の戦例は参照しているが、比較的新しいゾルダート帝国での事例を使っていることが多く、第二騎士団の隊長教育でも使われている。


「君には第三騎士団の臨時教官も頼むつもりなのだ。そんな人材を、まだ何も分かっていない一年生に使うなどもったいない。これは学院長も認めておられる」


 結局、一年後輩の講義を受け持つことになった。

 兵学部では学年をまたぐ交流は少ないが、それでも知り合いは何人もいる。特に仲が良いのが、北部の雄、ノルトハウゼン伯爵家の嫡男であるヴィルヘルム・フォン・ノルトハウゼンだ。


 そのヴィルヘルムが講義の初日に声を掛けてきた。


「マティアス先輩に教えてもらえるなんて思ってもみませんでしたよ。これでラザファム先輩に少しでも追い付ければいいんですけど」


 ノルトハウゼン家は北部の大貴族だが、武の名門でもある。そのため、同じ武の名門であり、反マルクトホーフェン侯爵派でもあるエッフェンベルク伯爵家とは交流があり、その関係で私とも顔見知りになった。


 彼自身努力家で、成績も十位以内に入っているが、フェアラート会戦で敗走する軍を指揮し、半数の兵を無事に帰還させた名将である父カスパル卿や、昨年首席で卒業したラザファムと比較されることが多く、よく愚痴をこぼしていた。


「君なら大丈夫だよ。私でよければ、今まで通りいつでも相談に乗るしね」


 以前からヴィルヘルムからの相談を受けており、いろいろと教えていた。


 彼が反マルクトホーフェン侯爵派の中で最も力を持つノルトハウゼン伯爵家の嫡男ということが一番の理由だが、彼自身、大貴族の子息にしては素直な性格で、後輩として可愛がっている感じだ。


「助かります。マティアス先輩……ラウシェンバッハ先生から指導を受けられるなら、もう少し成績を上げられそうですから」


 こんな感じで緩く教員生活が始まった。

 そして、ようやく慣れてきた今日、とんでもない事件が起きた。


 今日は学院が休みだったため、同じく非番だったラザファムとハルトムートと共に、エッフェンベルク伯爵邸で話をして過ごした。

 夕方になり屋敷に戻ると、母であるヘーデが蒼い顔をしてソファに座っていた。


「どうしたのですか?」


 私が帰ってきたことにも気付かなかったらしく、ビクッという感じで驚く。


「さっきリヒャルトが慌てた様子で帰ってきたの……これから数日家には帰れないから着替えを取りに来たと言って……」


 父リヒャルトは宰相府の官僚だ。その父が泊まりがけで対処しなくてはならないことが起きたらしい。


「何があったのですか?」


「……王妃様が……マルグリット様が亡くなられたの……毒を塗ったナイフで刺されたそうよ……」


 現国王フォルクマーク十世の第一王妃マルグリットが殺されたと聞き、一瞬言葉が出ない。


「犯人は分かっているのですか?」


「緘口令が敷かれているそうだから、詳しくは聞いていないのだけど、アラベラ様らしいと……」


 アラベラは第二王妃で現在のマルクトホーフェン侯爵の姉だ。

 派手な感じの美女だが、傲慢な性格で取り巻き以外からは嫌われている。また、誰からも敬愛されているマルグリットを敵視しているという話は有名だった。


 しかし、宰相府の高官とはいえ、財務系の文官に過ぎない父が犯人を断定していることが気になる。実行犯を捕まえたとしても尋問が必要だろうし、仮に依頼者がアラベラであっても証拠を集めなければ断定できない。第一、そんな情報が関係者以外に流れることは、情報管理がいい加減なこの国であっても稀だ。


 私には大きな懸念があった。

 それはイリスのことだ。


 イリスは私の勧めもあって、第一騎士団に入団した。

 第一騎士団は王都の防衛を主とする騎士団で、定数は五千人。そのうち千人が近衛兵として王宮内の守備兵となっている。


 現在、女性の近衛兵は百人ほどで、王妃の護衛を主任務としており、イリスも兵学部を次席で卒業した関係から、第一王妃付きの近衛騎士として四人の部下を持つ隊長に任じられていた。


 今日は王宮で任務があるということだったので、暗殺事件が起きた時に現場にいた可能性が高い。もし警備の担当であったなら処罰されることは間違いないし、彼女自身、王妃を守り切れなかったことで責任を取って自害する可能性すらある。


 私はエッフェンベルク伯爵邸に赴き、彼女の帰りを待つことにしたが、結局その日は戻ってこなかった。


 一睡もせずにイリスを待っていたが、翌日になってもマルグリット死去の発表はなかった。そのため、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ魔導師マギーア、マルティン・ネッツァー氏を尋ねることにした。


 ネッツァー氏は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの王都の責任者であり、王家の護衛をしている闇の監視者シャッテンヴァッヘ陰供シャッテンからダイレクトに情報が入る。


 私にも陰供シャッテンが複数付いているが、護衛としての任務が主であり、そういった情報は入ってこない。また、情報分析室経由で情報を得ることもできるが、情報分析室への取次はネッツァー氏が行っており、結局彼に聞くことが一番手っ取り早い。


 ネッツァー氏はいつになく厳しい表情で私を出迎えてくれた。


「君も聞いたようだね」


 ネッツァー氏は私が来ることを予想していたのだろう。何をという部分を省いて確認してきた。


「はい。と言っても詳細は全く知らないのですが……どのような状況なのでしょうか?」


 彼は小さく頷くが、なかなか話し始めなかった。


「私も情報分析室に籍を置いています。今後、どのような影響を及ぼすのか考えておかねばならないと思っています」


 私に話すことをためらっているのかと考え、本心ではイリスのことを心配しているのだが、情報分析室の一員であることを強調する。


「君の意見を聞きたいと私も思っている。ただ、今回のことはまだ整理ができていないんだ。あまりにも予想外過ぎてね……」


 そう言って大きく溜息を吐く。


「昨日なのだが、ジークフリート殿下の五歳の誕生日だった。マルグリット王妃殿下がフリードリッヒ殿下と共にそれを祝う小さなパーティを開いていた……」


 第一王妃マルグリットには第一王子のフリードリッヒと第三王子のジークフリートという二人の子供がいる。王妃はレベンスブルク侯爵家の令嬢だが、家庭的な面を持ち、自ら作った料理で祝っていたらしい。


「……そこに第二王妃アラベラが現れた。そして、侍女に運ばせていた菓子を二人の王子に渡して食べさせようとした。毒見をしようとした王子付きの侍女を大声で叱責し、怯えた二人の王子に食べるよう強要したらしい」


 アラベラと呼び捨てていることから、犯人であることは間違いないようだ。

 そこでネッツァー氏は再び溜息を吐いた後、話し始めた。


「明らかに異常な状況だったが、その混乱に乗じて侍女に扮していた暗殺者が動いた。陰供シャッテンたちはアラベラが囮だと考えていたから暗殺者がいることを想定していた。暗殺者は三流だったらしく、あっさりと片付いた。そこまでは良かったのだが……」


 ネッツァー氏は理解できないとでもいうように小さく首を横に振る。


「暗殺者を取り押さえた直後の僅かな隙を突いて、アラベラ自身がフリードリッヒ殿下たちに近づき、小さなナイフを突き立てようとした。陰供シャッテンたちは他の暗殺者がいないか周囲を警戒し、それに気づくのが遅れた。まさか王妃自らが暗殺に手を染めるとは考えていなかったのだ……」


 その言葉に私は頷いた。

 常識的に考え、王妃であるアラベラが自らの手を汚すとは考えない。それにアラベラは明らかに素人であり、成功率が低いことは愚かな彼女であっても想像できるはずだ。


「唯一マルグリット殿下だけがアラベラの動きに気づいた。そして、身を挺して殿下たちを守った。しかし、そのナイフには強力な毒が塗ってあったらしく、マルグリット殿下は一分もしないうちに息を引き取ったのだ」


 私はその話を聞き、唖然とした。

 結論を聞くまでアラベラが囮であり、別の暗殺者がマルグリット王妃を殺したと思っていたからだ。


「本当にアラベラ殿下が直接手を下したということですか? あり得ない……」


 思わず独り言を呟いてしまう。


「その通りだよ。私も話を聞いた時にあり得ないと思った。骨肉の争いとはいえ、王族自らが手を下すなど想像もできなかったよ。いくら王国最大の貴族マルクトホーフェン侯爵家がバックについていると言っても、これだけ明確な証拠があれば庇いようがない。それどころか侯爵家自体が取り潰されることになるのだからね。いくら横暴で浅慮なアラベラでもそのくらいは分かるだろうから……」


 マルクトホーフェン侯爵派は国内最大の派閥だが、王国全体で見れば三割ほどしか掌握していない。それに暗殺という手段を取れば求心力が落ち、派閥から離脱する者も出るだろう。


「それだけならアラベラを拘束して罪に問えばいいのだが、問題があった」


「どんな問題ですか?」


「マルグリット殿下が亡くなられる直前、ジークフリート殿下の魔導器ローアが暴走したらしい。原因は感情の爆発だが、暴走したエネルギーがアラベラと侍女に当たった。侍女は死亡し、アラベラは命に別条はないものの左腕に酷い火傷を負った。そのことでアラベラが“魔人が出た”と騒いでいる。それでアラベラに処分が下せないようだ」


 魔人は人が魔獣化した存在と言われ、元の世界で言えば悪魔に相当する。そのため、この世界では他の大陸を滅ぼした原因として、魔獣ウンティーアよりも忌み嫌われていた。


 その魔人を倒すために止む無く攻撃したとアラベラが言えば、罪に問われない可能性があった。

 私にはそのことよりも気になることがあった。


「ジークフリート殿下がヘルシャー候補ということですか?」


 グライフトゥルム王家に管理者ヘルシャーと呼ばれる神が現れると考えられている。助言者ベラーターである大賢者マグダは近い将来に現れると確信しており、三人の王子が候補者ではないかと思っていた。


 その三人の王子のうち、一人に強い魔導の才能を見せた者が現れた。ヘルシャーは強力な魔導師マギーアであると言い伝えられており、ジークフリート王子がその候補者である可能性が高い。


「まだはっきりとしたことは分からないんだ。マグダ様もここにはいらっしゃらないし、確認のしようがない」


「大賢者様はどちらに?」


「リヒトロット皇国に行っておられる。このままでは皇国が滅ぶから皇室関係者の亡命の手筈を整えるとおっしゃっておられた」


 リヒトロット皇国はゾルダート帝国の本格的な攻勢を受け、皇都リヒトロットまで押し込まれている状況だ。以前に成功したゲリラ戦も帝国軍に封じられつつあり、ここ数年が山だと言われている。


 リヒトロット皇家もグライフトゥルム王家と同じく古い家であり、ヘルシャー候補が生まれる可能性が高い家系であると叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの関係者から聞いている。その血を守るために大賢者が動いているのだろう。


「ところで、イリスのことはご存じありませんか?」


「現場にいたから事情聴取を受けたそうだ。シャッテンからの報告ではマルグリット殿下の部屋の入口の警備をしていただけで、止められるような場所にはいなかったらしい。事情聴取の後は騎士団の詰所で待機していると聞いている」


 直接関わっていないなら彼女が死罪になったり、自害させられたりすることはなさそうだと安堵する。


「分かりました。では、彼女に伝言を届けていただくことはお願いできますか?」


「ああ、もちろん構わない」


 私はイリスにこちらで動くから無暗に動かないよう伝言を依頼した。

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